こんにちは。
小説家の平野啓一郎です。

LINEはじめました。
 
日々のよしなしごとから仕事関連の情報まで、この場で皆さんと共有できればと思います。
よろしくお願いします! 

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小説『マチネの終わりに』連載中
https://note.mu/hiranok/n/nfda5cd3368a1

 

こんにちは。
 
昨年、noteにアカウントを開設して以来、
しばらく更新が滞っていましたが、それも昨日までのことです(笑

3月1日から、毎日新聞朝刊で、新作『マチネの終わりに』の連載が始まります。


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『透明な迷宮』に続く僕の第4期の小説で、『空白を満たしなさい』以来、三年ぶりの長篇となります。
物語は、天分豊かなクラシック・ギタリスト蒔野聡史(まきの さとし)と、海外の通信社に勤務する小峰洋子(こみね ようこ)との出会いから始まります。
 
蒔野は、2006年を締めくくるコンサートを華々しく終え、バックステージで、洋子を紹介されます。彼は、彼女の父親が、戦争映画の傑作『幸福の硬貨』の監督イェルコ・ソリッチであることを知り、興味を抱きます。彼はその映画の大ファンで、有名なクラシック・ギターのテーマ曲を、長年、レパートリーとしてきました。しかし、ソリッチのプロフィールから、洋子の存在はなぜか抹消されています。
 
蒔野と洋子は、互いに心惹かれつつ、その後、別々の人生を歩んでいきます。洋子は直後に、特派員として戦地に赴任します。蒔野は、世評に反して、自身の音楽家として未来に不安を感じ始めます。
 
幾度となく交錯し、またすれ違う二人の運命は、やがて、……

……というような話です。
 
小説の中心的なテーマは「恋愛」ですが、そこは僕の小説ですので、文明と文化、喧噪と静寂、生と死、更には40代の困難、父と娘、《ヴェニスに死す》症候群、リルケの詩、……といった、硬軟、大小様々なテーマが折り重なって、重層的な作りになっています。
 
もちろん、全篇にわたって音楽の存在は重要です!
 
『透明な迷宮』以来、「ページをめくる手が止まらない」小説ではなく、「ページをめくりたいけどめくりたくない、ずっとその世界に浸りきっていたい」小説というのを考えてきました。
 
何かとくたびれる世の中ですが、小説を読むことでしか得られない精神的なよろこびを、改めて、追求したいと思っています。
 
因みに、タイトルにある「マチネ」というのは、コンサートの「昼の部」のことです。
挿絵は、今飛ぶ鳥を落とす勢いのクリエーター集団カイブツの石井正信さんです。
従来の新聞連載の挿絵とは異なる、あっ!と驚く仕掛けがありますので、こちらも乞うご期待です。

……で、最初の話に戻りますと、この小説、毎日新聞紙上だけでなく、なんとこのnoteでも読んでいただけます! (※新聞掲載の10日遅れです。)
 
更にnoteだけの連動企画として、若手アーティストのみなさんとのコラボレーション、noteユーザのみなさんとのコレボレーションも展開します。
 
『マチネの終わりに』をテーマに、アーティストに作品を制作してもらうというもので、そのプロセスや僕とのインタラクションも、この場を通じて楽しんでいただけます。
 
どんな作品が生まれるのか? 僕自身の創作の刺激となるような世界を期待しています。参加アーティストの名前は、後日、またここで発表します。
 
小説は、ジラルダンの時代から新聞とともに発展し、その連載という形式は、明治時代に日本にそのまま受け継がれ、今やほとんど日本でだけ残っています。
 
このオーセンティックな文学のための「場所」が、ウェブの世界とどんな新しい関係を築きうるのか?
何よりも、小説そのものを楽しんでいただくのが一番ですが、こうした試みの全体を、ちょっとしたお祭りのように面白がっていただければ幸いです。

物語のはじまりはこちらから
https://note.mu/hiranok/n/nfda5cd3368a1 

10月にポーランドのワルシャワ大学で講演してきました。
ポーランドは、非常に「親日的」と言われている国で、そのそもそものきっかけは、やっぱり日露戦争なんだそうです。トルコに関しても、よくそういうことが言われますね。まぁ、ショパンの時代から、ずっとロシアの支配下にあったわけですから、さもありなんです。
勿論、その後はまた長い歴史があるわけですが。

今は、諸外国の例に漏れず、漫画やアニメの人気が高く、ワルシャワ大学の日本語・韓国語学科は屈指の難関学科となっているようです。もちろん、文学の研究も充実していて、谷崎の翻訳で知られるミコワイ・メラノヴィッチ教授は、僕の小説をすべて日本語で非常に丁寧に読まれていて、特に『葬送』に関しては、「とても感動しました。是非、ポーランド語に翻訳されるべきです!」と言って下さいました。あの小説がポーランド語で読まれているところを想像すると、それだけで胸が熱くなります。

 滞在中、かなり写真を撮りましたので、短いコメントをつけて、ざっと紹介していきます。
ご興味のある方はどうぞ。

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ワルシャワ大学の構内にあるショパン一家が住んでいた建物です(1817-27年)。
元はカジミエシュ宮の別棟で、フランス語教師だったお父さんのミコワイは、ここで寄宿舎も営んでいました。
現在は、日本語学科の研究室も入っています。

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 ワルシャワ大学の図書館。すっきりしてますね。

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 学食です。
ポーランド料理は、学食から高級店まで色々食べましたけど、おいしかったです。
浮ついてない、しっかりした味です。

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 ワルシャワから車で約1時間。
ジェラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家の門です。
感動!

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去年が生誕200年だったので、全体的にきれいになってました。
お土産屋さんです。

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 そして、ここがまさにショパンが生まれた建物。
父ミコワイが住み込みの家庭教師を、母ユスティナが使用人として働いていたスカルベック伯爵夫人宅の別棟です。
戦争で壊された後、修復されています。

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展示されていたのは、ショパンが友人宅で弾いたと言われているピアノ。

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ショパンが最初に出版したポロネーズの楽譜。
七歳の時の作品ですが、出版したヴォイチェフ・ジヴニーという彼の最初のピアノの先生が、「八歳の音楽家」と書いてしまったために、ショパンは1809年生まれなのか?と、後世の人を勘違いさせてしまった曰く付きの代物。今では、1810年説が定説になっています。表紙はフランス語です。
 
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ショパンの家族です。全員わかったら、なかなかのショパン通ですね。
小さいポートレートは、夭折した妹のエミリアです。

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 何の楽譜でしょう? レプリカですけど。
ちょっとピンぼけしてますけど、わかりますか?
答えは「舟歌」!
ショパンの楽譜は本当にきれいです。繊細な音符。

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敷地の中は公園になってます。
気持ちのいい場所でした。

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ショパンが洗礼を受けた教会。これも戦後、修復されています。
ここにある出生届の日付が、ショパンが自分で手紙で書いている誕生日の日付と違っていて、また後の人たちを混乱させています。まあ、昔のことですから、僕は届け出の方が間違ってると思ってます。そちらの説の方が優勢です。
写真は、あとで行ったショパン博物館に展示されていた出生届です。

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 ワルシャワに戻って、ショパンの時代からあるというレストラン。
ショパンも来た(かも?)とのこと。
ジュレックという、ポーランドの味噌汁みたいなスープ。これは、本当においしかったので、日本のスープ屋さん、導入しましょう。
左手で具を掬い上げつつ、右手で写真を撮るのは、僕の得意技です。

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 世界遺産になっている旧市街。
色使いがかわいいですね。
下はワルシャワ市の象徴である人魚像。

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 彼方に見えるのは建設中のスタジアム。
端っこに、さっきの人魚像の「ゆるキャラ」バージョンが(笑)。

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ショパンがオルガンを弾いていたというヴィジトキ教会。
ショパン一家がワルシャワで最初に住んでいたサスキ宮のあった場所の南側です。

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 ショパンの心臓が埋められている聖十字架教会。
ショパンは二十歳でポーランドを後にしてから、とうとう一度も帰国が叶わなかったので、せめて心臓だけでもポーランドに持ち帰って欲しいというのが遺言でした。
柱に埋めるという発想は凄いですが。
僕は、しばらく動けませんでした。

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パリのマドレーヌ寺院で行われたショパンの葬儀では、遺言に従って、モーツァルトのレクイエムが演奏されてます。
命日の10月17日には、この聖十字架教会でレクイエムのコンサートをやっているようです。僕は残念ながら、ギリギリ日程が合わず、聴き逃しましたが。

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 生誕200年を記念して、街の至る所に設置されているショパンベンチ。固いボタンを押すと、ショパンの曲が流れるんですけど、結構不具合が多くて、僕が通り過ぎてから随分経って突然流れ始めて、通りかかった人がビビッてました 

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ショパン、キュリー夫人と並ぶポーランドのスター、コペルニクス。
地面に太陽系が描かれています。下は地球です。

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金属製のヤシの木。なんでも、どっかのアーティストが、ある日突然、大通りの中央分離帯に作ったそうで、撤去するかどうか議論になった末、せっかくだから残してあるのだとか。

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ワジェンスキ公園のショパン像。
前でしゃがんで写真を撮ってる人の後ろ姿がちょっと笑えます。
あんまりいい像と思えないのですが、作られた時から評判はイマイチだったとか。
ショパンが好きだった薔薇の花が植えてあります。

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走るショパン! 顔がワルシャワの地図になってます。
愛されてますね。
ショパン博物館の向かいのビルです。 

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ショパン博物館も、去年のリニューアルで、かなりハイテク化されてます。
押し花は、ショパンの棺に献花されたもの。

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目玉はやっぱりこれでしょう!
ショパンが最後まで所有していたプレイエル。
死後、オークションにかけられたのを、ジェイン・スターリングが買い取って、ショパンのお姉さんにプレゼントしたものです。パリから持ち帰られました。
フラッシュ禁止なので暗いですが。

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最後の夜に行った、UNDER THE RED HOGという、共産主義時代を皮肉ったお店。
メニューが全部、「高官、ブルジョワジー向け」と「プロレタリアート向け」に分けられてます(笑)。
面白いだけじゃなくて、すごくおいしかったので、ワルシャワに行かれる方はオススメです。

……というわけで、写真もかなり、お腹一杯ですね。
忙しい最中に、またものすごくマメな旅報告をしてしまった。。。
 

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