月別アーカイブ / 2015年12月

パート2

報道で「97年結婚当初から別居婚」と書かれましたが、これも間違いです。「平子はそれ以降ほとんど夫と一緒に住んでいないんだよと言ってました」とも書かれましたが私はそんな事は一言も言っていません。最初だけ、彼がアメリカ、私が日本に住んでいた時期があるというだけです。私たちは、彼がアメリカにいる時に結婚しました。1年くらいして彼が帰国してからはずっと一緒に住んでいました。一緒にいる時間は多かったと思います。ご飯を作るのも一緒、レストランに行ったり飲みに行くのも、遊びに行くのも、買い物に行くのも、旅行に行くのもいつも一緒でした。彼の仕事現場にもよくついて行ったし、私の仕事先まで送り迎えしてくれたりと、かなり仲が良い夫婦だったと思います。お互いに仕事が忙しくなってそういう時間が無くなっていったのも確かです。それぞれの仕事、生き方を尊重しリスペクト合っているのでそれによって喧嘩したとか関係が悪くなったという事もないのです。
わたしはネット上で子供嫌いだとか、子供が出来ないとか、スタイル維持のため産まないとか、いろいろ中傷されていますが、子供嫌いでもスタイル維持のためでもなく、二人でそう選択しただけです。もし、わたしの性格上、子供を産んだら仕事を辞めて100%子育てに専念すると思います。でも、わたしは今の仕事が好きだし、やめたくありませんでした。世の中には仕事と育児を両立している方も多いと思います。でもわたしは、頑固でダメなところかもしれませんが、なかなか人任せに出来ない性格なので仕事と子育てとの両立は出来ないと思い、わたしたち夫婦は子供を作らない選択をしました。だから子供の問題での離婚でもありません。
もともと離婚届けは年末にする予定だったのでこの報道によって早めたとか遅めたというのもありません。お互い長い時間一緒に過ごした家族なのでとても寂しい気持ちはありますが、これからも変わらず会おうねと話しています。至らないところも多々あったと思いますが、とても楽しい結婚生活でした。いったん「結婚」という形は終わりますが、これからも変わらず仲良くしていきたいと思っています。私たちはまだ発展途上です。落ち着いた形になる事もなく、まだまだ成長している段階なので形は変わっていきます。これからも彼と一緒に食事したり出かけたりする事もあると思います。色んな事を話したり相談もすると思います。彼は私の親とも仲がいいので、これからも家族ぐるみでおつきあいして行くと思います。
<父の事について>
なんとなく離婚話が出はじめた春頃にわたしの父が急に倒れて入院する事になりました。末期の膵臓がんの疑いがあるとの診断で、わたしは父の看病で、仕事をしながら病院に通い、二人の話は後回しになりました。彼にも助けてもらいながらも看病して、全力で色んな治療法を試しましたがどれも病状を止める事は出来ず、父の身体はどんどん悪くなっていきました。病院で一人でいさせるのが耐えきれなかったので最後は私のマンションで介護する事にしました。うちに来てからすぐに歩くのが困難になり、食事ものどを通らなくなり、そのうち車いすにも乗る事も出来ず、立つのも支えがあってやっとの状態になっていきました。最後の2週間は、仕事の時間以外は、ずっと家にいました。ベッドにいる父とたくさん話が出来ました。父が若い頃の話、私が小さい頃の話、母の話、家族の話、仕事の話。初めて聞いた話もたくさんありました。最後の日は病院で母と家族みんなで父の最期を看取りました。今回、突然の父の死で色々感じて、あらためて人の「人生」というものを考えさせられました。
父が亡くなった事は、自分の中で今でもまだ受け入れられていないのでほんの身内にしか報告出来てなかったけど、今回こういう報道によってこんな形で父の事を伝える事になったのはとても残念です。人には色々な事情があって、周りからは分からないそれぞれの関係性もあります。他人の事など何も分からないのにとやかく言ったり、人をおとしめる様な事をするのは間違っていると思います。今回もそうですが、事実ではない事を書かれて、その後に実は違いましたと報道されても人は最初の印象はなかなか消えないものです。
<最後に>
今後は、もっともっと自分の可能性を試したいし、まだまだ無茶したり、チャレンジしたり、実験的な事もしていきたいと思っています。人それぞれ、考え方、生き方は違い、人それぞれ、その人にしか出来ない人生があると思います。人の生きられる時間には限りがあります。数少ない時間を悔いの無いよう、今まで以上に自由に、楽しく過ごしていくつもりです。
ファンの皆様、ブログ、SNSでたくさんの応援コメント、本当にありがとうございました!とっても心強くなり、勇気をもらいました。色々な事情があってお伝え出来るタイミングが遅くなった事をお許しください。今後ともよろしくお願いします!

パート1
このたびは写真週刊誌などの報道でお騒がせしてしまい、ファンの皆様にはご心配をおかけしました事をお詫び申し上げます。なかなか自分の話が伝えたいように伝わらない事が多いので、私の思った通りに発言出来る場はここなので、今回の報道と離婚について書かせて頂きたいと思います。
<写真週刊誌の報道について>今回の熱海への旅行は、わたしとアメリカに住む兄の家族、甥っ子達と、叔母の誕生日を祝うために企画した旅行でした。事情があって、叔母が急に行けなくなったので一部屋空いてしまいました。栄作さんは仕事で名古屋だったので来れませんでした。もともと兄と村井さんは一緒に貿易の仕事をしています。私の兄が、仕事の話もしたいから村井くんを呼んでみようという事で連絡してみたらスケジュールが空いていたので村井さんが参加する事になりました。写真週刊誌には二人で旅行みたいに写されていますが実際、二人の後ろに(目隠しありで)家族みんな写っています。
村井さんとは栄作さんを通じて知り合った友人ですが、ビジネスパートナーとしてもブランドを一緒にやったり、写真集「heaven」のアートディレクションをやってもらったりと、その他にも色々一緒に仕事をしています。今年の六月に父が亡くなった時も、11月12月と泊まりに来ていた兄達と一緒に遺品の整理、荷物の運び出しや手続きなどで色々と手伝って頂きました。掲載されたのはその頃の写真だと思いますが、今回の報道の様に「村井さんと同棲」とかつきあっているといった事実はありません。
マンションへの出入りが多いのは一緒に仕事もしているし仕方のない事です。村井さんの他にも、事務所のスタッフとも、一緒にデザインを作っている友人や業者の方、バンドや映像を一緒に作っている友人たちともいつもオフィスのマンションの共同スペースを借りて打ち合わせしています。わたしには日本にもアメリカにも学生の頃から男性の友人が多くいるので、一緒のところを写真を撮られる事もありますが全く男女の関係はありません。恋愛感情がなければ、わたしは男女関係なく友人として付き合います。毎回友人や仕事関係の人といるところを写真に撮られて困っていますが、これからもわたしは自由に、男性女性関係なく、友人と会ったり仕事で打ち合わせしたり、たくさんの人とコミュニケーションをとって楽しく人生を送りたいと思っています。
<離婚について>
オフィスとして2011年頃にマンションを購入しました。洋服や仕事関係のものが増えていくうちに、マンションに行く事が増えてそちらにいる時間がだんだん多くなりました。お互いに、翌日早い時間からの仕事がある時などは私もそのままそのマンションに泊まって、そこから仕事に向かう事も多くなりました。私の場合、写真集や本を作る時などは、デザインや構成、文章もかなりの比率で自分で考えて作っています。そんな時は何日もほとんど徹夜の状態が続きます。そういう時、相手に迷惑をかけるのも嫌だし、一人の方が仕事に集中しやすいのでオフィスにこもりっきりになります。特に私は夜型で夜中に仕事する事が多いのです。愛情に変化があったというよりは、相手の時間に合わせたり、合わせてもらったりするより、一人で過ごす時間が少しずつ楽になっていったのはあります。私たちは憎しみあいもしていないし、喧嘩もしていないし、今でもお互い色んな事を話すし、こんな私たちの結婚スタイルも新鮮で新しい形かなと、このままでも別に良いかなと二人とも思っていました。でも、よくマンション前から記者に尾行されたり、取材でも「二人の仲はどうなっているのか」いつも聞かれるし、ネットや報道などで事実では無い事も書かれると自分たちもとても傷つくし、自分たちに関わる周りの方々にも毎回心配をかけるし、それで一年くらい前にこのままじゃいけないね、どうするかはっきりした方が良いねという話になり、何度か話し合って最終的に「離婚」という形を取る事にしました。

みんな応援ありがとうね‼️
事実ではない報道も流れているみたいなので困っていますが、機会をつくってきちんと説明したいと思っています❗️

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