パート2

報道で「97年結婚当初から別居婚」と書かれましたが、これも間違いです。「平子はそれ以降ほとんど夫と一緒に住んでいないんだよと言ってました」とも書かれましたが私はそんな事は一言も言っていません。最初だけ、彼がアメリカ、私が日本に住んでいた時期があるというだけです。私たちは、彼がアメリカにいる時に結婚しました。1年くらいして彼が帰国してからはずっと一緒に住んでいました。一緒にいる時間は多かったと思います。ご飯を作るのも一緒、レストランに行ったり飲みに行くのも、遊びに行くのも、買い物に行くのも、旅行に行くのもいつも一緒でした。彼の仕事現場にもよくついて行ったし、私の仕事先まで送り迎えしてくれたりと、かなり仲が良い夫婦だったと思います。お互いに仕事が忙しくなってそういう時間が無くなっていったのも確かです。それぞれの仕事、生き方を尊重しリスペクト合っているのでそれによって喧嘩したとか関係が悪くなったという事もないのです。
わたしはネット上で子供嫌いだとか、子供が出来ないとか、スタイル維持のため産まないとか、いろいろ中傷されていますが、子供嫌いでもスタイル維持のためでもなく、二人でそう選択しただけです。もし、わたしの性格上、子供を産んだら仕事を辞めて100%子育てに専念すると思います。でも、わたしは今の仕事が好きだし、やめたくありませんでした。世の中には仕事と育児を両立している方も多いと思います。でもわたしは、頑固でダメなところかもしれませんが、なかなか人任せに出来ない性格なので仕事と子育てとの両立は出来ないと思い、わたしたち夫婦は子供を作らない選択をしました。だから子供の問題での離婚でもありません。
もともと離婚届けは年末にする予定だったのでこの報道によって早めたとか遅めたというのもありません。お互い長い時間一緒に過ごした家族なのでとても寂しい気持ちはありますが、これからも変わらず会おうねと話しています。至らないところも多々あったと思いますが、とても楽しい結婚生活でした。いったん「結婚」という形は終わりますが、これからも変わらず仲良くしていきたいと思っています。私たちはまだ発展途上です。落ち着いた形になる事もなく、まだまだ成長している段階なので形は変わっていきます。これからも彼と一緒に食事したり出かけたりする事もあると思います。色んな事を話したり相談もすると思います。彼は私の親とも仲がいいので、これからも家族ぐるみでおつきあいして行くと思います。
<父の事について>
なんとなく離婚話が出はじめた春頃にわたしの父が急に倒れて入院する事になりました。末期の膵臓がんの疑いがあるとの診断で、わたしは父の看病で、仕事をしながら病院に通い、二人の話は後回しになりました。彼にも助けてもらいながらも看病して、全力で色んな治療法を試しましたがどれも病状を止める事は出来ず、父の身体はどんどん悪くなっていきました。病院で一人でいさせるのが耐えきれなかったので最後は私のマンションで介護する事にしました。うちに来てからすぐに歩くのが困難になり、食事ものどを通らなくなり、そのうち車いすにも乗る事も出来ず、立つのも支えがあってやっとの状態になっていきました。最後の2週間は、仕事の時間以外は、ずっと家にいました。ベッドにいる父とたくさん話が出来ました。父が若い頃の話、私が小さい頃の話、母の話、家族の話、仕事の話。初めて聞いた話もたくさんありました。最後の日は病院で母と家族みんなで父の最期を看取りました。今回、突然の父の死で色々感じて、あらためて人の「人生」というものを考えさせられました。
父が亡くなった事は、自分の中で今でもまだ受け入れられていないのでほんの身内にしか報告出来てなかったけど、今回こういう報道によってこんな形で父の事を伝える事になったのはとても残念です。人には色々な事情があって、周りからは分からないそれぞれの関係性もあります。他人の事など何も分からないのにとやかく言ったり、人をおとしめる様な事をするのは間違っていると思います。今回もそうですが、事実ではない事を書かれて、その後に実は違いましたと報道されても人は最初の印象はなかなか消えないものです。
<最後に>
今後は、もっともっと自分の可能性を試したいし、まだまだ無茶したり、チャレンジしたり、実験的な事もしていきたいと思っています。人それぞれ、考え方、生き方は違い、人それぞれ、その人にしか出来ない人生があると思います。人の生きられる時間には限りがあります。数少ない時間を悔いの無いよう、今まで以上に自由に、楽しく過ごしていくつもりです。
ファンの皆様、ブログ、SNSでたくさんの応援コメント、本当にありがとうございました!とっても心強くなり、勇気をもらいました。色々な事情があってお伝え出来るタイミングが遅くなった事をお許しください。今後ともよろしくお願いします!