ちょいと前に、日本が感染がある国に行った外国籍の人を、永住権とか滞在ビザとか正当な権利があるにもかかわらず全て上陸拒否(いつまでかは不明)するという政策をとっていることを知った。
アメリカの大学院に戻らなくてはいけないとフライトを調べ始めた頃だった。

最初読んだときは意味がわからなかった。
外国籍の日本に住んでる人が日本に帰国する時の感染リスクと、日本国籍の人が帰国する時のリスクは同じはずだ。そういえばアメリカから帰国した際も、私以外ほとんど日本人の飛行機で全く同じ経路で帰国したのに、私や他の外国籍保持者(在住権もちろんアリ)だけ別室に連れて行かれて「感染多発国には行っていません」という念書を書かされた。


「これは私が中国籍だからでしょうか?」と聞いたが関係ないと言われた。
別室に日本国籍の人は一人もいなかった。


「パスポートの出入国記録を見れば当該国に行っていないのはわかるのではないですか?」


と聞いた


「記録に残らない方法もあるので」


と言われた。私はその方法を知らないが、あるのかもしれない。


「では、日本国籍の人もそのリスクは同じではないですか?皆さん念書を書かれた方がいいのでは?」


そのあとはもう「決まりなので」以外の返答をもらえなかった。
明らかにイライラしているようだったので、怖くなって聞くのをやめた。

まあこのくらいは別によかった。慣れているし。何か私の知らない制度があるのかもしれないし。
ただ家に帰ることができてホッとした。




当時アメリカ政府も、オンラインクラスだけをとっている場合はビザ停止、つまり秋の学期が終わったら再入国できるかわからなかったり、i20を取り直さなければならなくなるかも知らず、そうするともう一学期多く取らないといけないかもしれない、という留学生に対しての激怖政策をしいていて
私は国を出ても地獄、出なくても地獄という狭間にいた。
(その後その政策は撤回された。ハーバードやうちの学校が訴訟を起こしたりして、政府が引いたのだ。)


そもそも時差が大きすぎてオンライン授業を受けるのは大変だった。生活リズムがいつも以上にぐちゃぐちゃになった。
夜中の二時から2時間授業をして、朝の六時からまた2時間
お昼に寝るために日本の仕事の連絡は一切反応できず、という日々だった。

だからこそ、バカ高い学費を貯金を切り崩して払っているし
まだニューヨークの家の家賃も払っているし、
無駄にしないためにもニューヨークに行って大学院に通いたいと思っていた。

そうしたら「出国したらお前は日本国籍じゃないから上陸させません」だ。
コロナの時期そういった渡航制限が出ることはわかる、でも日本国籍だけで区切る理由がわからなかった。
そこで改めて、多くの人が全く意識もせず、戦うこともなく得ている「条件なしに保護してくれる祖国」というものを、私は持たないのだとあらためて認識した。アメリカに出て改めて日本の良いところや好きなところに気づき、更には自分の中の日本で生まれ育ったが故の考え方や慣習に気づき、自分のルーツは日本なんだなと改めて思った矢先だったので、よりショックだった。



「今は日本以外もみんなそうだよ」という人もいたがそうではない。
6月G7の中でこのような措置をとっているのは日本のみだという。
そして日本はオリンピックのための入国緩和やビジネスの入国緩和を考慮し始めている
日本に基盤のある外国籍の人たち、日本の大学に留学にきた優秀な人材たちのことは話題にすら上がらない。

「帰化をすればいい」というのもよくわからない。
永住権や滞在権は何のために存在するのか。国籍だけで人権を無碍にする国でいいのか。あと、私は日本育ち日本生まれだからすぐ帰化できると思われることが多いが、そんなことはない。そもそも国籍選択権(片方の親が日本国籍だと与えられることがあるらしい)はなかったし、20を超えて初めて帰化手続きが可能になった。
そしてまたこの手続きが大変で、まあ頑張ればできるけれど1年2年はかかる。ただ、引き続き5年以上日本に住所を有することが条件で、この引き続きというのがトリッキーなのだ

これは日本に住所を有していても、長期海外にいくことがある場合(確か連続3ヶ月以上、連続でなくても1年間で150日ある場合)はそこで在留期間の計算がゼロに戻るからだ。なので私みたいに国外で長期の個展がちょいちょいあったり、今みたいに留学をしていると手続きができない。

実は一度帰化の手続き相談に行っだのだが、諦めたのはそれが大きい理由だった。


日本で生まれ育った日本国籍の人たちは、あまり国籍について考えたことがないのかもしれないと思う。だから「帰化しないの?」という言葉が出てくる。出てくるけど、それについて調べたことなんてないだろう。考えたこともないから「俺は国籍なんて捨ててもいいけどな。なんでそんなに変えたくないの?」という人もいる。それはあなたが戦わなくてよかったからだ。今まで自分の国籍について何も考えなくてよかったからだ。長年変えることができなかった国籍を否定され続け、それを経てなお自分を愛する努力をする必要がなかったからだ。

私は別に頑なに中国籍でいたい訳でもない。前述したように相談にも行っているし。だがやはり国籍を変えるということは人によってはとても大きく、そのために生活を変えなければならなかったり、自分への捉え方を変えなければならなかったり、人によってインパクトが違う、とても個人的なことだと思う。それは、「帰化が当然」と言わんばかりに、他人が気軽に口を出すべきことではない。まして匿名では。

というか、帰化をしないと永住権や滞在権が無視されてしまう国のままでいいのか?
そしてそういうことをいう人は帰化したところで「帰化人」だの、「内側からこっそり日本の転覆を狙っている」だの、結局日本人として見てくれることなんてないのだ。




アメリカと日本と中国の間で板挟みだった。ルールを守って納税して、ただより良くなって欲しいと思い続けている日本に、お前は外部の人間ですと言われるのはショックだった。行き場がなかった。中国での電車の乗り方さえわからないのに、知らない土地に飛ばされるかもしれないのは怖かった。そして悲しかった。それをツイートしたら、驚くほどの量の差別的なリプライが飛んできた。
「日本は本当にダメだ」と言った覚えもない。ただ、私はみんなが持っている祖国というものがないのが悲しい、というツイートだった。

もう、帰化すれば?はいい。その中の多くがただ知らないだけなのも、知っている。ただ確固たる悪意を持って、もしくはなぜか私のツイートが「日本を攻撃している」と思って、攻撃的なツイートをしてくる人が多かった。「永住権が与えられただけでありがたく思え」「とっとと中国に帰れ」「お前がコロナを持ち込んでおいて被害者ヅラをするな」「帰化しないってことは何かやましいことがあるのだろう」などなど。生まれた時から無条件で与えられている日本国籍に、よくそこまであぐらがかけるなと驚いた。日本が完璧で日本国籍が至高だと捉えれば、何もせずに自分も至高になれるからでしょうか。わからない。わからないが、難しい状況に巻き込まれて悲しんでいる人に、あえて攻撃を仕掛けに行く精神が私にはもっとわからない。それが「日本人的美徳」なのでしょうか?

私は別にメンタルが強くないのでこれには相当まいった。正直結構泣いた。泣きすぎて取材を受けた頃には全く感情を出すことができなくなっていた。数日体が動かなくなったし、もうめんどくさいから死んでしまいたいとも思った。死んでしまえば何も感じなくていいから。会ったことも話したこともない人から、たくさんの悪意を向けられている、それはとても怖い。国と人とを分けて考えられない人たちに、中国籍というだけで攻撃を受けることの意味がわからない。とてもキツイ。そしてこうやってすでに困難にある人たちが、より攻撃を受けるリスクを冒して声を上げることでしか現状が知ってもらえない構造も、とても悲しい。



でもこのツイートをしたことで、ありがとうというメッセージもたくさんきた。今まで声を上げていたのにただ無視され続けていたという人が、ニュースに取り上げられることになった。私と同じような生まれ育ちの人たちから「同じような人がいてびっくりした」と言われ、なんかそれだけで嬉しかった。私はそういう、自分と同じような人を見つけられない人がふと何かを見た時、あ、同じような生い立ちで頑張って活躍している人がいる、と思ってもらいたい、自分の生い立ちを恥だと思わないでもらいたいと思って活動しているところもあるので、嬉しかった。私へのコメントを見て自分に対する差別構造を再確認してしまった人もいるだろう。ごめんね、あなたは間違っていないのに。間違っていないってわかっていても辛いよね。せめて一緒に泣こう。あなたは間違っていない。


優しいメッセージもたくさんもらった。私のために戦ってくれた人もいた。そういうもので少しずつ体を起こせるようになった。ニューヨークの大学院の友人にこの話をするとほぼ確実に「差別じゃん、最悪だね」と言ってくれて、日本ではこれを差別と捉えない人もいるなあと思った。そこに土壌の差は少し感じてしまった。「よくわからないけど私はチョーさんが好きだよ」よりも「この状況はおかしいね」「チョーさんの発信でこの問題をしれて考えることができた」と言ってくれるメッセージが嬉しかった。時間をとってメッセージを送ってくれた人、話を聞いてくれた友人たち本当にありがとう。全員に返すことはできていなかったと思うからここで改めて。ありがとう。




こういうのは「重い話題」だしみんなわざわざ見たくはないだろう。それは私だって一緒。私もうちに来る可愛い猫とか、絵の話ばかりしていたい。でも声を上げないと問題自体が見つけてもらえないことがある。特にマイノリティの権利に関する問題は、「時間が解決する」が適応しないことが多い。だから必死で、こっちだって嫌な気持ちで、声を上げてるんだよ。決して好きで戦ってなんかいないよ。

だから、これも記録として書いている。起きたこと、感じたこと、私の状況。こういうことがあったという事実をなくさないために。現実メモだ。文章を書く時は結構構成とか気にするんですけど、前回の記事と同様これも読みにくくなってしまった。でも今はこれが精一杯なので残す。取材していただいた記事も置いておきます。最後の方に署名へのリンクもあります。余力がある人はぜひ。

そろそろ日常で起きた面白かったことの記事とかが書きたいもんだぜ。そもそも更新率めっちゃ低いけどね!!!
長い文章読んでくれたあなたには可愛い猫の写真のプレゼントです。
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良い1日を。

今日はよく泣きました。
朝からよく泣いて、友人にとつとつと話をして、ようやく何かを発信する勇気が出たので
久々にブログを書くことになりました。
多分支離滅裂になってしまう。許してくれ。


コロナは結局6月も終わるというのに収まることなく猛威を奮っています。
日常は少しずつ戻ってきているけれど、最近なんか地獄です。

Twitterが地獄なのはここ数年ずっとですが、
政治に関することや差別に関することでそれをますます体感しています。
インターネットしかなかなか出かけられる場所がない中だからなのか、
よりたくさんの極端な意見を目にするようになりました。

特に最近は、アメリカでBLMがようやくより大きく取り上げられ、それが世界に伝播していき
それに伴って差別の話や、最近は都知事選もあって政治の話も盛んです。

それは、いいことで。たくさん発信してくれる人がいるのもいいことで。
わかっているのに私はTwitterでの発信にいつも億劫だし、
それどころか、それどころかですよ、
盛んに発信する人たちを見たときに、なんというか、モヤッとした、
まるで嫉妬に近い感情までが生まれることがあるのです。



今までそういう感情が湧き出たときは、
私はそういう「ガンガン発信」的な性格ではないから、怖いのかな?
とか意味不明なことを考えていました。
「でかい声で言うな」みたいな、一番気持ち悪い言説を自分で内在的に持ってしまっていた。

でも、今朝、Twitterの地獄を見ていて
誰かが私とおなじ意見を発信していて、そこにたくさんのディスカッションがついていたり
その人がご意見番のように扱われ、色々なイベントで発言しているのを見て
また鳩尾がギュウッと痛くなった。

あ、私、羨ましいんだって思った。



その発言が取り糺される、シェアされる、ディスカッションが生まれることはもちろん羨ましいのだけど
それ以上に、さらっと発言できる立場が、羨ましいんだ。
(さらっとって言ったって、比較で言ってるだけで、大変さはあると思うよ全ての発信に。)



だって私はさらっと発言できないから。してはいけない(ような気がする)から。
言うなれば中国籍で在日であると言うことだけで、マイナスからのスタートで
今までずっと、敵ではないんですと説明し続けなければならなかったから。



Twitterでの意見の発信はそもそも難しい。
ただのおもしろツイートから始まって作品とか載せるのをメインにしているから
「そう言う意見とか聞きたい人」がフォローしているわけではないと思うし
私にそう言う発言は期待されていないと思うし。

でも根本にあるのは、私の国籍的な立ち位置なんだなと。
なんか当たり前のことなんだけど、変な嫉妬から改めて気づいた。



例えば私は今アメリカ留学している身ですが、コロナもあり一時帰国しています。
昨日の夜父に、今アメリカに行ったら、永住権がなくなるかもしれない、と言われた。
なくならないとしても、日本国籍の人と同じようには、日本に帰国できなくなる、と。

そうかあ、と思った。
そうだった、私、そう言う立場の人なんだった、と。

私の立場は昔からずっと、仮想敵にされてきたものであり
仮想敵でないことを証明し続けるために躍起になりながら生きてきたんだなあと。




ずっとずっと、中国への不信感や中国人への嫌悪を耳にしてきました。
別に中国人の友人だって政府の悪口は言うし、そこは日本と一緒です。
でも、私は多くの私の友人たちの中の「唯一の中国人の友達・知り合い」だった。
だからいつでもその人たちの持つ中国への偏見を裏切らなきゃと躍起でした。

「チョーは中国人だけどいいやつじゃん」と言われてモヤッとしながらも受け取ってきた。

周りに誰も在日の権利なんて話してる人がいない中
人生の大きな部分をただ、「自分が存在しててもいいはずだよね?」と自問自答することに費やさなければならない。それがいかに大きく自分を形成していたのか私はあまり自覚的ではなかったようです。


中学生になって、中国人であること、在日であることでぶつかる障壁に対して
私はよくわからないまま声を上げていました。
そうしたら、当時とても好きだった友人に

「お前は被害者であることに酔っているんじゃないか?
 そればっかり話してるし、自分から辛いことを探しに行っていないか?」

と言われた。
私は、愚かにも「そうかも」と思ってしまったのです。
悪いことばかりに目を向けてきたんじゃないか?って。
本当はそんなことはなかったのに。

最近見た匿名の投稿で、いいなと思った言葉を引用させていただくと


「被差別者に対して、差別のこと話しすぎじゃない?執着しすぎじゃない?と言うことは
  溺れている人に対して、溺れてることを話しすぎじゃない?と言うのと同じこと」


と言うのがしっくりくる。

でも私は若くて、友人のほとんど日本生まれ育ちの日本人で、それがわからなかった。
だからそこからは黙りました。いいことばかり考えてみました。
「在日特権を主張する中国人」のイメージにも反さないとと思った。

悪く言われがちな中国人であること。在日中国籍であること。
そこから生まれるいいことばかりに無理に目を向けて
自分のアイデンティティーを何年もかけて少しずつ愛した。

そしたらどうでしょう


今18を超えて言われるのは「なんで帰化しないの?」



え〜?????ってなりますわ、それは。びっくりするわ。
慎ましく自分のアイデンティティを受け入れろとあれだけ言われて
在日中国人である自分をようやく受け入れたら今度は
「もう大体日本人でしょ」
「制度に文句を言うならさっさと帰化すれば?」

アタイびっくりしちゃう本当に。
中学生の私も今の私も同じ私で
ただ違うのは帰化の選択肢があるかないか。
選択肢がないときはその差別環境に疑問もなく
悪いのは、悪いところばかり目にしている私。
選択肢がある今は、わざと悪い環境にいる私。

あれ?悪い環境はいつ改善するの?何?


私は一度も、日本人になれないことを嘆いてはいないのです
(めっちゃ若い頃はあったけどね)
日本人ではない人に対する偏見、制度的な抑圧、差別。
それにずっとおかしいと言ってきただけなの。
でもそんなことは関係なくて、私はずっと私の立場である限り口を塞がれるのだと思った。
そしてそれはこんなにもヘイトが健在な日本において
(都知事選候補を見てよ、ヘイトを撒き散らして、在日の権利を全て無くそうとしている人が、インターネットであんなにも推されている。)
確実に人の命すら脅かすものなのだ。


私は私の愛するものがたくさんあって、愛する人たちがたくさん暮らすこの国で、
私はこの国の敵ではないと、必死で説明しないと敵だと認定されてしまう。
人からも、国からも。

だからいろいろな認識が深まった今だって、さらっと発言なんてできないのだ。
信頼をおく人に泣きながら早朝から愚痴をいうくらいでしかできないのだ。(本当いつもごめん)
長い月日の中で愛してきた自分のアイデンティティを捨てる気もないし。
だからって日本に生まれ住んできて思うことだって事実だから、
本当におかしいのは口を塞いでくる状況の方だから、
自分の顔面を殴るくらいの勢いで勇気を出して、ほんの時々、発言する。

だから、発言をしてもしなくても特に何もなく生きていけると言う特権を持った人に、
どうしようもなく嫉妬してしまう。



現実は、それが正しい形で、
もっとたくさんの人が発言してくれたらいいなと思う
むしろ、発言で存在が脅かされない人たちがたくさん発言してくれた方がいい。
そもそも数も多いし、そう言う人たちの発言や擁護はありがたい。本当です。

これは、ただ自分が発言のしづらい理由を、嫉妬から気づけたと言う話
私は思った以上に、みんなに嫌われないよう細心の注意を払って生きてきたんだ、と
なんだか改めて思いました。
それは好かれたいからとかではなく、存在するために。
そして多分そうするしかない人たちは、他にもいるのだろうな。


自分の存在の是非を問われることを想像して欲しい。
生まれ育った場所に存在すること自体が、
「賛成反対双方意見がある、ディスカッションの対象」であると言う恐怖を。
その中での発言の難しさを。

そう言うものがより大きく取り上げてもらえるようになったらいいね。
そして「差別されてるなんて聞いたことないよ!」と思う人たちは
そう言う発言しづらい現実があることを知ってくれたらいいな。

フレンチトースト食べたい。

今も鮮明にフラッシュバックをする。週末で人がごった返している昼間の新宿駅。JR東口の改札を出て階段を上がると、アルタ前に出る。その目の前の広場に街宣車が止まっていた。大きく日の丸が書かれた車からはニョキッとスピーカーが二つ生えていて、日本の童謡を流している。そこに被せるように、ただただ汚い言葉を叫んでいる男の声がマイクを通して響き渡っていた。

空は青くて、寒くもなくて、こんなにいい天気の中、泥の中でぐちゃぐちゃに踏みつけられたような言葉たちが、日本にいる韓国人、中国人に向けて乱雑に投げつけられていた。出て行け、迷惑だ、お前たちは人間以下だ、臭い。たくさんの人々が在日という言葉だけで括られ、蔑まれていた。街宣車の周りには数十人の集団が、同じような言葉を書きなぐった看板や「南京・慰安婦はでっち上げ」などと写真付きで書かれたパネルを掲げて、街宣車の男の掛け声に合わせて叫びを反響させている。地獄のよう。私は新宿で映画を見ようと思っただけなのに、テレポートして地獄についてしまったみたいだ。


街を行き交う人々はまるで街宣車が見えないようで、ちらりと街宣車の方を見たかと思えば何をするでもなく通り過ぎていく。こんな光景を、吐き気を催さずに意識からブロックしてしまえるなんて。

私はただ立ちすくんでいた。胃の奥底からムカムカとした何かが遡ってきて、全身が震えた。悲しくて泣くわけでも怒って叫び出すわけでもなく、ワナワナと震えるのみだった。体も動かない。声も出ない。私一人に対し、これだけの他人が、あったこともない人々が悪意を向けている。そんな状況に恐怖を通り越してただ固まるだけだった。存在が否定されている。そしてそれに異論を申し立てる人はここには一人もいない。感じたことのない孤独だった。


日本において、ヘイトスピーチは罰則の対象ではない。というか、厳密に言えば禁止もされていない。昔居酒屋の隣の席でヘイトスピーチをかましていた大学生に抗議したところ「法律で禁止されていないならそれほど悪くないということだ」と言われたのを思い出す。ただただ暴言の渦の真っ只中に立って、自分も他人も警察も、何もしない。



「ちょうさんですか、え、てことは・・・?」
「あ、はい、親が中国人で、国籍も中国です」
「ああ!そうなんですね〜、帰化はされないんですか?」

自己紹介でいつも繰り返される質問。同じように日本に生まれ日本で育ち同じ言葉を話しながらも帰化を一度も考える必要がない人が、考えたことなんてない人が、帰化はしないんですか?と聞いてくる。当然したいですよね?なんでしないの?と。かと思えば一方で帰化をするな、通名を使うな、我が国を侵食するな、文句があるなら国に帰れ、と叫んでくる人もいる。一度帰化の面談に行ったこともあるのだけど、年収や納税のことを聞かれ、住んでる場所に調査員が行って嘘がないか確認することもありますと言われ、ああ私はこの国の利益になると認識されなければ日本人に「していただけない」のだと思った。日本に生まれ日本の文化を愛し友達を愛し、毎年しっかり税金を払い日々を生きている私はこの国の制度にとって「日本の利益を不当に吸おうとしている害虫候補」なのだ。

何か大衆に反するような意見を言うと「チョーは大陸の血流れてるからな〜」と言われた。
昔好きだった人には「呼ぶとすぐくる中国人」と周りに紹介されていた。

だから、私は自分のことをずっと中国人だと思っていた。事あるごとに「中国人だもんな」と言われるし、旅行に行って日本に帰ってくるときは指紋を取られるし、みんなとパスポートの色が違ってビザも面倒臭いし、いつでも持っていないといけない「外国人登録証」を持っていて、うっかりなくすと親の顔が真っ青になるし。ずっと、お前は日本人じゃないからな、と言われてきたし、そうだと思って生きていた。中国語は日常会話くらいしか話せないし、おばあちゃんの家に年に一回行くか行かないかでしか中国を体験していないのに、自分は中国人以外の何物でもないと。だから国歌を斉唱しろと言われたとき、私には歌う権利がないと思ったし、「日本人はやっぱり」が枕詞についている会話は一瞬でチューンアウトしてしまった。

時々「いや、チョーはもうほぼ日本人だから大丈夫だよ」と言われることもあったけど、何が大丈夫なのかわからなくて全然大丈夫ではなかった。別に生まれたままみんなと同じように特に何も考えず日本の文化をグイグイ吸収して生きてきただけで、特に強く「中国人より日本人でありたい!」なんて思わなかったし、まるで日本人であることの方が偉いかのような言い方をされると、親族を馬鹿にされているようでいっそ腹が立った。誰が中国人でいたくないなんて言ったのか。



それなのにだ、ニューヨークに来た私はどうしようもなく「日本人」だった。そもそも日本語が第一言語だし育ってきた文化も完全に日本のものだった。周りも私を「日本の子」として扱う。日本で中国について聞かれると答えられないことばかりだったのが、日本のアニメや生活のことを聞かれて、答えに困ることは一切なかった。中国からの生徒がたくさんいる大学院で、文化や言語の明らかな差に私は戸惑った。あれ、私はどこに属しているんだ?26年間持っていた自分へのイメージがバラバラ崩壊した。見事なアイデンティティクライシスだ。それで改めてなんだったんだろうと思った。私が苦しんできたこのレーベルの意味はなんだったんだ。

ニューヨークでは、アジア人と友達になることが多い。これはこれで情けないのかもしれないのだが、やっぱり中国韓国日本あたりは文化が近いものだから、色々な文脈がきっぱり違うアメリカという土地において話が通じやすい。みんな米が好きなのでお互いに良いアジア料理を開拓して教えあい、助け合ったりしている。なんで日本ではこうならないのかな、マジョリティになった瞬間、人の心には何かが起きてしまうのだろうか。自分の育った文化をよく知り誇りに思うのは何よりだが、それをお互いに教えあって人生を豊かにする選択肢を選べない人たちがいるのはなんでなのか。同じバックグラウンドの人と話しやすいのだって当然だ。でもそれは排他的になる理由にはならないはずだ。




ヘイトスピーチを撒き散らす街宣車を見ながら、私は「殴ってくれればいいのに」と思った。実際に殴ってくれれば、ちゃんと罰することができるのに。殴られるよりずっと痛いのだから、早く殴ってくれりゃいいのに。そうしたら「そんなの極端な例なんだから無視すればいいよ!」なんて言われないだろう。今この車の前に飛び出して「私は在日中国人です」といえば、誰か殴ってくれるだろうか?そうすれば、交番から警察の人が走って出てきてくれるだろうか?そんなことを本気で考えた。

今コロナウイルスによっていろんな国でレイシズムがより可視化されている。「防衛のためだ」という言い訳が手に入ると人はどこまでも残酷になる。あの時私は殴ってくれよと思ったけれど、今実際に、誰かが殴られてもそれを世論が許すような世界に変わりつつあるのだなと思う。人種差別はウイルスへの対策にはならない。原因は感染してしまった人ではなくて病気自体。当たり前すぎて書くのも馬鹿らしい。みんな早く元気になりますように。被害が治りますように。誰かの無責任な行動の理由を「〇〇人は」と国籍に押し付けている人は、早く人間がみんな人間であることに気づきますように。手洗いうがいマスクしていこう。

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