8/12に正式にBAYCAMP 2020の開催延期を発表した。
まぁ、東扇島での開催がなくなった時点で、事実上、終わってしまったことではあるけれど、このコロナ禍では、開催自体が2020年のロックシーンとしては、重要なんだという思いで、一日で頭切り替えて気持ちだけは、前向きになり、チームBAYCAMPとしては、そのまま駆け抜けてきた。会場探しという点も、場所は自ずと決まってくれど、日程調整が最後まで難航してしまって、オールナイトをやれる、やらせてくれるところは、いまどこにも無くて。通常のフェスと同じ、デイ開催という選択肢しかありませんでした。
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今年でBAYCAMPは10年目、あれから10歳年とることになる。 震災から10年目。
川崎市東扇島東公園の最大の特徴は、あの工場夜景群だったり、羽田空港の発着する飛行機のランプだったり、巨大なフェリーだったり、吹き抜ける風を浴びながら、自由な空間となる公園内の会場で、大音量で、ノンストップで流れ続ける音楽。
日本を代表するロックバンドが、この10年で数多く出演してくれた。もちろんロックバンドだけではない。多種多様なオルタネディブなアーティストたちも多数参加してきた。
生意気にも、10年前は、いまの日本のロックフェスは、同じラインナップばかりで、巨大化しすぎて、、新しいイベントを始めるしかないっていう思いはあったんだけど、そもそもは、フジロックがはじまって、その夏のクールキャンプで興行的に失敗して。ライジングに感動して、いつかオールナイトロックイベントをやりたいって思っていた。
しかし、会社的にも一番凹んでたタイミングで、5000人くらいの中規模な理想的なロックイベントやろうってなって、、東扇島がなかったら、やってなかったかもしれない。いまの同志である

BAYCAMP実行委員会のみなさんのおかげで、2010年の夏に東扇島で開催したいとなり、そこから、会場調整がはじまって、、しかし、2011年も東日本大震災が起きてしまって、実際、イベントをやるべきなのか?ということになって、もはや、わがままで決行した初年度でした。
あれから10年。あの時、決行してなかったら、翌年は始まってなかっただろうし、いまがなかったと思うと、新しく始めたイベントに参加してくれたアーティストの皆さんには感謝しかないし、いまのライブシーンも少なからずかわっていたと思うと続けてよかったと思っている。お陰様でいまがある。

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東京初期衝動の全国逆ナンツアーが完結した。
このゴールは、リキッドルーム のワンマンとなった。初の全国ツアーとして、広島と高松も加え、全国を駆け巡る予定だった。多くのアーティストが早々にツアーを延期・中止を発表していた。正直、そんなつもりはなかった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の深刻な状況を受け、仙台の帰りの車の中で4月以降の残りを断念した。
残りをの4本はワンマンで行こうと決めて、全てがクリアになって、あらたな日程で動き始めた。これが最後のツアー。最高の初期衝動にしたかった。
本来なら、このバンドは春ツアー、ビバラほか、夏のフェスも充分狙えるバンドとして評価されていただろう。これは、すべてのロックバンドにあてはまる。ライブシーンで、頭角を現してきたたくさんのバンドが、活動自粛となってしまったのは、本当に痛い。コロナの波に呑まれ、活動自粛するもの解散してしまうものさえいる状況のロック界。
ツアーのキャパシティは、ソーシャルディスタンスを考慮した状態ながら、FEVERはそもそも発売前からキャパオーバーしていたのもあり、チケットは即日完売という状態ではあった。
バンドは、自粛中も何らかの形で、音をとめることはなかったし、久しぶりに生誕祭のライブでも確信していた。この時期にツアーをやる事事態は、ほかの数多くのアーティストの選択からするとかなり、例外ということなんだろうけど、東京初期衝動は、新型コロナ対策を最大限しつつも、ライブハウスでライブをやることを誰よりもこだわっていたし、抗体検査の実施ということも、誰もやってない自らの発案で決行した。
コロナの感染が再び蔓延している中でのライブの是非に関していえば、個人的な見解としては、ほかのすべての事業体が、日常を再スタートしているにもかかわらず、ライブエンタメに関してのみ、自粛を強いられていることは、理解しがたい現実であり、また世間というものにもっとも打撃をうけているのもライブというものである。ライブに行くということが、殺人機のような扱いは未だ変わらない。
そんな中でも、憮然とライブにむけて仕上げていくガールズバンドでありながら、ストイックさは誰よりも強い。まだまだ配信でしか再開できていないライブエンタメの世界。だからこそ、最善を尽くしてやり切ろうと決めた。ライブハウスと相談しながら、最大限のパフォーマンスを模索した結果。
名古屋と札幌は、前方はフェイスシールド着用という形になってしまった。名古屋を終えた時点で、ライブハウスを変えるしかないかという発想から、キャパを大阪と東京の会場を最大限とれるライブハウスに模索し、心斎橋ANiMAとLIQUIDROOMの会場が奇跡的キャンセルが出ていたため、変更することができた。
ツアー再開直前に、撮影したMV「SWEET MELODY」は当初4月に撮影予定だったものだったが、改めて完成できてよかったし、MV解禁とともに、かほの件も発表することができてよかった。
大阪を経てのリキッドルーム。
大阪で確信したのは、いま、これほど儚く、格好良いバンドはいないなと思えた事、今の終わりがあるからこその刹那の中、そこに一緒に歩めた事実。
ツアーの最後が大好きなリキッドルーム でやれることになったのは嬉しかった。提案した時は、ばかっぽくて面白いといってたが、リキッドルーム というライブハウスが彼女たちにとっては、まったく大きい会場であるとは微塵も思うことはなかったし、数々のライブバンドが立ってきたこのリキッドルーム  は、似合っていた。想像通り歴史に残るライブになったと思う。
この会場で当たり前に何回もライブをやらせてあげたかったけれど、そうできなかってのが本当に悔しい。一番思ってるのが本人たちなのだから、ガヤがいうことではないが、ここで出来たことは、ここで観れたことは生涯忘れないと思う。
そして、そのライブを支えた最高のスタッフたちに感謝する。素晴らしかった。おかげで、最大限のパフォーマンスを導くことができたと思う。もちろん、このような状況の中、信じてライブハウスに観に来てくれた人たちに、誰かの為に諦めた人たちにも感謝する。いつか、ぐしゃぐしゃのライブハウスで、リベンジできたらよいね。

東京初期衝動の全国逆ナンツアー
3/15 (日)岡山ペパーランド
3.20 (日)福岡graf
3/29 (日)仙台Flying Son
7/19 (日)名古屋HUCK FINN
8/02 (日)札幌SPIRITUAL LOUNGE
8/10 (祝月)大阪心斎橋ANiMA
8/16 (日)恵比寿LIQUIDROOM

8/6は原爆の日でした。
6月の沖縄の始まり、8月の広島・長崎の原爆投下の日、そして終戦という流れを生まれながらに、噛み締めて生きている日本人。
そして、しいて恨みなんか微塵もない、恨むのは、日本政府に他ならない。帝国主義。
武士の時代から、帝国主義になり、文明開花の進歩で、近代化していった日本帝国。
隣の国の植民地支配が成功し、島国で充分なのに、台湾や大陸に向かっていった背景はなんなのか。
戦争を考えるとやむ。

あ、違う違う大好きな広島のこと書きたかったんだ。

ツアーでは、何度も足を運んだことのある広島。
たくさんのエピソードも積もってきたけど、
そもそもは、修学旅行で、原爆ドームや平和公園にいったのが初だし、そのあとは学生時代の友達が広島人がいて、卒業して、すぐだったか?その友達に会いに広島に行くことになって、そのついでに、夢にまでみた、大林宣彦監督の聖地、尾道にいったときのはなし。
東京から、はるばる電車で尾道へ。
ここは、映画 「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」という尾道3部作であまりにも、有名で、当選、ロケ地見学ツアーを敢行。階段から転げ落ちてみたり、ほんと猫だらけだった印象だった。
日差しが、かなり強かったことを考えると、いまくらいの季節だったのかもしれない。
そんな、よくある観光を堪能したあとに、最後に訪れたのが、さらにあまりにも有名な喫茶店のMである。 撮影の際は、出演者の方々も、よく、訪れたといわれる聖地。
たしかMであってると思うけも。
その喫茶店を訪ねると意外にも、ガランもしてて、お客様はのカウンターにひとり。そんなに広くもないカウンターが、どんとあって、すこし2人がけのテーブルがあるような、昔の喫茶店の作りだったと思うけど、壁には、撮影で訪れた、映画俳優人の写真とか貼ってあったと思う。
で、店のオーナーらしき、人にどこからきたんですか?って訪ねられた記憶があって、出身は群馬で、みたいな会話になって、そのカウンターの方に、手招きされて、近づいていった、そのカウンターに1人座っていたのが、大林宣彦 監督でした。

今年、若くして永眠せれてしまった監督。
あの時の奇跡は、本当に忘れられない。
ありがとうございました。

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