※この話は、過去に書いたものでこのLINE BLOGで初めて1.17阪神淡路大震災のことを書いたものです!

DSC_1097.JPG今日で23年の時が流れた。

1.17阪神・淡路大震災があった日。

この日は、朝早くに下から突き上げるような縦揺れの地震、はじめは何が起きたのか解らず、飛び起きた。


テレビを見ると、神戸の方では悲惨な状況になっていたが俺には、ウルトラマンの特撮にしか見えなかった。


でも、それが現実だった。


俺が住む町では、震度4だったが被災地は震度7と想像絶する数字だった、この当時は。


神戸方面にいる俺の仲間達とも連絡が取れない。

テレビやラジオの情報が、入ってくる度に状況は悲惨になって行く。

建物や道路が倒壊し、そのうち町中が火の海になった。

でも、何も出来ない歯がゆさだけが残った。

地元の仲間達を集めて、俺が行動したのは震災後、もう10日は過ぎてた。

俺達は、車3台に別れて集まった資金で食料と鍋、ちょっとした衣類、タオル等思い当たる物資を集めて車に積み込んだ。


神戸方面に向かう道は、神戸方面に近付くにつれて渋滞が激しくなって、あげくには動かなくなった。


それでも、俺達は諦めずに前に進むことだけを考えた。

やっとの想いで被災地神戸長田区の近くまでこれた。

でも、まだ神戸の仲間達と連絡は取れない。

そんな中で、俺達はある小学校の近くで炊き出しを始めた。

他の人達も、やっててその人達と合流してすることになった。

体育館に身を寄せてた人達がやって来て
俺達が作った炊き出しを食べてくれた。


温かい炊き出しに少し「ほっ」としたのか、「美味しい」と言って笑顔を見せてくれた。


それは、ホントに小さい希望の笑顔だった。

そのあと、小学生低学年位の女の子がお母さんと二人で来たので俺は「もう大丈夫だよ!!熱いから気を付けてね!!」と笑顔で炊き出しを渡すと、「ありがとう!」と又、小さな希望の笑顔だった。


そうして、少しずつ希望の笑顔が増えて行ったけど、それはその一時の事だった。

そこに、本当の笑顔はなかった。


しばらく、俺はこの被災地に滞在した。

もちろん、車で寝泊まりして他の仲間が交代で地元に物資調達に行ってた。


そんな中で、俺はトイレが一番苦労した。

被災された方も、食料と同様に苦労されてた。


でもね、この事は忘れてはならない。

俺は忘れない。


あの、少女の一時の希望の笑顔を!!


そして、今現在、あの少女が本当の笑顔になってることを俺は心から願っている。


あっ、神戸の仲間達ね、ホントにしばらくしてからね連絡取れて、みんな元気だったよ!😁

その時ね、俺の携帯の電池切れてね、充電できなくてね、1ヶ月後位に家に帰って充電してからね、奴等と繋がったよ!😁


それから、又、1ヶ月後に奴等と会ったよ、神戸でね!!

俺達はもちろん、笑顔だよ!!😁






終わり








笑顔!!

STA!!







【笑顔STA日記部】











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by
Merryhiro