ベガルタ仙台の被災地訪問として南三陸町にきました。

初めて南三陸町の名前を耳にしたのは、自身がベルギー🇧🇪にいた11年前の東日本大震災の時。

多くの報道で現地の状況が伝えられて、その悲惨さや被害の実態を耳にしました。

今日この日までこの地に来ることはなかったのですが、
現地に来て、目で見て、現場の声を聞いてニュースではわからなかった空気感と感情に触れ改めて考えされられました。

町長が
『当時はスポーツの事なんて考える事はとてもできなかった。
でも今ではスポーツのおかげで勇気をもらい、前を向くきっかけをもらった』

と仰られていました。

この地では120年の歴史で既に大きな地震が4回あったと言っていました。

その都度大きな被害を出し、多くの死者が犠牲になったようです。

その後、町長の口から…
【地震そして津波と共存し、そして命を守っていく。】

この言葉を言っていた中には、この地でこの地なりの住み方に変化させていく。という決意の表れのように感じました。

サッカー界との繋がり⚽️
そしてベガルタ仙台と共により宮城県を盛り上げていく大きなキッカケになる今日になればいいなと思いました。

これからも強固な絆をもって繋がっていければ


↑↑↑チリ大地震1960年
パリ博物館と南三陸の場所との世界に二つのみ国外に持ち出されてらしいです。

↑↑↑がミュージアム3.11を伝えていく

町長が被災された当時にいた建物

想いを繋げて風化させない。


林 彰洋

2023.01.11