ぼくは争いや派閥が苦手です。
なので「非武装中立」という言葉は好きです。

けれど話が通じず、話し合いのテーブルにもつかず
いきなり暴力に訴えてくる人がいる限り、それは不可能であるとも思います。

なぜならば、そんな相手の前に飛び出して

「みんな!冷静に話し合いましょう!」と言ったその時には

たぶんぼくはもう死んでいるだろうから。

けれど国同士のレベルではない、殺傷能力の低い場所・・・
身近で小さなところではせめて、自分自身のSNSくらいだけは
ささやかに、他人に対して非武装のポジションでいたいです。

間違えないで欲しいのですが、
武器を持たないということは相手の言いなりになることでも、
我慢して攻撃に耐えることでも、
大切なもの全てを差し出して白旗をあげることでもありません。
野蛮な血を流すことなく
弁舌軽やかに圧倒的な対話力をもって、
知恵や言葉や芸術やペンで多くの人の心を揺るがし
毅然と誇り高く立ち向かうということです。

けれど、これは実はある意味、武器を持って戦うよりも遥かに難しいことです。
むかつく事を言われたらむかつく事を言い返してやりたいし、
死ねって言われたら死ねって言いたくなるし、
深く傷つけられたら深く傷つけてやりたいと思うし、
自分から見て間違っていると思う事があれば、
上から目線で説教かましてやりたくなるのが人間です。
ましてや言葉の暴力は眺めるだけでも、激しくHPを消耗します。
理不尽な攻撃を受けてフラフラな精神状態の人間が
気力たっぷり調子に乗って剣をぶん回している相手に対して剣も持たず
身体じゅう切り刻まれながらペンだけで説得を試みるようなものなのだから。

「非武装中立」を掲げていたはずの人が失言で袋叩きにあい
言葉の剣を投げて防戦しているのを見ても、いかにその実現が難しいかが分かります。
人は投げられた弾は即座に打ち返してしまう。自分の身を守るための本能、条件反射で。

けれどこんな同じ国の、同じ日本語を使う人間の
たかだか数万人すら華麗にさばけないようでは、
到底とても国同士の戦争など止められるわけがないのです。

襲い掛かってくる罵詈雑言に対して非武装中立を貫けず
飛んできた弾にイライラして打ち返してしまうと
戦争をやめよう、平和を守ろうという言葉は途端に色褪せてしまうし
その人自身の主張もどこか偏っているように見えてしまいます。
(※撃ち返したということは、撃ってきた相手の思想と反対だと捉えられてしまうため)
戦争より外交をと言った人の回りで小戦争が起きてしまうと、図らずもその人自らが
「戦争はなくならない」ということを体現してしまっていることになる。
それはとても勿体ないし悲しいな、とぼくは思う。

暴言はやんわりといなし
相手のストレスは受け流し、
けれどこれだけはやめてくれたら嬉しいと
言うべきことはきちんと真っ直ぐに伝え
なぜそんなことをしたの?と話を聞き
出来る限りの気持ちを救いあげ
根気よく問題点を話し合う作業をし

でも、それでも分かり合えない。
分かり合えるわけはないんだ。
だって元々嫌いなんだもの。
嫌いな奴の言葉が届くわけなんてないんだもの。
自分が病んで死んでも笑うような奴らなんだもの。
話なんて通じない、でも、それでも、それでも

銃を向けたら負けだ。

相手が無機物でない限りは持てる言葉の限りを尽くすその根気が、その努力が、

安易な暴言に頼ることのない真摯な言葉こそが、

針のように細い、平和へのただひとつの道標だと思うから。







『見よ、飛行機の高く飛べるを』

稽古に行ってきまーす!!!!


ことのはbox
『見よ、飛行機の高く飛べるを』
2月14日(水)〜2月18日(日)
@シアターグリーンBOXinBOX

チケット


チームジャックちゃんが読んだシンデレラ公演
『Cendrillon(サンドリヨン)』
3月21日(水)~4月1日(日)
@シアターKASSAI

チケット(2月12日より)






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🌸ふうこ🌸