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変わりたいのに変われない。何事も。宙ぶらりんのままの状態が続いている。何事も。仕事と同じで「できた(完了)」ことよりも「できていない(未完了)」ことに人は疲労を感じる。「まず吐き出してみたら?」と言って話をして聞いてくれた同僚に救われた。仕事がらみの宙ぶらりんなことをすべて片づけた。「昔の思い出を思い出してばかりいたら前に進めないけど、昔のUとの思い出があるからいま私は前に進めています」という昔のバイト先の先輩からのメッセージにも救われた。歩かないと景色は変わらないように、行動を起こさないとドアは壁のままだ。「夏前に会いたいです」という海外留学した大切な人からの連絡にも救われた。変わり続けていく彼女に背中をそっと押されるように僕も「なりたい自分」になろうと再び思えるようになれた。「御縁」は何もしなくても切っても切っても切れない関係ではあると思うけれど、行動を起こさなければ左記であるかは不明だ。どちらからかの行動に呼応する、呼応してくれたとき「あぁ、これって御縁」と確信できるものだと思う。繋がっていると思っていても行動しなかったり呼応がなければ、そこまでの御縁だったとスッパリ身を引くのが賢明で聡明。何事も。地道に継続的に細く長く小さく行動を起こし続けると、玲瓏な巡り合わせがあると信じたい。何事も。退社後、最寄り駅に向かうアーケードをくぐりながらふと上を見上げると、鮮やかな傘が咲いていた。
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今年も「御金神社」=「みかねじんじゃ」のお守りをもらった。裏面は「金」の字が反転している。その名の通りお金の神様で、参拝者は馬券や宝くじなんかを持参し祈祷するらしい。昨年を振り返えると、参拝に行った本人よりその周りの人にご利益があった?ように思う。長年、職を転々としていた親戚が一部上場企業の正社員になれたり、父の頭痛の種だった田舎のどうしようもない土地が売れたり。どちらも現金がダイレクトに転がり込んでくるようなことではないけれど、ご利益と言えばご利益かもしれない。西宮えびすの一番福を獲得した人は、その年不幸な出来事が連発するらしい。毎年ほぼ例外なく。その代わり一番福の周りの人たちには、とんでもなくハッピーな一年が降り注ぐそう。日本人が幸せを感じる瞬間や要素は「選択肢が多くある」ときやことだそうで、確かにお金は選択肢を広げてくれる力になる。しかし、その選択が必ずしも幸せに繋がっているかと言えばクエスチョンだ。最近のJ-POPの歌詞で、幸せとは「いまあることに気付くこと」とか「大切な人に降りかかった雨に傘をさせること」など、ほほぅ〜と思う解釈があるけど、僕は(未来に)幸せはないと思っている。いまがキツいなぁと思うとき「あぁ、あのとき(過去)って幸せだったんだなぁ」と思い返すものだと。遊びに行っていた中学時代、性の暴風雨にずぶ濡れになっていればよかった高校時代、寝てても単位が取れて、バイト代を全額つぎ込んでハイブランド品を買い漁っていた大学時代…。幸せは過去の産物。ずいぶん脱線してきたので本題に戻すと、今年一年は蛇口をひねると500円玉がジャバジャバ出てきて欲しい。
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閉店した「アトリエパーシモン」がリニューアルしたと神戸大丸に広告を出していたので行ってみた。結論から言うと、店内でコーヒーを出すようになっただけ。「リニューアル」でなく「再開」だ。古き良き昭和の時代の食器や徳利、お猪口、ガラス瓶にウヰスキーグラス、ブリキの玩具…。30年以上前であろう中森明菜、明石家さんま、渡辺満里奈のドーナツ盤にとびきりの苦笑いをした。昭和の終盤生まれとしては、懐かしいと言うより新鮮。昭和以前のものあるのかもしれない。ここではビールグラスや小瓶なんかを買ったことがある。よほどヴィンテージでなければ100円〜500円ほどで売ってくれる。値札がないのでレジに持って行って「これいくらですか?」と訊き、主人が「◯◯円でいいよ!」という「言い値」を取り入れている(ようなもの)。きょうは欲しいと思うものに出会わなかった。都市から来たような一組の円熟した夫婦がコーヒーを淹れてもらい、店内を懐かしそうに見渡していた。主人は嬉しそうにコーヒーを淹れ、古物の雑学を話していた。もうすぐ平成も終わる。振り返ったとき、新元号生まれに語れる「古き良き平成の◯◯」は、いくつ残せるのだろうと思ったら、なぜだか心咎めが襲ってきた。

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