朝イチでネカフェにきて、
昨晩アップした長文日記に写真をつけたので再度リンクします。





(21日目:モロッコ3日目)

(20日目:モロッコ2日目)


(19日目:モロッコ1日目)


(18日目:スペイン2日目)


(17日目:スペイン1日目)


(15日目&16日目:クスコ最終日)

(14日目:クスコ2泊目)


(13日目:マチュピチュ3日目)

(12日目:マチュピチュ2日目)

やばい!
今から移動です。いそげいそげ。




あ・ろ・は!!

これ、モロッコの彼氏です。↑

…いえ、なんかね、モロッコのマラケシュというところに今いて、
そこの市場に今日行ってきたのですが、

モロッカンスイーツ(モロッコのスーパー甘いお菓子)
を買いに行ったらおっちゃんに気に入られて、

500円分お菓子を買ったら、

おつり、そのまんま500円分かえってきました。

そのかわりにチュウされたけど。



なんかめっちゃ好かれちゃいましたよ!?

だってモロッコで500円ってかなりすごいですよ。
私の今日の宿、600円ですもの。

私の未来はモロッコにあるかも…!!
お父さん、お母さん、この国ではあちゅうは幸せになれそうです。

明後日、エジプトに発つけど。
エジプトにも、お菓子くれるおっちゃんいるかなぁ?


***

閑話休題。


今日は、今までで一番楽しい出来事がありました。
地元のハマム(大衆浴場)に行ったんですけど、

圧巻…。
圧巻っていうか、あれはなんだったんだろう。夢?幻?股間?
とにかくすごい経験でした。

詳しくは長文日記を書くときに書こうと思いますが、

この世の中にはこんな場所もあるのか、と思いました。
あんなに同性の股間に近づいたのは初めてです。

いろんな人の裸をみて、人類皆兄弟だと思いました。

(それはそうと、ブラジリアンワックスってすごいですね!!)


こういう話はグー公式ブログとしてはNGなのかしら?

来年から社会人だし、ネット上ではやめときます。イベントとか、飲み会とかにとっておこう、この話は。あーほんと股間でした。まさに。

ここから本題です。

さきほど、たまっていた長文日記をアップしました。
長文を連続アップすると読まれないのは承知の上で。

まだ写真を挿入できていないので、挿入後に再リンクします。
そしたら見ていただけたら嬉しいです。

写真のない旅行記って、読む気半減しますもんね。
やっと入れたネカフェの営業時間がまたせまってきているので、
文章アップとメール返信がやっとでした。

おかげでわかりにくいブログになってしまって大変申し訳ないです…。

***

お店のおっちゃんから、熱い視線(帰らないの?という目つき)をおくられているので、

では股。

(↑誤変換ではなく、心情をこめました。協賛商品のATOKは正常稼働中です)

あ!
PHP研究所からでているサイドバーの本、売れ行きが好調だそうでもう一踏ん張りで重版だそうです。

うー。

重版かかりたい。

この先数年、彼氏はいなくてもいいから、重版かかられたい。(←日本語が変)。

もしも心の優しい、1000円ちょっとお財布に余裕のある方がいらっしゃったらサイドバーにある「はあちゅうの20代でなりたい自分になるための~」って本、かって頂けたら嬉しいです。泣いて喜びます。もし重版かかったら、ここで股間の話もします。意味わかんないですね。酔ってません。強いて言うなら睡眠不足です。おやすみなさい。

マラケシュは今、23時半です。
日本の皆様は、酔い一日をお過ごしください。

う。誤変換。↑

では!


(21日目:モロッコ3日目)



壁のない屋上から、砂漠を見下ろしながら食べる朝食は質素だったけれど美味しかった。宿主のアリさんが、自らセッティングしてくれたテーブルには、無塩バター、塩こしょう、皮入りのオレンジのジャム、ハチミツ、パン、絞りたてのオレンジジュースが並んでいた。パンはモロッコの道ばたでよく売っている丸くて大きなパンを切り分けた物だ。

たまっていた日記を朝の5時まで書いて寝たのだけれど、そのせいで起きたら11時だった。それでも、砂漠ツアーの出発は3時なのでゆっくり出来る。久しぶりに頭が重くなるほどぐっすり眠れた。まだ日焼け止めをつけていない肌に紫外線が心配だったけれど、太陽が眩しくて、静かで平和だった。



朝食のあとはアリさんが宿の周りを案内してくれた。砂漠の真ん中なのに、野菜畑がある。地下からわき出るオアシスの水を、時間制で村人と使っていて、その水で畑を潤しているらしい。「この水は50世帯に行き渡っています」「これがニンジン、これがピーマン、あっちは小麦、これがカブ…」意外にも、野菜はかなりの割合で自活できているようだ。野菜畑を通り抜けて、砂漠の中にある学校を訪問して、小さな売店でアップルサイダーを買って宿に戻ってきた。ゆみが買った飲むヨーグルトは腐っていた。旅に出てからずっと、常温保存出来るヨーグルトにお世話になっているのだけれど、腐っていたのは初めてだった。砂漠の昼の暑さでそうなったのかもしれないし、もしかしたら古かったのかもしれない。嗜好品は高級だろうからどちらかというとツーリスト向けで、売店で現地の人が買い物をすることはあまりないのかもしれない。





アリさんが、途中、木の前で写真を撮って送ってと言ったので言われるままに数枚撮った。彼の娘さんとも一緒に撮って、協賛品のセルフィーですぐにプリントアウトしてあげた。



この街にはカメラはない。写真は高級品で、一生に数枚しか撮る機会はない。私があげた3枚の写真はきっとアリさんの大事な宝物になってくれると思う。重くても、プリンターを持ってきて良かったと心から思った。写真は人をつなぐ。写真を渡すと、アリさんはありがとう、ありがとうと言って、台所で従業員の人たちと取っていた食事に混ぜてくれた。羊肉とじゃがいも片を少しだけ食べさせてもらった。昨日の夕食と全く同じ野菜と味付けだったけれど、日本だったら物足りないはずのご飯もここではご馳走だ。砂漠では食事が出来ること自体がありがたい。



4時過ぎに宿を出発して、ラクダに乗って砂漠の真ん中のキャンプに向かった。サハラ砂漠の日の入りと日の出を見るツアーで、1泊350ディルハム。オーストラリアのエアーズロックツアーが1日2万円したことを思ったら破格だと思う。なんだか申し訳ない気持ちになる。



キャンプに着く頃には月が出ていて、まるで絵のような夜空は星の王子様の世界そのものだった。そこで、一緒にツアーに参加しているスペイン人と同じテントで、彼らの持ってきたワインやハムを食べながら夕食を待った。とても陽気なスペイン人たちは携帯電話で音楽をかけて、次から次へと持ってきた食糧を並べて歌って話した。スペインから持ってきたというハムも白いねっとりした脂の入ったチョリソーも、塩気がきいていて美味しかった。こんなふうに砂漠に食べ物を持ち込むなんて考えつかなかったけれど、次は絶対におつまみを持ってきたい。

2時間待った後、みんなで熱々のタジン(モロッコの煮込み料理)を囲んで、デザートのオレンジをほおばった。食後、小さいランプを頼りに、宿に置いてあった、日本語の本を読もうとしていると、外から歓声が上がった。キャンプファイヤーだった。

スペイン人の持ってきたコークとラムとオレンジジュースとミントティーで酒盛りが始まって、ガイドの2人が太鼓を叩いてくれた。満天の星空には流れ星がびゅんびゅん飛んで、地平線に落ちる。遠くに来たなぁと思って家族のことを考えた。

(20日目:モロッコ2日目)



7時にエル・ラシディアに着くはずだったバスは、13時前になってようやく目的地に到達した。カサブランカを出発したのは夜8時前だったから、かれこれ17時間もバスで移動し続けていたことになる。原因は、積雪だった。雪でバスが足止めをくらって、予定よりかなり遅れての到着になったのだった。

南米で、長距離バスでは寝られない体質だということを嫌というほど実感したので、前日ほとんど寝ないでおいたのだけれど、やっぱりバスでは数時間も眠れなかった。隣で10時間以上ぶっとおしで寝ていて、トイレ休憩でどんなに起こしても起きなかったゆみが羨ましかった。人が寝ているときに寝ていないと何か損したような気持ちになる。ゆみは雪が降っていたことも知らないらしい。

昨晩は恐ろしい寒さだった。私は筋肉が熱をつくるように、身体を硬直させてみたり、リュックに畳んで入れておいたサバイバルシートで身を包んでみたりいろいろしたのだけれど、がちがちなる歯と、凍っていく足の血をゆるますことが出来なかった。せめて凍っていく足をマッサージして溶かしたいと思ったのだけれど、前との間隔が狭すぎる車内ではそれすら出来ずに、ただもう早く朝がくればいいのに、と思っていた。聞き飽きたiPoで必死にお気に入りの曲を探しては順番に聴いて、夜をしのいだ。

朝になってから昨日市場で買ったオレンジ色のナンと、モロッカンスイーツを食べた。油とスパイスのしみたナンはしんなりしていた。温かかったらどんなに美味しかっただろう。休憩の時に、ザクロ味のヨーグルトを買った。蛍光ピンクのヨーグルトは見るからに着色料がたっぷりだったけれど、人工的な味はさびれた売店では逆に素朴で、その場に似合っている感じがした。 

エル・ラディシアに着くと同時にタクシーの客引きたちが次々に話しかけてくる。水色の洋服を着たおじさんが、中でもしつこく袖をひく。私たちがメルズーガを目指していて、経由地のリッサニまで行きたいと告げるとメルズーガまで送っていってくれて1人50ディルハムでいいと言う。

50ディルハムは正当な値段ですか、とバスで一緒だった英語の出来るおじさんに聞くと、それくらいだろうと答えてくれたのでその値段でまとまった。ホテルの人には、リッサニから電話をするように言われたけれど、直接メルズーガまで行ってからでも大丈夫だろう、とこの時思ったのだけれど、結局その後、タクシーに一緒に乗り込んだ水色の洋服のおじさんは客引きで、騙されて他のホテルに連れていかれたのだった。



私たちは、電話の受け答えが感じが良くて、地球の歩き方にも掲載されている予定の宿にどうしても行きたかったので、すでにクレジットカードで宿泊代とツアー代を支払ったと嘘をついた。親切そうだったおじさんは人が変わって、そんなに行きたいなら、タクシーの運転手に200ディルハム払え、と言う。200ディルハムは高いと思ったけれど、このままこんな嘘つきのおじさんのしょぼいホテルに泊ってたまるかと思って、払うとも、払うから連れて行けというとタクシーに乱暴に押し込まれた。今すぐ金をよこせと言われたけれどホテルに着かないと渡さないと頑張ると「払っても払わなくてもどうでもいい」とかなんとか訳のわからないことを言って去ってしまった。こういう客引きは、ホテルから宿泊代の半分のマージンを受け取るという。事前に行きたい宿を告げているにも関わらず、聞いてない、お前らは嘘つきだと罵られて本当に嫌気がさした。昨日見たモロッコ人の優しさはどこに消えたんだろう。

ようやくホテル「オーベルジュ・ロアシス」に着くと、今度こそ優しげな宿のおじさんが現れて、荷物を運んでくれた。背の高くてサングラスをかけたおじさんは宿主のアリさんだ。ホテルはさっき連れて行かれた宿の倍以上綺麗だったし、ちゃんと街中にあった。さっきのは街から少しはずれたところにあって、周りに何もなかったのだ。着いた頃にはもうあたりは真っ暗で、時計は7時を指していた。カサブランカからここまでの移動に丸一日かかってしまったことになる。ホテルには日本語の本もあったし、岡山県と大阪府から来ている日本人の名前が宿帳に書いてあった。彼らは今日は砂漠に行っていると言う。日本語の本を見つけただけで落ち着いてしまってどっと疲れが出た。



ダブルベッド1つとシングルベッド1つの部屋があてがわれた。トイレは洋式だったし、シャワーもちゃんと着いている。さっきの宿はトイレがアラビア式で汚かったし、シャワーは無かった。嘘をつかれて変な宿に連れて行かれたせいで、いつもの何倍もホテルにありがたみを感じてしまう。



夕食は8時からで、生のトマトとピーマンにお米を添えたサラダと、タジンという伝統の煮込み料理とオレンジが出た。初めて食べたタジンは温かくて冷えた身体にしみわたった。何の肉かわからなかったけれど臭みと脂身のないお肉とタマネギ、トマト、グリンピース、パクチー、卵が入っていた。後からそれはマトンだったと聞いた。羊の肉は臭みがあって食べられないと思っていた私には驚きだった。去年タイで羊のせいで人生初めての食中毒を起こしてから羊は避けていたのだけれど、どうやら私の羊嫌いはタジンのおかげで克服できたらしい。



その後、ぬるま湯と水が交互に出るシャワーで、洋服と身体だけを洗って寝た。正確にいうと、私だけまた起きてPC作業をしていたのだけれど。明日は砂漠にラクダで行って、テントに泊って日の入りと日の出を見る予定だ。星の王子様の舞台になった地も見れる。

本当は印象的な言葉で日記をしめたいのだけれど、良い言葉が思い浮かばない。今頃、あの嘘つきの客引きも砂漠のどこかで寝ているんだろうか。

(19日目:モロッコ1日目)



砂漠の国のイメージがあるモロッコだったけれど、イメージとは裏腹に、飛行機から降りたつと、ひんやりとした冷気を感じた。飲み物すら別料金のイベリア航空での1時間40分のフライトでカラカラになった体を一刻もはやく潤したかったのだけれども、思いがけず税関検査でひっかかる。

荷物をすべてここで開けるようにと言われ、朝にやっとの思いで閉めたお土産でパンパンのバックパックを開ける羽目になる。検査官は、サンダル、お土産、化粧品を次々と見た跡、使い捨てのコンタクトレンズをもって別室に行き、しばらくして帰ってきた。ノープロブレムでしょ、と言うと、カメラ用の防水ケースとプリンターを指して、これはなんだと問うた。説明すると、よし、行ってよい、と言う。カメラとPCは1人1台ずつしか持ち込めないとつたない英語で言われる。モロッコ内で売るのを防ぐためだという。

とばっちりをうけて稲田も「何を持っている」と聞かれていたけれど、荷物はあけなくてすんだ。ゲートを出て、ディルハムという通貨にお金を換える。稲田とゆみはバンキングカードでATMから引き出していたけれど、うっかり米国でしか使えないバンキングカードを持ってきてしまった私は、なけなしの50USドルをディルハムに換えた。日本円は残金3000円。トラベラーズチェックはUS140ドル分あるが、レシートがないと換金してくれないと言う。迂闊だった。なるべくクレジットカードで精算出来るところはして、2人から現金で戻してもらって乗り切る他はない。50USドルは426ディルハムになった。

市内では1本6ディルハムのミネラルウォーターを25ディルハム支払って買った。いくら空港とはいえ、取りすぎだと思う。アラビア文字のパッケージには22ディルハムという札がついていたから、空港でいきなり騙されたのかもしれない。

外でタクシーをひろって、1人100ディルハムずつ支払って、地球の歩き方に掲載されているユースホステルに向かう。道路は綺麗に舗装されていて、シティバンクやオラクルなど、一流企業のビルが次々と現れた。首都と勘違いされやすいカサブランカはビジネスシティらしい。(ちなみに首都はラバトという)近代的な町並みと、ベールで顔をかくした女性やローブのような伝統衣装をはおった男性のミスマッチが不思議だ。

30分ほどで着いたユースホステルは青いタイルで彩られていて、綺麗な造りだった。採光が良いので、建物内も明るい。フロントに誰もいなかったので、誰かいませんかと声をかけたけれど、人の気配がなかった。ハロー、ハローと声をかけながらフロントから3歩先のダイニングまで足を踏み入れると、奥から険しい顔の男性が出てきて、「お前ら何勝手に入ってるんだ」と怒鳴られた。予約はあるのか、お前ら誰だ。

あまりの剣幕に驚いて、この宿に泊る気を一瞬で無くしたけれど、とにかく重い荷物を降ろしたくてチェックインすることにした。ペーパーに名前とパスポートナンバーを書いて3人で190ディルハムの宿泊代を支払う。宿主の男性は泊ることが分かった私たちに一転優しくなって、「君はグッドイングリッシュを話す」などと白々しいことを言う。

私たちの目的地は砂漠の街、メルズーガなので、メルズーガまでのバスについて聞くと、ダイレクトバスは無く、近くの街までなら夜行バスがあると教えてくれた。これを聞いて、私たちの考えはふと変わる。カサラブンカは有名なモスクとメディナ(旧市街のマーケット)があるけれど、基本的にはビジネスシティなので、1日で見終えてしまう。次の予定地のエジプトまでの飛行機に乗るためにカサブランカにはまた帰ってくるので、日程に余裕を持たせるためには今夜のバスでメルズーガをあとにしたほうが良いのではないか。

とりあえず入れと言われた部屋に入ってもう1度話し合う。苦手なアラビア式のトイレとナチスのガス室のようなシャワールームを見てしまった私は早々と泊る気を無くしてしまって、夜行バスで今夜たってしまおうという結論に3人で至った。

ところが宿主はそれを聞いたとたん烈火のごとく怒った。事情を話したにも関わらず、お前らさっきまで泊ると言っていたくせに急に泊らないってなんなんだ、と口汚く罵られた。確かに急な予定変更で手間取らせた上に泊らないのは申し訳ないけれど、それに関してこっちは誠実に謝っているし、彼とは出会ってまだ5分だ。申し訳ないのだけれど、と事情を説明している私たちに対して、最大級の侮蔑の言葉であるFUCKとSHITを連発するのは大人げなさ過ぎる。最初彼はお前らに費やした1時間と無駄になった宿泊用紙に1人10ディルハムずつ支払えと言ってきた。実際滞在したのは5分だったけれど、1人100円程度でこの場がおさまるならば捨て金でもいい、しょうがない。

それでもよい、と言ったけれど怒りに我を忘れたおじさんは私たちがさっき記入した用紙をびりびりに破いてゴミ箱に捨てて、お金を投げるようによこすと「出て行け!出て行け!」とシャウトしまくった。言われるがままに出て行く私たちの背中に「お前の顔なんて一生見たくない」という捨て台詞が響く。ゆみが「こっちこそ見たくない」と言い返した。

ホテルを出て、バスターミナルまでの道を聞き、大通りに出ると、返ってきたお金を数えた稲田が200ディルハムある、と言った。なぜか10ディルハムおじさんは多くよこしてくれたのだ。訳の分からない人だったね、と話しながらタクシーを拾ってCTMバスターミナルまで向かった。朝からスナックしか口にしていない私たちは腹ぺこで、睡眠不足の頭はぼーっとした。税関では言いがかりをつけられ、ホステルではいわれのない怒りをぶつけられて散々だった。この国にウェルカムされていないのかもしれないと少々ネガティブな気持ちになってしまう。

ところが、午後はそれまでで悪運を使い切ったかのようにラッキーが続く。CTMは国営なのできちんとした身なりと言葉遣いの男性に丁寧にバスの説明を受けることが出来て、私たちの目指す砂漠に近いエル・ラシディアという街までダイレクトなバスがあることがわかり、クレジットカードを使ってバスチケットをスムーズに買うことが出来た。そして、公衆電話で行く予定のホテルに電話すると、きちんと英語が通じて、予定よりも長い2日間の滞在を許してもらえて、エル・ラシディアから次の街のリッサニから電話をくれたら迎えをよこすという説明もうけられた。

それから、ランチのチキンがこの上なく美味しかった。バスターミナルから徒歩5分の場所にあったレストランに入ったのだけれど、店先のショーウインドウで客の目の前で丸ごとあぶってくれるチキンは皮がパリパリしていて、ジューシーで、今まで食べたどんなチキンよりも滋養に満ちた味だったように思う。そこにチキンから調理中にポトポト落ちた油をつかった野菜とオリーブ入りのソースと、黄色いスパイスで色づけられたおかわり自由のライスと、お皿いっぱいのポテトがついて1人20ディルハム(約200円)。ライスには小さいスプーンがついてきたけれど、後は現地の人にならって手で食べた。ソースはすくってご飯にかけて、3人とも美味しい以外の言葉を交わさずにチキンの骨までしゃぶりついた。請求されたのはメニューにきちんと記載されていた地元の人と同じ値段で、ぼられることもなかったし、店員さんが皆陽気で、一緒に写真まで撮ってくれた。











レストランを出たところに、タバコ屋があった。面白いことに、ケースをあけて1本ずつ売っている。稲田が1本1ディルハム(10円)で買って吸っていると、地元の人がよってきて一口だけくれ、と言う。一口吸うと、握手したりハグしたりして、去っていく。

1人、自分の飲んでいたオレンジジュースを1口あげるからといって、タバコをもらっていってしまったおじいさんもいたけれど、稲田に何回も抱きついていて、楽しそうだった。タバコ1本でコミュニケーションが広がっていく。






モロッコはフレッシュジュースも有名だというから、ビタミンを補給するために、店員さんと目があったジュース屋さんでアボカドジュースを頼んだ。1杯10ディルハム。コンデンスミルクが入っているのか、まろやかで甘さが際だっていて、美味しかった。あまりのおいしさに、ゆみがバナナジュースを頼んだけれど、そちらも青っぽいバナナのフレッシュな香りと甘さがあいまって、たいそう美味しかった。

ジュース屋さんも陽気で、カメラを向けるとポーズをとってくれる。そこに、彼の友達の男性が入ってきて握手とハグをしていた。モロッコの男性は、皆一様に黒々と濃い眉毛と口ひげをたくわえている。そして、出会うと必ず握手かハグをする。入ってきた男性は少し英語が喋れて、モナックと名乗った。どこからきてどこへ行くの、と話しかけられて、答えると、アラビア語やモロッコのおすすめスポットなどを教えてくれた。彼はアラビア語、フランス語と少しの英語を話すと言う。

飛行機で2時間足らずの距離なのに、スペイン語は全然通じない。モロッコの公用語はアラビア語とフランス語で、フランス語の分かる人がいるのならスペイン語も単語レベルでは理解してくれるのかも、と思いきや「トイレ」(スペイン語では「バーニョ」か「セルビシオ」)という単語さえ通じなかった。

南米、ヨーロッパ、アフリカ、と3週間ほどでせわしなく移動してきたけれど、1回飛行機で飛ぶごとに全く違う世界に降り立つのは、本当に面白い。浦島太郎をふと思いだした。うろ覚えだけれど、確か竜宮城にはテーマの違ういろいろな部屋がなかっただろうか。それを順番に開けていくようなおもしろさが「世界一周」にはあると思う。帰国したときに、ちゃんと私が元いた世界がそのままあるといいのだけれど。

モナックはこれから市場に行くという私たちに、外国人だけで行くと値段をふっかけられるから、一緒についていって交渉してあげる、と言う。

雲行きがおかしくなってきた。モロッコの地球の歩き方には「自称ガイドにご用心」と書いてある。偽の身分証明を見せて、街をガイドした後お金を要求する人がいるらしい。でもモナックはたまたま入ったジュース屋さんにいただけだし、身分証もみせてこないし、身なりもきっちりしている。3カ国語を話す品の良いおじさんが、小汚い格好をした学生の私たちから数千円をまきあげようとするようにはとても思えなかった。おまけにジュース屋さんとグルになってまで。どこからみても良い人のモナックが豹変してしまってはショックだからこのまま別れたいけれど、もしかして本当にタダのいい人だとしたら、せっかくの好意をむげに断るのもしのびない。そんなふうに日本語で話しているとモナックはテーブルを立って、ジュース屋さんに挨拶して、一緒に歩き始めてしまった。途中、友達にあってハグをしているモナックを見て、徐々に警戒心もゆるんでくる。人を騙す人間だったら、一緒に気軽に写真に写ったり、友達を紹介してくれたりするだろうか。モナックとはすでに3,4枚一緒に写真を撮っていた。友達もたまたま会ったみたいだし、もし彼が私たちを騙そうとしているなら、街ぐるみで私たちを騙しているとしか考えられない。それならそうで、仕方ない、そんな心境になった。

モナックはお菓子屋さんではモロッカンスイーツの味見を頼んでくれたし、市場につくと、ヌガー屋さんと話して、ヌガーを一切れタダでもらってくれた。その後も稲田や私が、モロッコのお守りのファティマの手を買うときは値下げ交渉をアラビア後でしてくれた。ところが、市場の半分くらい来たところで、携帯電話で話して、急な仕事が出来たから行かなくてはならない、と言う。もしも次にカサブランカにくることがあれば是非また会おう、電話してくれ、と電話番号を告げて彼は去った。ただの一言もお礼を要求することなく。

本当に、ただのいい人だったのだ。私たちは感動してしまって、あんなにいい人はめったにいないね、と口々に彼を褒めそやした。もしも、東京でモロッコ人にあったら今日のお礼にうんと優しくしようと心の中で誓う。

ところが、めったにいないはずのいい人に、ものの数分でまたもや出会ってしまう。パン屋さんの店先の変わった色のナンをみつめていた私に話しかけてくれたのが、今年63歳だというアミッドさんだった。アミッドさんはナンの値段を聞いてくれて、私はネギが入ったオレンジ色のナンを2ディルハムで買った。彼は日本にハシモトという友達がいる、君たちは東京出身かなどと話した後、そのナンはミントティーと一緒に食べると美味しいといって、おすすめのカフェに私たちを連れて行ってくれた。

折しも通り雨が降り始めたので私たちはカフェで雨宿りをすることにした。アミッドさんは私たち3人に何が飲みたいかを聞いてくれて、3人分のミントティーを頼んでくれた。生のミントの葉っぱのたくさん入った甘いミントティーもモロッコの名物である。程なくして運ばれてきたティーは予想以上に甘くて、ちょっと私の口にはあわなかったけれど、食べ過ぎて気持ち悪くなった胃をすーっとひきしめてくれたようで、気分が良くなった。

アミッドさんは英語、スペイン語、フランス語、アラビア語、ベルベル語を解すらしい。公用語が2つあるモロッコではバイリンガル以上の人が多いと聞いていたけれど、祖父ほど年齢が離れたおじいさんが5カ国語を話すというのは日本ではまず考えられないことだろう。

アミッドさんも、親切にモロッコのおすすめの場所をいろいろノートに書いてくれた。そして、アルガンオイルを絶対に買うように、と勧めてくれる。アルガンオイルはモロッコの南部にしか生息しないアルガンの実からとれるオイルで、海外でも注目されている、と事前に調べていた。買いたいと思っていたのだけれど、広い市場ではどこで売っているか分からなかったのだ。そう伝えると、アミッドさんは私が良いお店を知っているからそこで買うように、とカフェの3軒先のスパイス屋さんに連れて行ってくれた。



そこは店先にはスパイスしか置いていなかったのだけれど、奥の方に行くと様々な化粧品や健康食品が置いてあった。バラから取れる美容液とよばれる「ローズウォーター」、日本でも有名な肌と髪に使える泥「ガスール」・・・そして、ザーサイのような色のぶよぶよしたペースト状の高級石けん「ブラックソープ」・・・練り香水、アルガンの石けん、アルガンシャンプー・・・次から次へと店の人と話して出してきては見せてくれるアミッドの説明を聞いているとどれもこれも欲しくなってしまって、3000円分以上をそこのお店で購入してしまった。もちろん前述のものは全て購入して、アルガン製品にいたっては、そこのお店にあったものをほぼ全て買ったくらいだ。店主の人は、ブラックソープと練り香水をおまけでつけてくれた。

とっても良い買い物が出来たね、と店を出て話すと、アミッドさんがもうそろそろ行かなくてはいけない、と言った。彼は市場で洋服を売っているらしい。アミッドさんが去ってから、さっきアルガンオイルを買ったのは彼の家族のお店で、実は巧妙な客引きだったりしてね、なんて冗談で話したけれど、本当にそうでも全然いいと思う。アラビア後とフランス語のパッケージは、私たちには全く解せない。もしアミッドさんがいなかったら、絶対にどれも買えなかったし、お店自体、一見するだけではスパイス屋さんなので、入れなかっただろう。





スパイス屋のおじさんも、アラビア語以外は全く喋れなかったし、そこのお店に買いにきている人たちは皆地元の人たちだった。地元の人たちが行く場所で、彼らが使う物を、正当な値段で手に入れられた。お店の人も私たちもアミッドも楽しい時間を過ごせてみんなハッピーだった。早くホットシャワーがきちんと出るホテルで今日買った商品を試したい。

市場から出ると、今日もマジックアワーが見れた。夕暮れの、ほんの数分だけピンクと水色が混じり合った幻想的な空が見える。その時間をマジックアワーというんだという。スペインでも見れたこの空が、数日続けて見れたことに感激した。この空を世界中で見たいと思った。まだ旅程は半分も行っていない。

(18日目:スペイン2日目)



昔見たミュージカル「アニー」の孤児院の子供たちみたいに、飛び起きた。どんどんという音と共に、部屋に入ってきた宿のおばちゃんは「もう12時よ、チェックアウトは11時よ」と叫ぶ。時計を慌ててみると、本当に正午を過ぎていた。やってしまった…本当なら8時には起きて、街に出る支度をするはずだったのに。
「もう1泊泊ります」と言うと、おばちゃんは、あらそうなの、と機嫌良く出て行った。もともと、ショッピングを満喫したくなった私たちは、節約のために2泊目は空港にという予定を早々に取りやめてもう1泊することを決めていた。


急いで顔だけを洗って、日焼け止めだけを塗って、宿を出た。今日こそは、旅に出て2度目の化粧をしようといきまいていたのに、遅刻のせいでそれもおじゃんだ。それでも、昨日あれほど興奮した街に出て行けるのにはワクワクした。そのまま、ゆみとブティック、ナッツ屋さん、ランジェリーショップ、ドラッグストアなどを見てまわった。途中、1時間弱、協賛企業の方ともお話しした。一応、安全の確認をメールや電話で頻繁にやりとりしている。スペインと日本で携帯電話で話せるなんて、なんてすごい時代だろう。








帰国後にイベントだったり、キャンペーンだったりで配る物やプレゼントが必要だからと、欲しい物や可愛い物、面白い物は躊躇せずに思い切って買っていった。お店のおばさんはスリに気をつけてね、とバッグを指して身振り手振りで教えてくれる。ほわほわの赤いお花のついたゴム、アンティークのような指輪、蝶々モチーフのネックレス、ちょっと高めのデザイナーズノート、リップクリーム、イチゴの香水、エコバッグ、キーホルダー、缶詰、チョコレート、はちみつの飴…たちまち両手いっぱいに荷物をかかえるはめになった私たちは、一度ホテルに戻って荷物をおいて出かけた。

昔、雑貨のバイヤーになりたかった時期もあった。世界中をめぐって可愛い雑貨やアクセサリーを買い付けて、いつか自分の小さなショップをもちたい、と。今はもっと欲張って、その夢は「夢のうちの1つ」になってしまったけれど。年をとるにつれて、夢は増えていくのに、残り時間は少なくなっていくから困る。一体どうしたらいいんだろう。この世界一周が終わったって、世界のまだ20%も見れてないだろう。全部を見終えるのはいつになることか。人間の持ち時間は案外少ない。

夜は美術館に行っていた稲田と待ち合わせてヘミングウェイが行き着けていたという由緒あるレストランで豚の丸焼きを食べた。ガスパッチョ、豚の丸焼き、チョコレートのかかったアイスがついて、35ユーロ。世界最古のレストランとして観光名所にもなっている割に安い。おまけに、予約無しで入れた。どれも美味しかったけれど、食前に飲んだサングリアで久しぶりにべろんべろんになるまで酔ってしまった私は、味に注意を向けるよりもただ笑って過ごしていた。酔いすぎて食べ物の味がよくわからなかった。なんであんなに酔ったんだろう。笑いが止らなくなるほど酔ったりするのは希なのに。マドリッドという街の夜に酔いたかったのかもしれない。







その後、昨夜も行ったタパス屋に少しだけ寄った。そこで、外国人フライトアテンダントのグループにあって、少し話す。私と同い年のスチュワートさんは、ワシントンを拠点に世界を飛び回っていて明日のフライトでアメリカに帰るという。

私も一時期、フライトアテンダントになりたくて、就職活動では外資系を含めた航空会社をいくつか受けた。もう1つ行きたかった職種の内定が先に出たので全ての会社の選考を辞退したのだけれど、もしも私がそちらの人生を選んでいたらどうなっていたかをたまに考える。もちろん、今自分が持っている選択肢のほうがより自分らしいことには自信があるのだけれど。人生の「もしも」を考えることは想像力を高めてくれる。



夜は更け、翌朝にフライトを控えた私たちは12時をまわる前に宿に戻った。震える体でお風呂場に行っても、安宿ではぬるま湯もどきがちょろちょろと出るだけで体を温めることは出来ない。日本のシャワーが懐かしかった。まだ3週間しかたっていないのに、もうずっと旅を続けているかのような感覚を覚える。



(17日目:スペイン1日目)



11時間40分のフライトで、一気に南米からスペインの首都、マドリッドまで移動した。マドリッドの空港は、今まで見た空港の中で1,2番に入るくらいかっこよいデザインだった。それだけでもう興奮してしまった。



空港から2回メトロを乗り換えて、中心地のソル駅に着く。約30分ほどしかかからなかったと思う。日本は都心と空港が離れているから、さぞ外国人にとっては不便だろうと思う。観光したくっても、あんなに都心まで遠くて複雑だと、困るだろう。

ソル駅から徒歩数分のところに、地球の歩き方に掲載されている宿がある。スペインの歩き方のマドリッドのところだけ破いて持ってきたのだ。この旅では本当に歩き方にお世話になっている。ちなみに、私の持ち歩いているバックパックも実は地球の歩き方の協賛品で、リュックにもキャリーにもなるという優れもの。キャスターがついている分、重量は普通のバックパックの1.5倍ほどあるけれど、まだこの旅ではリュックとして使用したことは1回しかない。つまりその分、ガラガラと引いて歩けるので、万年肩こりの私には、肩に負荷がかからなくて嬉しい。

でも、この日宿泊したホステルは3階にあったので、エレベーターのない3階分、大荷物を運ぶのは大変だった。背中にしょわない分、重さを気にかけないのでその分詰め込んでいる私のバッグは17キロくらいはあったと思う。

ホステルは老婦人によって気持ちよく整頓されていて、部屋を見てすぐに滞在を決めた。トリプルの部屋で、1泊1部屋51ユーロ。これも、ここが駅から徒歩2分だということを考えると破格だと思う。

稲田とは、6時に駅で待ち合わすことにしてゆみと一緒に街に出た。お土産、下着、化粧品、洋服・・・どれをとっても、本当にセンスが良くって可愛い。何を見ても欲しくなってしまった。南米ではシュールで可愛い物を求めていた私だけれど、スペインでの可愛い、は次元が違う。














数分歩くと、自分の格好が恥ずかしくなった。通りを闊歩するスペイン人女性は皆身長が高くて、可愛くて、オシャレだった。ミニスカート、ブーツ、カラータイツという秋の装いがキュートで、本当にみんな雑誌から抜け出してきたみたいだった。私はといえば高校生の時に買ったくすんだ緑のスキージャケットで、防寒用のユニクロのフリースを包んで、どろどろに汚れたジーンズを履いていた。おまけに足下はボリビアで買った1000円のすぐ紐のほどけるスニーカー。ちょっと惨めだった。「明日のためだけでもいいから、良いお洋服が欲しいね」とゆみと話し合うも、待ち合わせの時間まで1時間もなかったので、買い物は明日にまわすことにする。



行き違いがあって少し予定時刻より遅くなってしまったけれど稲田と6時半に落ち合って、日本料理屋「どん底」に向かう。ここは世界一周旅行で有名な作家兼自由人の高橋歩の本で絶賛されていて、絶対に行きたかった。けれども、店の前まで行ってみると、営業時間がなんと8時半からだった。この日はがっつり夜ご飯を食べるつもりでお腹がすでにぺこぺこだったので、その足で、スペインに滞在したことのある私の友人のお薦めするレストランに行くことにした。名前だけを頼りにやっとのことでたどり着いたそのお店はタパス屋さんだった。タパスとは小皿料理のことで、スペインではお酒を飲みながら一晩にいくつものタパス屋さんをはしごするのが普通だという。タパス屋さんはあとでくることにして、まずは適当に見つけたレストランに入った。

ここで、12ユーロのコースを頼んだら大変なことになった。前菜のパエリアだけでお腹が一杯になってしまったのである。そこに、大ジョッキに入ったサングリアと、ブルーチーズソースのかかったビフテキと山盛りポテトが私のオーダーだった。もったいなくて無理矢理食べたら後で胃がきゅうっと痛くなって難儀した。ヨーロッパのご飯のボリュームは恐ろしい。この量プラス、オリーブオイルをつけたパンを平らげられる欧米人って、一体どうやってカロリーを消費しているんだろう。体格が大きいのは納得がいくけれど、それにしても多すぎる。





パンパンになったお腹を抱えながらも、ちょっと覗いてみたいという理由から先ほど行かなかったタパス屋に食後に寄った。すると、日本人のグループが入ってきた。ロシアに住んでいて、バケーションで会社のメンバーでスペインに4日だけいるという彼らのグループに幸運にも混ぜてもらえることになった。言葉の通じない国では、英語や日本語に出会えるだけで嬉しいのだ。ましてや、日本人に会えるなんて本当に嬉しい。







彼らと小一時間飲んで、ありがたくお酒をご馳走になった後、ホテルに先に帰るという稲田と別れてゆみと夜のマーケットを見た。「お酒を飲むと甘い物が欲しくなるねえ」という話をしていると、都合良く老若男女で賑わうチュロス屋さんを発見。皆が食べているものをみると、油で揚げたチュロスをさらに熱々とろとろのチョコレートにディップしている。こんなにハイカロリーなものを深夜に・・・という罪悪感もほろ酔いな2人にはどうでもよくって、2人してお店に入って潔く平らげた。さっきまで胃が痛くなるほど食べたのに、お酒が入ると胃の感覚が麻痺したようで、また入る。




チュロスがお皿に5本ほどと、コーヒーカップ1杯分のチョコレートがついて約400円。安い。隣の席に座っていた日系アメリカ人に話しかけられた。彼女も、長期旅行中で、英語を教えながらお金を貯めてヨーロッパを旅しているという。反対側に座っていた人は、チュロスを鼻にさすような格好をして笑わせてくれる。人がたくさん集まる場所は温かい。それは世界共通だと思う。



お店を出たところで先ほどの日本人の方々にまた会った。きっと有名な店だったんだろう。

その後、今度は冷たくて甘い物が欲しいという話になって、マクドナルドでマックフルーリーを食べるという罪まで犯してしまった。

食べてすぐ寝たら牛になるという理由でゆみと明け方まで話した。たぶん、4時か5時くらいまで話していたと思う。話が家族のことに及ぶと、なんだかしんみりしてしまった。旅をしている間は、どうしても考えることは自分本位になる。旅行のこと、企画のこと、企画を終えたあとのこと、卒業して就職すること、これからのキャリア、結婚・・・。旅は自分を見つめる作業だというけれど、いろいろなものをそぎ落として自分のことだけを考えられるのは旅ならではの感覚かもしれない。これが日本だったら周りの環境とか家族の事情とか、そういうものが先に頭に浮かんでくる。

家族の話が出て、日本で毎日変わらぬ暮らしを営んでいるであろう母たちのことを考えると、異国でお酒を飲んで遊んでいる自分を省みて申し訳ないと思った。私が睡眠不足だのブログ更新が大変だのとあちこちに書くものだから、母はメールで春香ちゃんは頑張りすぎないようにと心配してメールをくれるのだけれど、本当は私より日本で着々と生活をしている家族の方がどんなに頑張っているかしれない。不思議の国のアリスのような気分で行ったことのない国を渡り歩く私の毎日は現実離れしていて、たまに現実逃避をしているような罪悪感を覚える。私は、せめて自分で始めた企画をどうにかハンドリングしないといけない。本当は愚痴らないでやるのがかっこいいんだろうけど、心配させたがりだから、毎回つまらないことを書き加えてしまう。本当は協賛企業をつけて世界一周をしている今は、夢が叶っている真っ最中なのだからもっと自分の環境に感謝して、飄々としていたいのだけれど。

(15日目&16日目:クスコ最終日)











この日は、南米で一番美味しいご飯にありつけた。南米で一番といっても、それは日本食をのぞいての話だけれど、3人で行った中央市場で地元の人に交じって食べた昼ご飯はたいそう美味しかった。そこは屋台がたくさん集合していて、食べたい屋台のカウンター席でめいめい自分の食べたいものを食べる方式だ。席は移動できないから、別々に食べた。





稲田は「はまってしまった」というサルタドという肉、タマネギなどの野菜、フライドポテトを炒めた料理を、私は一番混雑しているように見えた屋台で皆がオーダーしていた牛すじの煮込みとマッシュポテトとフライドライスのセットを、ゆみは魚のフライを。食べたあと、八幡に戻ってチェックアウトして、ゆみと稲田を見送ってから私はロイヤルインカに向かう。



タクシーに乗る前、稲田は大麻を売りつけられていた。どこから沸いて出たのか、背の高い男が八幡に戻る時と八幡から出たときの2回とも陰からすっと出てきてブロークンイングリッシュで大麻を買わないかと稲田に持ちかけていた。女の子は眼中にないのか、私たちには目もくれなかった。



数日前、日本では慶大生が大麻で捕まったらしい。稲田は買わなかったけれど、まさかこんな真っ昼間から大麻売買現場に出くわすとは思わなかったのでびっくりした。世界一周者には麻薬に携わったことのある人が多い。あたりまえのように日本では禁止されているドラッグをまわす日本人宿もあるし、海外ではそういうものが手に入りやすいから、旅行中にそういうものに手を出す人も多い。

私は人のことはとやかく言わないけれど、自分はそういうものは体に入れたくない。これはいい子ぶっているわけではなくて、女の人は将来、赤ちゃんが出来たときに昔から体にためこんでいた毒がそのまま赤ちゃんに出ると聞いているので自分の子供を馬鹿にしたくないという理由でやらない。

ただでさえ私の遺伝子を引き継ぐのに、ドラッグなんか追加したら私の子供はどうなっちゃうんだろう、と思う。実は風邪薬とかも、むやみやたらに取らないようにしている。着色料や添加物まで気をつけているわけではないけれど明らかにケミカルなものは良くない。というか怖い。

タクシーに乗り込むゆみと稲田を見て、どうか無事につきますように、と心の中で祈った。南米を陸路で移動するのは、空路の100倍危ない、と保険会社の人が言っていた。10倍は大げさだし、南米といっても、一部の地域を除けば実際そこまで危ないわけではないのだけれど、やっぱり私の方が空港から空港の移動であるということで断然安全な道を行く。本当に大げさだけれど、見送るときは少し涙ぐんでしまった。

二人と別れた私は、八幡の近くのアトリエで絵を描いているクスコ人に追いかけられたりもしつつ、無事ホテルにたどりついて、その後は、食糧を買う以外に外に出ないで徹夜でネット作業をした。本当は、返したいメールや、まとめたい事柄はたくさんあったのだけれど、ネットのスピードがかなり遅くて何度もフリーズして、結局やりたいことの3分の1くらいしか終わらせられなかった。

寒かったので1晩で3回シャワーを浴びて、朝ご飯を6時に食べて、11時にホテルを出発。クスコからリマまで1時間飛んで、リマ空港で無事にゆみと稲田に会えた。空港ではウユニ塩湖で会った関西の大学に通う男の子と再会して、NYに夜の便で向かうという彼と小一時間話してから別れた。稲田は彼と共通の友人がいたみたいだ。その友人は私と春からの就職先が同じでもあるらしい。世界は広いけれど、世間は広いようで案外狭い。

(14日目:クスコ2泊目)



午前中に、日本人宿「ペンション八幡」に移動した。高山病再発のゆみは具合が悪くなってしまって、前日に金太郎で会った中国系イギリス人の女性のとのランチの予定はキャンセルになった。ちなみにこの女性は、仕事を辞めてグアテマラで数ヶ月ボランティアをしていたのだという。クスコではツアーに入っているけれど、比較的自由なツアーなので、久しぶりにお米が食べたくなったといって金太郎に居合わせたのだった。あなたたちの食べているものは何、という質問から会話が始まった。旅人というキーワードがあるだけで、いつでもどこででも仲良くなれる。







この日は、翌日バスで24時間かけてリマに行くという稲田&ゆみと、もう1泊クスコに泊ってネット作業をしたい私は別行動することになった。協賛金をもらっているからといって余分にお金があるわけではないけれど、旅行と同じくらい企画を大事に思っているし、バスの中で眠れない私は、長距離のバス移動では不毛な時間を過ごすことになってしまう。

24時間ただ座って揺れているだけだったら、100ドルちょっと余分に払っても飛行機で数時間で行くことにして、インターネットの使えるホテルでゆっくりネット作業でもしようと思った。ホテルは居心地がよくてワイヤレスが使えたロイヤルインカに戻ることにして、ホテルと飛行機をブッキングした。

その夜は、また金太郎に集合して八幡に宿泊している日本人の方数名とご飯を食べた。食べたかったのは魚だったのだけれど、今日は魚がないと言われたので2日連続で美味しかったかきあげ丼を注文した。丼を食べながら、幼稚園の先生をやめて一人で世界一周をしているゆきさんとサラリーマンをやめて世界一周をしている三枝さんのお話を聞く。二人とも私たちとは逆のルートで、ヨーロッパ、アジアを先にまわっている。





(↑味の素様協賛の「つやや」。日本食屋さんではお味噌汁にいれて、ホテルではお湯を頂いて、ほんだしとまぜて即席おみそしるもどきをつくっていますが、私の旅人生の中で希なくらい、肌の調子がいいのは、絶対これのせいです。断言。水が変わって、こんなに寝て無くて、イライラもたまにあるのに、肌つるつるですーちょうど飲み始めて3週間なので効果が実感できる頃だと思い&実感しているので、宣伝してみました。イベント参加者の方でまだ飲んでみてない方は是非試してみてください♪)

ゆきさんはスペインでカメラを盗まれたことやフランスでセクハラに遭ったことなどをおもしろおかしく話してくれた。三枝さんはおすすめのブログを教えてくれた。2人に頼んで、卒業制作用のビデオを撮らせてもらった。旅人に「なぜ旅をしているのか」を話してもらっているのだ。ゆきさんの回答はずっと世界一周をしたかったからで、三枝さんは世界を見たかったから。たぶんどんな人に聞いてもこれ以上の答えって帰ってこないんじゃないかと思う。世界一周だって、している最中よりも、実は帰国してからの方が自分の変化には気づきやすいはず。



私の理由も「世界を見たかったから」と「一気に廻れば効率がいいから」の2つになる。でも、直接的なきっかけ、つまり思い切って旅に出てきたきっかけの出来事なんかは、それぞれ違う。実は動画の絵コンテはまだ出来ていなくって、どういうふうに使うのかはこれからゆみと練らなければいけないのだけれど、そのヒントも、インタビューの中から見つけたいと思っている。協力してくださる方それぞれの色がちゃんと出せるように、頑張りたい。


(13日目:マチュピチュ3日目)



起床後、9時に予約していたマッサージに行って、インカマッサージというものを受けた。

この世界一周企画の一環で、「世界で綺麗になる」というコンテンツを帰国後につくりたいので、美容系のもの(マッサージ、ご当地コスメなど)は積極的に試そうと思っている。インカマッサージは、普通のマッサージとどう違うのだろうとわくわくしながら行ったのだけれど、なんということはない普通のマッサージで、ただクリームを塗って、全身をマッサージしてくれただけだった。特別下手でもなかったけれど上手くもなくて、つまらなくてうとうとしていたらいつのまにか終わってしまった。

会計のときになって、予約時とは違う値段を提示されたり、使えると言われたクレジットカードが使えないとか、使えるけれども4%の使用料がいるなどと向こうの言うことがコロコロ変わって少しもめた。最終的に、もともと70ソルだった料金を75ソル払うことでなんとかマッサージ屋を出られた。たぶん、悪い人たちじゃなくて、語学が出来たらもっとコミュニケーションもスムーズにいっただろうと思う。

マッサージのあと、駅に直行して、トウマさんを待った。今日の鉄道でマチュピチュに着くと、前日にメールで確認していたので、迎えに行ったのだ。無事に会えて、一緒に早めの昼ご飯に行った。



10ソルの「メニューエコノミコ」を注文。経済的な、という名前通り、スープ、もしくはサラダ、メインディッシュ、食後の飲み物がついてこの値段。クスコなどに比べると高いけれど、マチュピチュは観光地だから仕方がない。私はますを頼んだ。ます、(トゥルチャ)はここらへんの名物で、どこのレストランでも出してくれる。





トウマさんはご飯をほとんど食べなくて、アボカドが半分どーんと入ったサラダも、メインのオムレツもほぼ私たちにくれて、自分はビールの瓶を3,4本あけていた。すごい。トウマさんの体ってどうなっているんだろう。食後は電車の時間までぼーっとした。

途中、トウマさんの顔見知りのスペイン語の出来る女の子が通りがかった。彼女はスペイン語堪能で、一人で旅をしているのだという。この人とは、その後クスコで泊った日本人宿「八幡」で再会した。八幡ではプーノのマンコカパックインで会ったカップルで南米旅行をしている人たちにも会えた。旅人はぐるぐるといろいろなところで再会する。日本人宿を使っていたら尚更だ。これが世界一周、もしくは長期旅行でしか培えないネットワークになっていて、情報は人を介して大陸を巡る。大昔、インターネットもテレビも無かった時代もこういうふうに旅人が情報を運んでいたんだろう、なんてことを考える。



帰りの電車では、たまたま「ブルックリン」とかいたTシャツを来ていたことからアメリカ人に話しかけられて、仲良くなって一緒に写真を撮った。マイアミに来たときは絶対によってくれ、と誘われた。その後、本当にメールが来たからびっくりしたけれど、旅先でこういうふうにいろいろな国の人と出会えるのは嬉しい。





(どさくさにまぎれて自著と協賛企業商品のカスペルスキーとATOKの宣伝をじみにする私↑)


アメリカ人のグループが降りてしまってから、乗り合わせていた日本人の旅人2人とも話ができた。転職前のブランクをずっと旅にあてている早稲田の卒業生の方と、運良く長いお休みを取れて南米に来ているという公務員の方だった。彼らもたまたま電車で会ったのだという。

その夜は、トウマさんに「今まで行った海外の日本食屋で一番美味しい」と太鼓判を押されたクスコの「金太郎」でご飯を食べた。







たまたま南米でレストランチェーンを展開している人や、彫刻の賞を何度も受賞して、政府から奨学金をもらってペルーで生活している人たちにも会ってお話し出来た。レストランチェーンのオーナーのコニシさんが、その場にいた人全員に赤ワインを奢ってくれた。名刺ももらったから、数年後に行ってみようと思う。その時は、誰と行くことになるだろう、なんて考えた。次回南米に行けるのが何年後になるかは、まさに神のみぞ知る、というところだと思う。

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