文章を書くことを生業にして、どれほど時間が経っただろうか。
これまで30職種以上の仕事を経験してきた私にとって、一番長く続いてる職業になった。
 
これまでやってきた仕事の多くは、ある程度自分の中で達成感が得られるようになると、すぐに次の仕事への興味が湧き、気づけば転職の繰り返しだった。

多くは、会社なり集団なりに属している形であったのも一つの原因かもしれない。しかし、それを踏まえてみたとしても、これまでとは比べ物にならないくらい、今の仕事は全くもって飽きる様子がない。

どんだけ仕事が多忙を極めようか、どんだけ今日はもう書きたくないと、自分の中のガキんちょが駄々をこねようが、結局は何かしら文字を紡ぎ文章を書き続けている。

どうして、これほどまでに続くのか?

収入面においてしがみつきたいとか、そういった理由ではない。

まず言えるのは、今に至るまで、自分が書いた文章が本当によく出来たと思えたことが一度たりともないということだ。

正確にはそんな時期もあったかもしれない。あったとすれば、書き始めたばかりの頃だろう。今読み返すと、恥ずかしいくらいに、稚拙な文章のオンパレードだが、当時の自分には、それが個性であるとか、他にはない書き口だとか、そういった謎の自信があった。

個性は大事だ。しかし、それを踏まえても、あの頃の自分の文章は、読むに耐えない恥ずかしさがある。

文章を生業にして、これまでに様々な先輩や、編集者、そして仲間に出会ってきた。今となっては、自分も指導する側に回ることもあれば、編集を担うこともある。
一方で、今も様々な方に、自分の文章を見てもらう機会がある。そのおかげで、自分の文章がいかにまだまだであるかを感じることができていると思う。

そして仕事柄、多くの他人の書いた文章に触れる機会もある。昔とは違った視点でも読めるようになった。いや、むしろ読むようになったというほうが正しいだろう。
かつては、本を読むのが速い自信があったが、最近は読むのにかなり時間がかかるようになってしまった。

原因として考えられるのは、推敲や校正・校閲をする機会も増え、「てにはを」ひとつとっても、丁寧に読むようになってしまったことがあるのだろう。以前なら気づかなかったような、わずかな文章の深みにも目がいくようになった。

そうするとどうだろう。以前に増して、さらに自分の文章に納得がいかなくなっていく。時を重ねるたびに、自分の文が日々下手くそになっていってる感すらある。

スランプなのだろうか。

文に迷いが出るようになると、むしろ始めたばかりの頃の稚拙な文章の方がよっぽど勢いがあって読み応えがある。
文に迷いがないとしても、まるでどこかで借りてきたような文章が並んでいるようで、自分の文が駄文にしか見えなくなる。

こんな闘いを毎日繰り返しているが、それでも文章稼業を飽きることがない。

それは、自分自身が欲深い人間であるからだろう。

これまでの仕事は、ある程度慣れてくると違うところに欲が向く。言うならば転職プレイボーイだ。

ところが、文章稼業はどれだけ続けていても、いっこうに自分が上手くなっている実感がないため、毎日が「上手くなりたい」の繰り返しなのだ。私はただ、その「上手くなりたい」という欲求にすがり続けている。

自分にとって、師匠のような存在が数人いるが、どれだけ時間が経っても彼らを超えることができない。超えるどころか、むしろ引き離されている感すらある。

上手くなりたい。上手くなりたい。

私はただ、欲深き人間なのだ。

だから、この欲が満たされるまで、書くことはやめないだろう。もし満たされる時が来るとしたら、その時は最高にうまい、あのカツカレーを食べに行きたい。
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