昨晩、ふとつけたテレビの中で明石家さんま氏が、インタビューを受けていた。これまでもよく語っていたことだが、氏は落ち込むことがないらしい。

理由は自分を過信しないから。人はもっとできたはずと自分を過信するからこそ、後悔をするのだと氏は語る。

そう思えたら、楽なのだろう。しかし、それでも人は落ち込む。かくいう私も毎日、落ち込んでばかりだ。

さんま氏は、たびたび人の人生に影響を与えるような発言をする。自らの娘に、座右の銘である生きてるだけで丸儲けをつけたのは、有名なところだ。

人生の最高潮はいつなのかとの質問に「今日」と答えていた。毎日が昨日までの積み重ね。それまでの自分があるから今の自分がある。だから、今が最高潮の自分なのだと。

憧れる言葉だ。



私は明日が最高潮でありたいと願い生きている、いや生かされている。

後悔をしない人生を歩みたいとの言葉をよく聞く。死ぬ瞬間に、後悔をしないために、毎日の選択を最善のものにし、毎日ベストを尽くしたいと。

私は死ぬときに後悔する人生を送りたいと思っている。これはこれまでも何度も言ってきたことだ。向井秀徳氏で言うなら「繰り返される諸行無常 よみがえる性的衝動」並みに繰り返し言ってきた。

もし明日、欲しかった椅子が手に入るなら?
もし明日、ずっと会いたかった人に会えるなら?
もし明日、大好きなあの子とデートできるなら?

もっと小さいことでもいい。

もし明日、雨がやんで晴れるなら?
もし明日、雪が降りつもり真っ白な街が見れるなら?
もし明日、長く苦しんだ原稿を書き終えるなら?
もし明日、笑えるなら?

どんなことでもいいのだ。明日も生きていたい。そう思える人生を過ごしていたいのだ。

告白をして成功したら明日も生きたいだろう。
告白をして失敗したら明日は違う恋に生きたいだろう。
仕事で成功したら明日はハッピーな気持ちだろう。
仕事で失敗したら明日は挽回したいだろう。

後悔のない人生なんてまっぴらだ。死ぬときはあれもしたい、これもしたい、もっとしたいと叫びながら死にたい。死にたくないよと、煙草をくゆらせながら涙を流したい。それでいい。いや、それがいい。

そう考えると、さんま氏の言う「毎日が最高潮」は理想だ。

しかし、今日が人生の最高潮だと他人に言われてしまったらどうだろう?きっと絶望の淵に立たされると思う。あとは転がる石のように、ただ下っていくだけだからだ。

しかし、もし最高潮が明日なら、太陽が昇るのが待ち遠しい。

誰かに言われては絶望だが、自分で思うならハッピーだ。だから、あくまでも自分の胸で自分に打ちつければよいのだ。トントントンと。

私は今日が最高潮だとは思っていないが、少なくともさんま氏のように明日が今日より良い日だと、そう思える毎日でありたいと思っている。

毎日、最善の選択もしたいし、ベストを尽くしていたい。出来ない時ばかりだが、そうしていたい。そうして今日を終えなければ、明日を待ちわびることが出来ないからだ。



街は少しずつクリスマスムードに包まれている。幼き頃、良い子にしていればサンタクロースがプレゼントを届けてくれると言われた。毎日、良い子にしていれば、クリスマスがとても待ち遠しいのだ。

そして、クリスマスがやってくれば、翌年も良い子にし続けていることでプレゼントがやってくるのだ。成功体験とは、幼き頃に熟成されるのだろう。

しかし、いつからサンタクロースは私のところにやってこなくなったのだろうか。

あの時の気持ちは今も胸にある。もしかしたら、今年は来るかもしれない。もし、そうならばなんと最高なことか。良い子にしていよう、そう思える。

街角にはクリスマスツリー。雨は夜更け過ぎに雪へと変わる。

今夜も明日を待ちわびるように眠りたい。

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