今日は土曜日。ここ最近は、土曜日になるとプツリと電池が切れたように身体が動かない。それでも僅かばかり溜め込んだ仕事をするのだが、休日というのがいかに大切なのか、フリーランスになってから切に思う。

LINE BLOGをはじめてから、数日が経った。珍しく途切れずに書いていたかと思えば、ここ2日ほど書かずにいた。

徐々に最初の頃にがんばって続けていた人たちも、三日坊主よろしくとばかり、書く手が止まってる。紙の日記と比較すると、ブログというものは書かずとも空白のページができることはない。

中学生の頃だろうか、日記を書こうと思い立ち、新聞配達のバイトで貯めたお金で日記を買った。確か最初に買ったのは2種類の日記だと思う。1年間書くタイプと、10年間書くタイプ。今も複数のブログを立ち上げていることを考えると、人間とは本当に変わらないものだ。

紙の日記を買い、正月から少しずつがんばって日記を買いていた私。記憶が定かではないが、10年タイプは未来の自分への手紙のようなもの。もう片方は、単なる日記とはちょっと違って物語のような物を書いていた気がする。

コンセプトを決めて、何かをするのが好きなこと。そして、書くことが好きなこと。本当に今のままだ。

そして、紙の日記は徐々に空白のページが続き、やがてほぼ真っ白が続く日記に嫌気がさし、書かないままにダンボールの片隅に追いやった。

ブログが良いのは、空白のページが続かないことだ。再び書けば、そこが前回からの続きになる。


毎日書くのが得意な人は、続かない人を揶揄する。

何でもいいのに、何で書かないのか?
自分で敷居を高くしているのではないか?
書かないと書けなくなるぞ!

正直、余計なお世話ではある。太宰の友人なら「いばるな」と言うだろう。

自分ができることが、他人にできないと、なぜ出来ないのかと人は言う。言われた側からすれば、何を上から物を申しているのかと思う。

これが仕事における上司であれば、同じ戦場にいて、かつやらなければならないことであるため、まだ理解はできる。しかし、そうであっても、人はそれぞれ違うのだ。

ましてや、誰でもない存在するかどうかも分からない他人を指して「なぜ続かないのか?」と言うのは、冷静に見ると、随分と自己顕示が強いと思ってしまう。

人は威張りたいのだ。

かくいう私もそうだ。自分が当たり前にできることを他人ができないと不思議に思い、なぜ出来ないのかと宣い、そして苛立ちもする。

出来ないのものは出来ない。出来ないままでも人は生きていける。

そして、出来るようになりたいと願い教えを請う人に、ほとんどの人が適切なアドバイスは出来ない。

アドバイスしているつもりでも、それはあくまでも自分ならば出来るというノウハウ。それが出来ないから、教えを請うているのだ。そして教えたにも関わらず、出来ない人に、また言うのだ「なぜ出来ないのか」と。

ブログなど続かないなら続かなくてもよい。出来ることを1つでも探し、毎日それを続けるほうがよほど人生では大切だ。

妻に愛してると手紙を毎日書くのは大変だろう。しかし、静かに抱きしめ、愛してると言うことは出来る。

友人に毎日どれほど大切な存在なのかを書き連ねていくのはこっぱずかしいだろう。でも、名前を呼びおはようと言うのは出来る。

毎日自分の大きな野望を手帳いっぱいに書くことは骨が折れる。今週末に何をしようと小さな野望を抱くことは出来る。

出来ないことを出来るようにするのではない。出来ることを出来るように続けていけばいいのだ。

なぜ出来ないのか?は愚問だ。何が出来るのかだ。

もし、出来ないことを叱責されたら心で「いばるな」と叫べばよい。いま、ふと遠いところから私宛に誰かの声が聞こえた気がする。

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