最近、SNSのTLを眺めていると、急激にその場をダサく感じる時がある。中でもTwitterとFacebookにいる時が、特にそう感じる。

かつてこの2つは、アーリーアダプターと、それを追いかける人たちが何となく無駄を楽しむ場だった。

テレビや雑誌で見かける有名人の中でも感度の高い人たちが集い、一般人に混ざって楽しい時間を過ごす。言うならば、古き良き社交場といった感じだった。

田舎から出てきた僕にとって、Twitterはレッドシューズだったし、Facebookはキャンティだった。

有名人だろうが、片田舎の少年だろうが、誰であろうと関係ない。その場を楽しんで、クールなつぶやきを決めたやつがその日のヒーローになる。

雲の上のような人が、パンピーと普通に会話するし、なんならオフラインでも遊んだりする。僕もそうやって、色んな人と出会ったし、遊んだし、恋も仕事もしてきた。

しかし、そんな景色がいつしか変わってきた。

懸賞のRTや、宣伝しかしないアカウント。
フォロワーが増えてリプライに反応しなくなるプチセレブ。
ブランディングを考えて、発言に推敲を重ねる人。
著名垢の発言にしか絡まなくなる人。
発言しても反応がなくてロム専になる人。

市民権を得たことで、かつての社交場の景色はぼんやりと古い過去になっていく。

自己顕示欲と広告と悪意に満ちた叩き合い。殺伐ともまた違う、なんとも言えないダサさがそこにある。

人の時間は有限だ。

数十もあるLINEグループの会話を眺めていれば、シェア系SNSに繋ぐ暇はない。そりゃ若者は離れていく。

こんなことを書けば、お前の見てる景色が違うだけだと言う人もいるだろう。

しかし、とにかく私は、ここ最近、急激にダサく感じはじめた。その感覚の理由を少し考えたら、さきほど書いたようなことなのではないかと、ぼんやり思っただけでしかない。

自分自身がダサいから、他もダサくみえるという人もいるだろう。それもまた真理なんだと思う。

しかし、どんだけリフレッシュしても、7年前の若者で占められた世界は、否が応でも古臭くなる。ましてや、本人たちが今でも最先端の若者だと思ってる時点でダサくもなる。

つい数日前にエモい文章という言葉でTLが賑わっていた。少なくともシェア系SNSにはエモーショナルの燃えかすしか残ってなく、前述したとおり、エゴイズムとパブリシティが主食となってしまった。

金に変えたいというエモーショナルはあるかもしれない。果たしてそれをエモいと言うのだろうか。私にはわからない。

とにもかくにもダサい。ダサく感じはじめた以上、どうしようもない。

結局、レッドシューズもキャンティにもなれなかったのだろう。次はどこにいけばよいのか。いっそのこと、汐風に吹かれながら、波音でも聴いているほうがよいのかもしれない。少々疲れただけなのだろう。

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