逃げ恥をTVerの見逃しで観た。いよいよかと思われた2人の関係に、また新たな波が来ていた。

今秋のドラマの中で、おそらく一番話題の作品。この作品は、ここ最近に見る男女の新たな関係を大胆に描いているところが見どころだ。

作品を知らない人にざっくりと本作を説明すると、ある男女が、世間的には夫婦関係を装い、内情は主婦業を主体とした雇用契約を結んじ同居生活を送る中で繰り広げられる、2人の悲喜こもごもを描いている。

新たな男女の関係性といえば、木村拓哉と山口智子が共演した大ヒットドラマ「ロングバケーション」を思い出す。

「ロングバケーション」では、結婚するはずだった男が失踪し、そのルームメイトだった男と奇妙な同居生活を送る中で、恋愛に発展していく2人を描いた。

ロンバケは、異性も含めたシェアハウス文化への加速の一端を担っていたと言ってもいいだろう。その流れは、後のテラスハウスなどへと繋がっていったと私は思っている。

逃げ恥でも、同様に恋愛関係に無い男女が、同居生活をする中で、徐々に相手を意識していく様が、視聴者を惹きつけている。

しかし、ドラマ内でも星野源が演じる平匡が、自らを「プロの独身」と称するように、恋愛を拒む男が、恋愛をせずとも生活を充実するために選んだのが、新垣結衣演じるみくりとの契約雇用なのだ。

近年では、添い寝をするだけの関係「ソフレ」、キスだけの関係「キスフレ」のように、ある条件下で特定の相手と恋人同士のような関係性を持つ、新たな男女の関わり方が、一部の若者の間で流行している。

逃げ恥も、その延長線上にあると言っていいだろう。

これまでのような男女の恋愛を、疲れると思う人が増えたのだろう。「おひとりさま」という言葉が生まれたり、そもそも未婚率も高く、性経験すらない成人の比率が多くなってるのも頷ける。

しかし、逃げ恥の盛り上がりを見ると、本来は従来のような恋愛関係を多くの人が望んでいるのだと感じる。

なぜなら、恋愛を否定したような関係である2人が、徐々に距離を縮め、恋愛関係になっていく様を、視聴者たちが楽しみにしているのが、ネットの評判から伝わってくるからだ。

では、今の男女が恋愛に疲弊し、深入りすることを拒むようになったのは何故だろうか?そこには、インターネット文化が大きく影響しているように思う。

インターネットの普及によって、我々はありとあらゆる情報を検索で手に入れらるようになった。ドラマ内でも、平匡がみくりとの接し方などを、検索で調べる様が度々描かている。

しかし、そこでいつも行き着くは、調べても本当の正解が分からないということだ。最新回でも、キスのタイミングがいつなのかを調べて、結論はそこにはないといったようなことが、平匡を通じて語られている。

情報が安易に手に入り、さも答えがすぐ手に入るようになったと思った人々は、見えない答を想像することを、苦と感じるようになったのかもしれない。

どんな難問もネットで簡単に調べられたのに、恋愛だけは、絶対的な答が見つからない。

ドラマのように、相手の声がどこからともなく聞こえてきたら、どんなにハッピーだろうか。多くの人は、恋愛が怖いんじゃない。恋愛が出来ないのでもない。恋愛の楽しみ方を見失う時代に生まれてきてしまっただけなのだ。

ドラマを観終わったあとに、ふとそんな考えが頭をノックした。

それでも人は人を好きになる。恋愛は転がってもなければ、ぶら下がってもない。今も私たちの胸の奥で、静かにリズムを刻んでいる。まるで、首をかしげ踊る、みくりと平匡のように。

_var_mobile_Media_DCIM_126APPLE_IMG_6864.JPG


私は書き手でもあるが、他の人が書いた文章を、私の手を介し世に出すこともある。

色々な人の文章を拝見させてもらうと、その人の感情の起伏のようなものを、垣間見る時がある。

そんな中、ある1人の書き手の文章が、最近とても攻撃的であることが気になった。

私も時折、怒りに任せた文章を世の中に投下するのだが、他人の怒りを手の平に乗せると、それがいかにチクチクと、心に痛みを与えるのかが良く分かる。

平坦な文章と比べると、感情をむき出しにしたものは、印象深く、記憶に残りやすい。読んでいて、自分自身がエキサイトしていくのも良く分かる。

その書き手には、無理に感情を押し殺すことなく、むき出しのまま書くように伝えた。あまりに鋭利なものは、こちらでヤスリがけをするから、あなたはそのままで良いと。

しかし、ただひとつだけ、振り上げた刃の行方を見失わないで欲しいとも告げた。

怒りの矛先がどこに向いていて、そしてその刃をどこで収めるのかは、とても重要だ。

なぜなら、振り上げたまま、どこに振り下ろすのかが見えなくなると、やがてその刃は自分自身の手の平に乗っかってしまうからだ。

握れば痛みが伴う。行方を見失った刃ほど怖いものはない。

鬱蒼とした感情は、やがて怒りへと変わり、人を攻撃的にする。

文章を書くことで、刃をどこに向ければ良いのか、その刃は本当に振り上げたままで良いのか冷静になることができる。

なぜか?答えは、頭に血がのぼった時に、鏡を覗き込めばわかるだろう。

それでも答が分からず、再び鬱蒼としたら、再び綴ればよい。ただひとつ、振り上げた刃が、通りすがりの誰かの刃へと、変わらぬよう気をつけたいものだ。

_var_mobile_Media_DCIM_135APPLE_IMG_5643.JPG

Spotifyが好きだ。アーティスト単位で聴くのも良いが、特に好きなのは色とりどりのプレイリストをザッピングしながら、シャッフルで聴くスタイル。

こんなにも音楽を聴くのは久しぶりかもしれないというぐらい、長い時間再生し続けていると思う。

ふと、音楽を流しながら、人間にとって「価値」の基準とは何であるか考えていた。

音楽の価値とは?

今や、音楽を聴くスタイルの中に、Spotifyをはじめとしたストリーミングサービスは当たり前の存在になっている。

人によってはAppleMusicだし、人によってはLINE MUSICだし、また人によってはAWAや、Amazonを挙げるだろう。

どのサービスを利用するかは、その人にとっての価値が何であるのかが少なからずとも影響していて、例えばそれは自分が聴きたいアーティストが聴けるということであったり、音質が重要であったり、そして無料利用であったりする。

価値観という存在はとても厄介だ。

例えば、1万円のコース料理を食べたとして、状況が違えば、同じ内容でも価値は大きく変わる。

意中の女の子が食べたいと願う1万円のコース料理なら、一緒に食べることで1万円なんて安く感じるだろう。それは、その人にとっての価値が、お金ではなく、彼女と過ごす時間にあるからだ。

一方で、満腹感を満たすだけならば、むしろ1万円は高く感じるし、何なら量も足りないことがある。この場合は、きっといわゆるコスパが価値を決める。

そもそも価値を語る上で、お金だけを基準にするのも、少しすわりがよくない。

「価値とは」聞かれ、人は何を想像するのか?

「お金」と答えるか「満足感」と答えるか、はたまた何か。

きっと、その答えは、その瞬間自分にとって足りないものなんだろう。

私は何と答えるだろう。自問自答して瞬間的に浮かぶのは、あの子の笑顔だ。出来れば、今この瞬間に笑っていてほしい。綺麗事だと言われても、愛に生きていたい。

9wAEoxhw51.jpg

↑このページのトップへ