月別アーカイブ / 2022年03月


自分が聴く曲が増えれば増えるほど
聴かなくなる曲も増えていく。
そんな中、久しぶりに昔聴いていた曲を聴くと、
やっぱりこの曲いいなという感動を味わえる。
しかも何十回、何百回と聴いたはずの曲なのに
新しい発見をすることが多い。
「ここで実はこんな音が鳴っていたんだ」とか
「ここではこういうリズムの取り方をして
歌っていたんだ」など。
そういう新発見ができるのはきっと
以前より知識が付いたり、
音楽を聴く耳が良くなったりしたからだろう。
こういう成長を感じられる瞬間は嬉しい。
小さい頃に聴いていた曲は特に、
この歳になって歌詞の意味が分かったり
新たな解釈ができたりして、
今も昔も曲自体は変わっていないのに
違って聞こえて楽しい。




旧譜キャンペーン。
これは僕たちの曲を久しぶりに聴く機会だ。
ここまで長々と書いておいて
結局宣伝をしたかっただけなのかと
思われるかもしれないが、
このブログを書いている途中に
「あれ?この話の流れはもしかして
旧譜キャンペーンの宣伝ができるのではないか」と
汚い大人の欲が出てしまった。
まあ、チェックしてみて。


TikTokもね。







小さい頃、母のお買い物について行った時に
試食コーナーでソーセージやお肉を食べるのが
好きだった。
なぜ試食コーナーで食べる一口は
あんなに美味しく感動的なのだろうか。
全く同じものを家で食べても、
試食コーナーで食べた時ほどの感動が無い。
人間は思い込みが激しい動物である。
一口分しか無いという希少性によって
本来の味よりも
美味しく感じるのではないだろうか。



人間は無限に存在するものよりも
有限なものに価値を見出だす。

そんなことを考えながら、
今日は有限な電気を節電。節電。


インターネットを見ていると、
物事の本質を理解していない人が多いと感じる。
だいたい、そういう人間に限って
自分だけの価値観や尺度を他人に押し付ける。
あたかも自分が正義であるかのように。
こういう人間に絡まれると
本当に面倒臭いだろうなと思う。
何が面倒かというと、
本人は自分が完全に正しいと思っている点だ。
ある事象に至った経緯や知識も無いまま、
その時の感情や偏った考えだけで
意見を言うのはいかがなものかと思う。
それはただの文句である。
では、全てを把握していない人間は
意見を述べてはいけないのか。
いや、そうではない。
自分の考えを一つの意見として述べることは
新たな発見ができると同時に
自分や他人の成長にも繋がるはずだし
積極的にやっていくべきだと考える。
しかし、その意見が完全に正しいのだと、
自分が正義であると断言して
他人に押し付ける行為は迷惑でしかない。

まあ、自分はどうなんだと言われれば、
何事もきちんと本質を理解しているとは
断言できないが。



僕はただ文句を言う大人にはなりたくない。

だから、これからもたくさん勉強しようと思うし、
ひとつひとつの自分の発言に
責任を持ちたいと思う。

便利な社会だからこそ、みんなも気をつけよう。





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