月別アーカイブ / 2016年09月

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こんにちは。

株式会社Rockin’Pool代表で無重力フォトグラファーで東京プール研究室室長の西川です。

肩書きがいくつもあってややこしいですね。
まぁプールを多角的盛り上げようとしているプールジャンキーと思っていただいて結構です。

東京プール研究室1周年記念パーティ


さて、去年の9月から始めた「東京2020年のプールシーンをみんなで盛り上げようぜー!」という趣旨の会《東京プール研究室》ですが、今月で1周年を迎えることができました。

これも東京プール研究室に参加してくれたプール仲間に出会え、支えていただいたおかげです。

昨夜は1周年を記念して都内某所の廃プールに研究員の皆さんをお招きし、1周年記念パーティを開催しました。



プールの真ん中で赤台をテーブルにして呑むという夢のような面白シチュエーションに皆さん楽しんでもらえたようでした。


私がリオの五輪会場から汲んできたプールの水も皆さん喜んで飲んでて、ほんと皆さん変態だな〜と感じました。
(私が半強制的に飲ませた) 



 
思えばこの1年ほんと色々ありました。

9月に第一回目の東京プール研究室を開催し、夢のプールを参加者の皆さんに考えてもらい付箋でペタペタと貼ってそれを眺めながら酒のツマミにしワイワイ飲む。

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しかし、ただワイワイ呑むだけより、実現させた方が楽しいよねーとなって12月にクラウドファンディングで実現させることありきのアイディアソンを実施。

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参加者一人一人がプレゼン形式で夢のプールを語っていただき、参加者みんなで投票して一番人気のあったプールを実現させようという趣旨で、そこで一番だったのがプールの中にモニターを沈めて、飛んでる映像を無重力で見て飛ぶということを仮想敵に体験できる『飛べるプール』でした。

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その後どうやったらプールの中に大型テレビが沈められるのか仕様を固めて、見積もりを取り、色々準備して、4月からクラウドファンディングをスタート。

目標予算が330万になり、これはちょっと難しいかなーと考えていましたが、多くの協力者に助けられ360万ほど集まり無事達成。

 

5月19日にクラウドファンディングが終わった直後に防水ケース職人の千々松さんに連絡してすぐに制作に取り掛かり、色々ありましたが1ヶ月後の6月の末にアクアサイネージは完成。

そして7月の頭に浸水テストを実施し、問題無いことを確認。

 

7月15,16日に完成披露イベントを実施。

 

WBCのトレンドたまごやGQジャパンに取り上げていただき反響を呼ぶ。

 

8月に《パブリックビューイング in 水中》を開催。


地元のお城祭りにも出店。

 


とまぁなんとも密度の濃い1年をワイワイと過ごさせていただきました。

この1年間で感じたのが

《一人でできないことも仲間がいればなんとかなる》

そして

《想いは実現する》

ということでした。

最初見積もりを出してもらってクラウドファンディングのゴール金額が330万になった時にこりゃ厳しいなーと思いましたが、仲間が応援してくれて、その応援の輪がまた広がって支援額が大きくなりました。

一人では絶対無理でした。

そして防水ケース。
先日とある大学の教授さんから「アクアサイネージの実現は不可能だと思ってた」という最高に嬉しい言葉をいただきました。

これは想いが科学を上回ったということだと私は考えています。

理論上不可能に近いことも、熱意があればクリアできる。という証明になったと。

そして、2年目。

また東京プール研究室は新たなチャレンジを実施します。

またしても世界初の試みで、本当に実現できるかどうかもわかりません。

マネタイズの面で継続して続けることは不可能に近いかもしれません。

しかし、東京プール研究室は不可能に挑戦します!

他の誰もがやらなかったことに挑戦します!

プールの可能性、魅力発掘に全力で挑戦し続けます!

ここから世界のプールが変わると信じています。

私一人では出来ませんが、この仲間達がいます。


まだ何をするかは全然決まってませんし、施設が本当に使えるかどうかも未定なので、固まって進捗があり次第随時報告していきたいと思います。

日本のプールはもっと楽しくなる。
絶対変わります。
変えます。

Rockin’Pool!

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こんにちは。
リオから無事、問題もなく帰ってきた西川です。

今この記事を書いてる時間は午前3時。
これがJet lagというやつか。
おっと、失礼。
Jet lagとは時差ぼけという意味だ。
長い滞在のおかげで自然と英語が出てしまう癖が付いたようだ。(英語力は出川並み)

リオ滞在後記

今回リオには5日から19日までの2週間滞在していました。

リオパラリンピックの開会式が7日で閉会式が18日。
8〜17日の10日間は競泳競技だけを撮り続け、ひたすらパラスイマーを撮る日々。

正直、リオのリアルな人たちとあまり交流してないし、街中もあんまり歩いてないので、私が見たリオは100あるうちの1にも満たないであろう。
ずっと競泳競技だけしか撮ってないので、私が見たリオパラリンピックは10あるうちの1にも満たないであろう。
しかし、その中でも感じた2つの事をつらつらと書き残そうと思う。長いです。

1.スポーツの楽しみ方

ニュースではすごくリオは治安が悪く、歩きスマホしたら盗られるだの、カメラ首からブラさげてたら狙われるだの色々脅かされていましたが、行ってみると治安は良く、全然普通でした。

危険を感じたことは一度もなく、リオっ子は行儀もよく皆暖かい人たちでした。

印象的だったのはレースの時の彼らの応援スタイル。
自国のブラジル選手が出た時にすごく盛り上がって応援するのはもちろんですが、出ていないレースも声を出して応援するし、最後の選手が一人泳いでるレースは自国の選手が競っている時と同じくらいの熱量でエールを送っていました。

これは国民性がすごく関係あるのかと思いますが、彼らは《競泳の試合を楽しむ》ために来てるんだと感じました。

普通は誰か特定の人やチームの選手が出ていたら応援するし、声を出します。
私もそうです。
知らない人が出てるレースは応援しないし、楽しくない。

でも彼らは知ってる人が出ていようが出ていまいが関係なく、誰でも応援し、誰にでもエールを送ります。
だから楽しそうだし、それを見ている私も楽しい。
そうして楽しいの連鎖が会場を包み、みんなが楽しい空間になる。

なんという素敵な連鎖だろうか。

私はリオに来る前まで、こう考えていました。

スポーツは観てて楽しくないとダメだ!
 観てて楽しくないスポーツは視聴率が取れない!  
視聴率が取れないとスポンサーがつかない!  
スマホで観る情報を選べる時代は観てて楽しいスポーツしか生き残れない!

と。
なので、どうやったら競泳というスポーツが楽しく観れるようになるかを考え模索していた。

しかし、今回リオに行って考えが変わりました。

観る人の気持ち次第でどんなスポーツでも楽しく観ることができる。
楽しく観れない人は、楽しく観たいと思ってないから。

日本の競泳の試合を観に来てる人達が競泳の試合を『観る』ことを楽しんでいるか、というとそうではないと思う。
実際レースに出て泳ぐことを楽しみに来ている人達がほとんどなので、観ることに楽しさは見出していない。

だから会場は盛り上がらないのです。

でも泳ぐことよりも観て楽しみたいという人がいっぱい来たらどうだろうか。
競泳の試合を観て楽しいという人の楽しさの連鎖が生まれるのではないだろうか。

なので私は今後の行動をシフトすることにしました。

『競泳を観て楽しい種目にする』

『観て楽しみたい人を競泳会場に集める』


選手のファンは好きな選手が引退したら観に来なくなりますが、観て楽しみたい人はずっと来てくれるはず。

では、どうやったらそういう流れやシステムを作ることができるのか。

【日本人、ブラジル人化計画】

というのは冗談で、まったく思いつきませーーん!
でも今回の経験がすごく言いヒントになると感じています。 
ゆっくり考えたいと思います。

2.障がいという圧倒的個性

今回のリオパラリンピックの撮影は国際障害者スポーツ写真連絡協議会、通称パラフォトのカメラマンとして参加しました。

 

パラフォトの活動をお手伝いをするきっかけは東京2020でした。

写真家として写真で何か東京2020を盛り上げることはできないだろうか。

そんな事を色々な人に話していたらパラフォトの理事長の佐々木さんに声をかけていただきました。

今回リオパラリンピックを撮影してみて感じたことは、それは

障がいってクール。
障がいを持つことって、有利だな。

でした。

私はこれまで障がい者に対して、どこか可哀想という目で見てしまっていました。
私が普通にできることも彼らはできない。という哀れみの目です。

しかし、リオパラリンピックに出場してる人達は皆『できる』人達でした。

私ができないことも平然とやってみせる人達を目の前にして、可哀想とか、哀れみの目でみることは一切ありませんでした。

リスペクト。
ただただリスペクト。

閉会式で踊った片足のプロダンサー大前光市さんが閉会式後の記者会見で

片足が無い人でもテーブルにつくと障がい者ではなくなる。
障がい者は何か不便なことがあって始めて障がい者となる。
私は不便を感じないので障がい者と思っていない。

という風なことを語っており、目からウロコでした。

こうなると『できる』障がい者は健常者より圧倒的な個性を持った人間になります。

自分のアイデンティティーを表現しやすく、ブランディングもしやすくなる。

差別化がしやすいわけなので、ビジネスでもかなり有利です。

大前さんやモデルGIMIKOさん、檜山さんの話を聞いていると、ポジティブでクリエイティブで『できる』障がい者は最強だなと感じました。

これから手や足に障がいを持った人と話す機会があったら「そうなんだ!いい武器もってるね!」
と話すと思います。

でもこういう心の変化があったのは障がいを乗りこえてポジティブに生きる障がい者に会ったから。

卑屈で『できない』ことを盾に努力しようとせず、周りに頼ってばかりの障がい者に出会っていたらこういう考えにはなっていなかったと思う。

パラリンピックは世界中から『できる』障がい者が集まった超ポジティブな空間になります。

2020年の東京パラリンピックもこの超ポジティブな空気が日本全体を包み込み、多くの人達の意識が変わってくれることを願います。

私が2020でできること

リオが終わり、次は東京2020。

今回リオパラリンピックを経験して、オリンピックパラリンピックに絡んで盛り上げたいという想いがより強くなりました。

私ができることは撮影すること、そしてプールの楽しさと魅力、可能性を伝えること。

もっと強いチームを作る必要があり、もっと多くの人々を喜ばせる力をつける必要があります。

去年の9月にスタートした東京プール研究室は今月一周年を迎えます。
来週開催予定の東京プール研究室では研究員の皆さんと次なる挑戦に望みます。

日本のプールはもっと楽しくなる。
絶対変わります。
変えます。

Rockin’Pool!



最後に、今回パラフォトという素敵なチームに入れて一緒に活動できて幸せでした!
感謝!
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Photo by 世界のマント
 

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こんにちは。
予想以上にハードな毎日でブログを書く暇がなかなか見つけられない西川です。

スポーツカメラマンって大変ですね。
機材は重いし、長時間片目で被写体を追うので神経使うし、連写でバシャバシャ撮影するので現像にものすごい時間もかかるし。。。

スポーツカメラマン、リスペクトです。

無鉄砲な血筋


ちょっと長いですが、今日はリオに来たかったもう一つの理由をつらつらと書こうと思います。

リオパラリンピックに来たかった理由は《日本のプール界を盛り上げたい》という想いと、それとは別にもう一つ理由があります。

それは、

曾祖父さんやその兄弟のことが知りたい


という好奇心です。

ここブラジルは日本から一番遠い国ですが、実は私のルーツがブラジルにあります。。

と言ってもブラジル人の血が入ってるわけではなく、私はピュア日本人です。

ひぃおじいちゃんは夢を求めてブラジルへ

戦前の大開拓時代、高知に住んでいた私の曾祖父の岩吉は兄弟4人と共に夢と土地を求めてブラジルに移住することを決意しました。

しかし、胸躍らせながら船で2週間かけてブラジルに渡った先に岩吉達に待っていたのは

過酷な奴隷生活


だったそうです。

中間業者が悪いやつで、

『ブラジルには誰の土地でもない荒野が広がってる!先に耕したものにその土地は与えられる!ブラジリアンドリームを掴もうではないか!』

と言葉巧みにブラジルに誘い出し、勝手に奴隷にして売ったそうな。

聞いてないよ状態。
とんでもない話です。
いつの時代も悪いヤツはいるもんです。

2ヶ月間昼夜問わず働かされ身も心もボロボロになった岩吉は決心します。

『嵐の日に脱走するぞ』

ワラしか敷いてない小屋の外には銃を持った見張りがいたが、嵐の日は火薬が湿って鉄砲が撃てないと考えた岩吉達はタイミングを見計らい、嵐が来た時に意を決して逃亡し、見事成功。

奴隷生活二ヶ月目のことだったそうです。

その後、電車の線路の上をずっと歩いて追跡者から逃れ、サンパウロにたどり着き、土地を開拓し、四国と同じくらいの牧場を所有するまで成功し、見事ブラジリアンドリームを掴み取ったそうな。

ひぃじいちゃんだけ日本へ帰国

牧場が軌道に乗ったある日、岩吉の元に父親の訃報が届き、長男の岩吉は喪主として嫁さんと二人だけで高知に一時帰国してしまいます。

ブラジルに永住するつもりだった岩吉ですが、急遽家を継がなくてはならなくなり、それ以来ブラジルには帰れなくなったそうな。

そして高知に帰ってから子供が誕生。
その子供が私の祖母で、この話は全て祖母に聞きました。

祖母にこの話を聞いた時、私はこう感じました。

『俺の無鉄砲は、血筋か。。。』


夢を求めてリスクを考えずに地球の反対側まで行く。
しかも兄弟全員と嫁さんを連れて。

とんでも無いイケイケゴーゴーの無鉄砲野郎です。

たぶん私と一緒で馬鹿で、後先考えないタイプだと思われる。 

まったく他人の気がしない。

周りの人を振り回しまくってるこの厄介な性格はどうも遺伝らしいです。

ひぃじいちゃん、あなたの無鉄砲スピリッツ受け継いじゃったよ。。。

ブラジルの親戚を求めて 

岩吉の兄弟達は皆ブラジルに残ったままだったので、今もブラジルには岩吉の兄弟の子孫がいっぱいいます。

その中の1人とFacebookでコンタクトをとる事が出来たのでリオで会って岩吉達がブラジルで成功するまでの苦労話などを聞きたいなーと思っていたのですが、向こうの仕事の都合がつかず今回は会えませんでした。

う〜ん残念。

でもまあ、リオに来て岩吉達が見た景色と体験を少し感じる事ができました。

言葉の壁や文化の壁、とんでもなく苦労したんでしょうな。

ポルトガル語じぇんじぇんわかりません。

英語まったく通じない人いるし。。。 

よくこんな地で牧場拓けもんだ。

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真ん中にいるフサフサの子は幼き頃の私で、抱いてる人が岩吉ひぃじいちゃんの兄弟の娘さんです。

日本に観光で遊びに来た時の一コマだそうです。

タイミングが会えばこの女性の方の娘さんとお会いする予定でした。

残念;

勇気ある行動の先に道は拓ける

おばあちゃんから岩吉ひぃじいちゃんの話を聞いた時に胸躍ったのを覚えています。

なんか勇気をもらった気がしました。

勇気ある行動の先に道は拓けるということを時代を超えて教えてもらったような気がしました。

私もひ孫に勇気を与えられるようなひぃじぃちゃんになってみたいものです。

ニックネーム『ブラジル』は関係なし

ちなみに小学生の時に付けられたあだ名が『ブラジルインド』でこの流れもあって社会人になっても『ブラジル』というニックネームで呼んでもらうことがあるのですが、ばあちゃんにブラジルの話しを聞いたのはつい2年前くらいなのでまったくの偶然なのです。

なんとも不思議なもんですね。

今回ブラジルに来れたのも必然のような気がしてきます。

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さて、リオパラリンピックもそろそろ大詰めで、明日で残り3日です。

競泳種目はあと2日。

木村敬一選手は今日で4日連続4つ目のメダルを獲得し、 明日の200m個人メドレーが最後のレース。

5種目全てメダル獲得なるか!

本日、日本記録 を大幅に更新した女子リレーも注目です!



GO!JAPAN!!

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