この世界に生きているだけで
消滅はすすんでいるのかもしれない

僕の心はすでに色んなものを失っていて、そのことに関する記憶もないのかもしれない。覚えてないから当然悲しくも切なくもないんだけど、ただ不安はある

自分は何を失くしてきたんだっけ?その失ったものはひょっとすると大切なものだったのかもしれない。そう考えるとソワソワしてくる

たまに、自宅を出た後に
「何か忘れてる気がする」
って思う時がある。結局考えてもわからなかったりするから、さっさと忘れて電車に乗り込んでしまうんだけど。
その忘れが取り返しのつかない状況になると、不安も大きくなってくる。
具体的に言うと、僕の実家の北海道から東京に行く飛行機の中、
「何か忘れてる気がする」
なんてことになるとそれはもう取り返しがつかないわけで、もうずっと不安になってしまう。

実は19歳で上京してからしばらく、僕はこの"忘れてる気がする"症候群に悩まされていた。ずっと忘れ物を思い出そうとしてソワソワしていた。これってもしやホームシックってやつ、、?東京という街にドキドキしていただけなのかもしれない。
東京はとにかくモノが多かった。
そりゃあ北海道だってバスと電車乗り継いで札幌駅に出ちまえばモノは多いぜ。だけどうまく説明できるかな。ちょっと違う気がする。それは僕にとって札幌が故郷であるという前提がもちろんあるんだけど、なんていうのかな。例えば札幌に新しいスープカレーや美味しい味噌ラーメンが出来たらやっぱり話題になるわけです。朝までいつもの居酒屋で飲んだりして寒い寒いって雪の中に出たら、新しい味噌ラーメン食いに行くかってなるわけです。(食い道楽ばっかり)
でもその味噌ラーメンを食べたらみんな最初は口々に「やっぱりあそこには敵わねえよな」って言うんです。僕らには新宿も渋谷も高円寺も品川もなくて、札幌しかないから、とにかく新しいモノの誕生にはうるさいし、同時に古いモノを愛する気持ちも強い。(僕の個人的意見です)
何年か前に新しく地元に出来た温泉なんかはもうすごい。僕のお母さんは毎週必ず行くし、ちょっと有名人が来ただけで近所中が話題になる。
そういう街にいるのは、安心する。
まあそれでも、僕が上京してから街の様相はすごく変わった。巨大なドラッグストアや電気屋がいきなり出来てるし近所の空き地はほんどなくなった。あの公園はまだあるのかなあ。

いずれブログに書くけど僕の祖父の住んでる浜益という海沿いの村はもっとすごい。モノの価値観がまるっきり違う。セブンイレブンとかないからね!

東京に住み始めてもうすぐ6年。やっと、東京にも地元があって、たくさんの昔からのお店が守られてて、そんな当たり前のことがわかってきて。さらには僕の周りにもたくさんの仲間ができて。僕も"忘れてる気がする"症候群を全然感じなくなった。ぽっかり空いてるような気がしてた空洞は、その存在すら忘れられた。

でも「密やかな結晶」を読みながら、身体はあの感覚を思い出していた。
久しぶりに、あの時と同じ類の不安を感じていた。正体のわからない、何かを掴もうとして掴めない。この小説は何なんだろうってずっと思ってた。不安がずっとつきまとっていた。何もかもが絶妙にぼかされていて。東京に来た頃、目が霞んでるみたいな、見たいモノが見えないような、大切にしたいのに、大切にするものが何もなかったあの頃の。あれ。

この世界を生きてるだけで僕らはいつも何かを消滅していってるのかもしれない。

そして、この世界にしみ込んでいる限り、消滅からは逃れられないのかもしれない。


「意味なんて重要じゃないよ。大切なのは言葉の奥底に潜んでいる物語なんだ。君は今、それを引き出そうとしているところなんだよ。君の心が、消滅したものを取り戻そうとしているのさ」


R氏の言葉。勇気づけられる。

頑張る!みんなの心に残る作品になりますように!
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藤原季節