引っ越してから何日かが経った。
荷物を仕分けてるとき、自分の中に何か沸き立つものがあったので日記を書こうと思ったのだが、何日か経ってしまうとあのときの熱は冷めてしまったように感じる。村上龍の小説にもあったように、欲しいと思ったものはその瞬間に手に入れないと駄目なんだと思う。

日記を書くには体力がいると思う(体力を時間と言い換えても良い)。
というか体力の使い方を考えなければいけないと思う。生活していて思うけど、LINEやツイッター、必要事項の連絡にすごく体力を使っている。本を読む時間すら消えていく。僕の同世代で連絡の返信が早いスゴイ奴はあんまりいない。
でも、そこにはコツがある。
体力の使い方を、知るということだ。
例えば誕生日に写真を印刷してメッセージを書いてプレゼントするとか、わからないことがあればすぐ電話して聞くとか、料理も、履修登録も。知っていればなんでもない簡単なことが知らないだけで恐ろしく大変なことに感じてしまう。要するに体力の使い方を知らないだけなんだ。場所の話になるが、自分の体力をどの場所で消費すべきか理解するのはかなり有効な手段だ。今もぼくはこの日記を図書館で書いている。自分の時間は無理にでも捻出しないと。
この体力の使い方を教えてくれる人はほとんどいない。まず学ぶのにけっこう時間がかかる。僕だって今でも放っておいてる問題が山積みなくらい。僕は幸い、4年をかけて先輩から少しずつ学ぶことができてるけれど、もう少し早く学ぶことができたら大学を卒業出来たなと思う。そもそもここまで書いて疑問に思ったけど、僕と同じようなことに悩んでる人っているのかな⁉︎コメントで回答してもらえると嬉しいです。

話は戻るけど、引っ越しのとき僕を沸き立たせたものはダンボール5箱分の捨てられない荷物だった。上京して最初の家に住んでから初めて引っ越したとき、僕の荷物は大きなリュック一つだけだった(家具はレンタル)。
それからオフィス作に入って、4年が経つ。
4年でダンボール5箱分の大切なものが増えた。当然嬉しい気持ちもあったが、捨てられないものが増えるというのは同時に不安も生む。大切なものは一つあればいいと思って生きてるからだ。両手に抱えた荷物を一つずつ捨てていって、最後に一つだけ決して捨てられないものが残る。そういう生き方に憧れているし、それが幸福なんじゃないかと思う。ある戯曲の受け売りだけど。

それでも、その荷物の一つ一つにちゃんと目を通していくと不安なんかよりももっと大きな感情が湧き上がってくる。そのほとんどが手書きのメッセージや沢山の写真、グシャグシャの台本や大切な作品のチラシ、本やDVD。イヤホンからは大好きなドラマのサウンドトラックが流れていて。僕はなんだか少し満たされた気分になったんだ。それでそのあと、まだまだいけるじゃんって思った。

もっとダンボールが増えても、余裕。

がらんどうになって急に他人行儀になった部屋に別れを告げて、ここからもっと頑張ろうと思った。

藤原季節
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