『たかが世界の終わり』について、もう少しわかりやすく、僕自身が理解できるように書いてみたいと思います。

これは、演劇です。
配信というツールを使った演劇。

これまで演劇ドキュメンタリーという形で、その稽古の様子をYouTubeで配信してきました。
このドキュメンタリーを見てから本編を見るのも良いし、人によっては本編を見るまでドキュメンタリーは見ないという人もいます。
それは自由です。
見ない方が楽しめるという人もいると思います。
ではなぜドキュメンタリーをやってきたのか。
実はそこが大切で。
この作品の中にその答えがある気がします。
答えっていうと、なんか方程式みたいだな。答えとは違う、なんだろう、希望?尊厳?未来?すべてが安易な言葉に感じる。言葉にするのは難しい。
これは公式Twitterの宣伝文。

『たかが世界の終わり』
無観客上演に挑む俳優たちの自主公演。
1時間50分ワンカット。
幾多の困難を乗り越え演劇を立ちあげる彼らの姿に、いつしか物語が重なってゆくー


僕らがドキュメンタリーで残してきた姿に、この物語が重なってゆく。
物語の登場人物だけではなく、ただ一人の俳優・藤原季節としての姿が見えてくる。
ドキュメンタリーも含めて、この数ヶ月、迷宮を走り続けた内田健司さんの演出です。
ドキュメンタリーを見てから本編を見ても楽しめます。
その最終話が今夜更新されました。
8分だけ時間をください。



本番の配信についてですが、二回のみです。
リクエストが多ければ再配信も検討するようですが、基本はこの二回のみ。アーカイブは残りません。

10月24日(土)21:00〜
11月1日(日)20:00〜

アーカイブを残さないということは、
なるべく普段の観劇に近い心境で観ていただきたいということです。可能な限り。
巻き戻しは出来ないので、お手洗いや準備を済ませて、なるべく同じ時間を過ごしてほしいです。可能な限り。


舞台の詳細確認、
そしてチケットのご購入はホームページから出来ます。



劇場。
僕が思う劇場の良さってやっぱり他者がいることだなって思う。特に最近は。
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この間、さいたま芸術劇場の見学ツアーに参加した時の写真。劇場にいる時、僕はいつも一人だ。

劇場にいる時、少しだけ孤独から免れることができる。
というか、孤独を愛することができる。
大勢のお客さん、あるいは少ないお客さんと、同じ空間を見つめている。
僕は彼らのことを知らない。いや知っているかもしれない。彼らは僕のことを知っている。いや知らないかもしれない。よくわからないけど、そんなヒヤヒヤした緊張を感じながら自分の座席に座って、劇が始まるのを待つ。
それはまるで、街。街のカフェ。待ち合わせ。約束。散歩。恋。予感。雑踏。お祭り。音楽。いつもあの子を探している。なんでもいいけど。あのヒヤヒヤはそんな感じだ。
劇が始まると、暗闇の中で再び孤独を味わうことができる。
僕はこの孤独だけは愛してる。

時には本当に知り合いに会うこともある。
僕はそういう偶然が好きだ。

今回の配信に、そういった偶然や予感はあるのだろうか。
正直僕は、今回の配信についてはまだどうなるかよくわかっていない。
でも、配信というツールを使うということはインターネットを通して人と繋がろうとするということだ。繋がることを肯定し、求めているということだ。
離れている。距離が遠い。
それでも人と人とが何かを共有し、あの演劇体験をすることは可能なのだろうか。
開始時刻と同時に皆が一斉に『たかが世界の終わり』を観る。そしてあのラストシーンを迎える。
そのあと、僕らはインターネットを開くだろう。あるいは開かないかもしれない。深い孤独や喜びを一人で味わうかもしれないし、インターネットにいる同じ時間を過ごした人々にアクセスし、出会うかもしれない。
次々に感想をつぶやく人々。つぶやかない人々。
人々とは君のこと。ひとりひとり。拍手の音はひとりひとりの生活者の手のひらから生まれている。それを忘れてない。今回はきっと拍手の音は聞こえないだろう。

なのになぜだろう、いつもより身近に感じる。

それは一つの演劇体験かもしれない。
興味がある。
僕の友人たちは観てくれるだろうか。
スケジュール、合うかな、合わないかな。
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友人。
マジックアワーの彩の国さいたま芸術劇場ガレリア。
青い血脈。

僕はこの劇場が好きだった。
芸術監督は蜷川幸雄さんだった。
僕はここで初めて蜷川さん演出の舞台を観た。
人生が変わった。
そして蜷川さんが蒼白の少年少女を集めて作ったのがネクストシアターだ。
この人たちの芝居に心底憧れた。恋焦がれた。
そのネクストシアターの俳優たち有志が集まって結成されたのが第7世代実験室。
その第7世代実験室が、さいたま芸術劇場の大稽古場・NINAGAWA STUDIOで配信演劇を作ろうということになった。

それが、『たかが世界の終わり』である。
1分間の予告編。
この映像を作ったのも俳優たちだ。




最後に、
僕がこの数ヶ月最も気に入っていた宮沢賢治の詩を贈ります。
この詩を持ち歩いて彩の国に通っていました。



『告別』

おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるわせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだろう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがのように
おまえはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった菅とをとった
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けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力を持っているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ
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すべての才や力や材というものは
ひとにとどまるものではない
ひとさえひとにとどまらぬ
云わなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗いけわしいみちをあるくだろう
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そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないのならば
おれはおまえをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰かけているような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ
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もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光の像が現れる
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おまえはそれを音にするのだ
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みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
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多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
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もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
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ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
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2020.10.19
藤原季節