お知らせ

とても自分勝手な文章です。
何を書いても、そう感じる。
今の僕をよく表している気がする。
こんな赤裸々な自分を公開することに、意味があるのかわからない。
それでもやってみる。
誇りもプライドも捨てて、たった一つの大切な何かが、手元に残るのか知りたい。



思いやりを持った人間になりたい。
自分を脱却し、誰かを楽しませる人になりたい。
このLINEブログも6月にはサービスが終了されることが決まっている。
その先のことは決めていない。

こんなに好き勝手な表現をするのは、もうそろそろ最後かもしれないと思う。
思いやりに欠けるほど、僕が書きたいことを書き、
僕が読みたい詩を、読みたいように読む。
その難しさや責任に苦しみ、大切な生活を犠牲にするような表現は卒業すべきかもしれない。
一人黙々と、独りよがりな稽古をするのも、もう終わりだ。

今回の朗読は、観に来てくださった人々と、改めて繋がることができた朗読だった。その存在の大切さに深く気付かされ、感謝した。
僕が一人で完成させようとしていた表現は、決して一人じゃ完成しなかった。
共にステージにいる高井息吹さんの楽音に耳を澄ませ、僕らを見つめる一人一人の心にアクセスする。
その術を知るまでに、時間がかかってしまった。
僕が一人だったからだ。



独りよがりの文章も
「祈冬」も、もうすぐ終わる。
もうすぐ春が来る。

書きたいように、最後まで書きます。




今回の朗読で僕が読んだのは、
童話「雪渡り」と
「春と修羅」のなかにあるいくつかの心象スケッチだ。
宮沢賢治は自分の詩を、詩ではなく心象スケッチと呼んだ。
スケッチだからとても生々しい、その時の心が書かれている。
僕が読んだのは、宮沢賢治の妹のトシが亡くなった当日、その日に書かれた悲しみのスケッチだ。
そしてその翌年、花巻から北海道を旅した鉄道の中でトシを想いながら書いたスケッチだ。



宮沢賢治を読もうと決めたのは、2022年の11月末だった。後から知ったのだが、賢治の妹のトシが亡くなったのは1922年の11月27日だった。奇しくも、ちょうど百年の時が経っていた。

「百年待っていてください。きっと会いに来ますから」

いつかの朗読で読んだ夏目漱石の「夢十夜」において、死にゆく女が叫ぶ台詞だ。百年という言葉を聞くと、この台詞を思い出す。

宮沢賢治の言葉たちは、トシがかくれている雲の向こうの、天の青に向かって昇ってゆく。

もしくはそのさらに向こうの銀河まで。
亡くなった少年と、その友人は鉄道に乗って銀河を旅をした。

かなしみに満ちた世界を、美しく強さに変えてゆく。それが宮沢賢治の言葉だ。



一方僕は日々、言葉を失っている。
トルコとシリアで亡くなった人たちの数を思えば、その悲しみは想像力の外にある。

悲しみは海の向こう側だ。



最近友人に「お節介」と言われた。
雑誌かなんかに載っていた星占いに、
「お節介を、励ましや静かな祈りに変えて」
みたいなことが書かれていた。
励ましや、静かな祈りのいかに難しいことか。
でも、そんな人間になりたいな。

落ち込んでいる人がいたら
「大丈夫。君はめちゃくちゃ最高だ。今まで出会ったことないくらいイケてるよ」
と励まして抱きしめてあげたい。
苦しんでいる人がいたら、何もしてやることが出来なくても、静かに祈りたい。そうして自分の生活を明るく送りたい。

僕のお節介は、どうしたら助けてあげられるんだろうと、自分まで苦しんでしまうことだ。
おかげでずいぶんスマートじゃない生き方をしてきてしまった。

それに気づいたのが、最近だ。
僕はこれから変わっていってしまうかもしれない。
痛みに鈍感になるかもしれない。
人の弱さにも鈍感になるかもしれない。
そのことを、少し悲しく思う。




童話「雪渡り」は少年の四郎と妹のかん子の冒険物語だ。
この物語を読みながら、僕は少年に返った。
きっと心をシンクロして音楽を奏でていた高井息吹さんも童心に返っていたかもしれない。
青白い銀世界で歌い踊りながら、自分はこれからどんな人間になるんだろうと思った。
純真な心はどこまでも傷つきやすく、脆い。


悲しみに満ちた世界の暗闇と、少年と妹がキラキラの瞳で見つめた光明、その間に僕は立っていた。



なんかわからないけど。
負けたくないな。
なんかわからないけど。
負けてたまるか。


朝、目が覚める。
このまま眠っていたら本番は中止だろうな。

劇場に着く。
このまま逃げ出せばこの緊張から解放される。

幕が開き、舞台袖で出番が来る。
この足を進めなければ、朗読は始まらないんだ。

全ての自由が、全ての選択が、僕のこの足にある。

それでも僕は進んだ。進んでいった。
この反省も、恥も、友愛も、絶望も、希望も、暖かい拍手も、涙も、三日間で味わい尽くした。



たくさんの人と出会った。
花巻の人々、闘病中の大切な人、友達、家族や親戚。
この公演をやるために、宮沢賢治の言葉を考え続け、何日も何日も列車に乗って、旅をしながら、たくさんの人と出会った。

そうして劇場に辿り着いた。
劇場には友達であり企画者の八十嶋淳(ヤソシマジュン)がいて、高井息吹さんがいて、スタッフたちがいた。
そして観客のみんながいた。
たくさんの出会いだ。


もうすぐ、季節と朗読「祈冬」が終わる。
明日からの一週間、千秋楽公演の配信をもってして、僕の宮沢賢治との旅は終わる。


終わって、また始まる。
少しだけ、少しだけ、貴方の悲しみに触れた。
土沢駅。
銀河鉄道の始発駅のモデルになった列車に乗って、僕はこっそり泣いた。
この客車の窓が水族館の窓になって、
大きな水素のりんごの中をかけていって、
サザンクロスを目指して昇っていったんだ。



かなしみはちからに。

負けない。悲しみに負けるな。
勝たなくていい。負けるな。
悲しみは心にあっていい。
それを美しく強さに変えるんだ。

僕が物語を読むから。
明日読む物語があれば生きられる。
明日聴く物語があれば生きられる。

がんばろうよ。
君は最高だ。
最高にイケてる。
思慮深くて賢くて優しい人間だ。

部屋の片隅でスマホに文字を打ち込みながら、
僕は静かに祈っている。
この物語と、自分勝手な表現が、誰か一人の心に届きますように。

花巻で出会った七十七歳の伊藤諒子さんは、
僕のために、かつて宮沢賢治がいた川岸で、朗読をしてくれた。
僕の心はあのとき救われた。
役所の人に「宮沢賢治は古い」と言われて落ち込んでいた諒子さん。
「古くなんかないですよ。こんなに歳が離れて、遠くに住んでいる僕たちが賢治を通して出会ったんですよ。すごいことじゃないですか」


「朗読、緊張してるんですよね」

「なるようにしかならね。
努力した上で、なるようにしかならね。
みんなじゃなくて、
誰か一人でも感動してくれればいいんだから」

読み続ける。
下手くそでも。誰もいなくなってしまっても。
世界で戦争していても。海の向こうで悲しみが広がっても。
目の前のたった一人のために。
あの諒子さんの川岸に立つ凛とした姿と声を思い出して。

昨夜、配信の映像を見た。
高井息吹さんの歌う曲が、最後まで素晴らしかった。
こんなにまでも心がシンクロして、物語を歌い上げていたんだと改めて知った。
そして自分が高井さんの歌に、ピアノに、無意識のうちにどれだけ助けられていたかを知った。
高井息吹さん、音を捧げてくださって、ほんとうに、ありがとうございました。

ご来場いただいた皆さま、心から、ありがとうございました。
あの暖かい拍手を忘れません。
よければまたあの空間に会いに来てください。もっと成長します。

そして、まだ物語を届けることが出来ていない全国の皆さまも、「祈冬」をどうぞよろしくお願いします。
感想があれば、ぜひここに書き込んでください。
ブログのサービスが終了しても、いただいたコメントは保管したいです。


パーソナルBOOKもコツコツ執筆中です。
少しでも恩返しになればと、ひーひー言いながら書いています。

「祈冬」の配信は明日から一週間です。
寂しいとき、眠る前、料理を作りながら、ぜひ何度でも再生してお楽しみください。



本日もおつかれさまでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2023年2月17日
藤原季節

写真:垂水佳菜

実はこの数日間、岩手県の花巻を旅していました。
宮沢賢治の故郷を訪ねるためです。
僕はそこである一人の人と知り合いになりました。
77歳のその女性は、花巻に暮らし、宮沢賢治の物語や詩を、方言で朗読している人でした。
その人は車で、イギリス海岸というところに連れて行ってくれました。賢治が詩を考えていた場所です。
その場所で、ある詩を僕のために朗読してくれました。
そこで感じたことや詳しい旅のことは、メモしてあるので、今度何かしらの形で読めるようにしますが、その花巻の空気を、そのまま朗読に持っていけたらなあと思っています。
そこで読んでいただいた詩は、僕は当日朗読しませんので、少しでも空気を届けられるよう、ここに載せます。






薤露青(かいろせい)


みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される

 ......みをつくしの影はうつくしく水にうつり
   プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
   ときどきかすかな燐光をなげる......
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よ わたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとどけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
    ......たえず企画し たえずかなしみ
      たえず窮乏をつづけながら
      どこまでもながれて行くもの......

この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
    ......なつかしい夢のみをつくし......
声のいい製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかのはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入っている
   ......あの力いっぱいに
     細い弱いのどからうたふ女の声だ......

杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出やうとしているので
鳥はしきりにさわいでいる
   ......みをつくしらは夢の兵隊......
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
 ......ああ いとしくおもふものが
 そのままどこへ行ってしまったかわからないことが
   なんといふいいことだらう......

かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる










2023年1月8日
藤原季節





指定席は完売しましたが、立ち見席は今夜19時から販売するようです。
配信チケットも発売中ですので、東京に来られない人も配信を楽しんでもらえたらと思います。
ありがたいです。感謝です。
たった一人のために、朗読をしてくれたあの人のことを考えれば、より多くの人のために読むことが何を意味するんだろうとか、それは正しいことなんだろうかとか考えるけれど、
その場所で感じたことを忘れず、観てくれる人がいるのだから、たったひとり、たったひとりひとりのために、読むことができたらと思います。
イギリス海岸のような、特別な時間になりますよう。

みなさん、一年間、本当におつかれさまでした。
色んなことがありました。ほんとうに、色んなことがあった。

もうそろそろ、全部忘れて休んでください。
来年また生まれ変わって頑張りましょう。
それまで少し冬眠してください。

大掃除が残っている人は、がんばれ・・。

僕の方はギリギリまでお仕事です。
お仕事というか、朗読の準備などをしています。
毎日1センチずつ、前に進んでいます。
宮沢賢治を巡って沢山の出会いがあります。
賢治の言葉とも出会い続けている。なおらない悲しみの中にある、美しさ。強さ。光。音。色。
賢治の妹のトシが天にのぼっていってからちょうど、100年。多くの人の祈りが集まっているのを感じます。僕はステージ上で、少しでもその祈りを結実させられたらと思います。

なんだかまるで、ずっと旅をしているようだ。
その旅先で誰かと出会うことも、
ちょっと一休みして心を休めることも、
寂しさを胸にしまってお別れをすることも、
また出発して歩き続けることも、
まるで、ずっとずっと旅をしているようだ。

今年はどんな旅をしただろうか。
大切な出会いがあった。
誰かと深く関わった。
そしてその分傷ついた。
人と出会った。
そして会話をした。
その中には魂の深い人も、
世界中を旅してきたような人も、
思いやりが深い人も、心が美しく豊かな人も、
たくさんたくさんいただろう。
その人たちと、別れた。
「またね」と言って。
次会う時は、もっと深く魂のやりとりができるだろうか。

来年は誰と出会うんだろう。
僕はどんな場所に運ばれてゆくんだろう。
旅の目的地は、決めてない。
春、桜が咲いたら南へ行きたくなるかもしれないし、桜前線を追いかけて北へ登ってゆくかもしれない。
梅雨が来れば紫陽花を見たくなるかもしれないし、雨の中、霧がかった山に登りたくなるかもしれない。
初夏、空が青く晴れたら蝉の声を聞いて昭和にタイムスリップしたくなるかもしれないし、真夏はクーラーのきいた図書室で涼むかもしれない。
秋が来れば金木犀の匂いの中で眠り続けたいし、冬は故郷に帰りたい。
 
でもほんとうに、どうなるかはわからないのだ。
よく人は「目標を決めろ」とか「目標は声に出せ」とか「夢を追え」とか言うけれど、そんなの疲れちゃうよ。
声に出せないほど大切なことだってあるし、努力もままならないほど渇いて苦しい時だってあるんだよ。
自分がどこに向かうか、そんなに無理して決めなくていいんじゃないかな。
大丈夫だよ。大丈夫。
「大丈夫じゃねえよ」っていう自分の声が聞こえてくる笑
でも最近、酔っ払った親友が言ってたんだ。
「大丈夫だよって言われてえ・・」
僕は笑った。笑いながらそうだよなと思った。
親友は営業のサラリーマン。(くれなずめという映画では彼を参考に大成を演じた)
この頃は契約が決まると涙腺が緩んでしまうそう。
おじいちゃんやおばあちゃんを相手に契約をするときは、ちゃんとその子どもの方々にも説明をして契約をしているそう。決まって最初は邪険に扱われて怒られるのだが、必死に説明をしていると「あなたなら親を任せられる」と言ってくれるそう。そうすると、涙腺が緩むらしい。
焼き鳥屋のカウンターでその話を聞きながら、僕はちょっと感動していた。

いやあ、ほんと、みんながんばってる。
みんながんばってるよ。
まじでおつかれさま。

それだけ伝えたくてブログを書きました。

僕、来年も頑張ります。
また旅に出発しなくてはならない。
新しい出会いも別れも、生まれてくる感情も、静かに受け止めて、立っていなければならない。何も表現することなく、ただ世界観だけを抱き、待っている。待ち続けている。その目はいつも青天を見つめていたい。
もし旅先で出会うことがあれば、仲良くしてください。
姿を見かけないことがあれば、どこかで頑張ってるんだなあと想っておいてください。
僕は、せめて自分の目の前にいる人だけでも大切にしたい。それが今の僕の精一杯です。電車では席を譲りましょう。もっと顔を上げて世界を見よう。きっと、それだけでいいはずだ。

僕らは少し感傷的になっているのかもしれない。
でも、傷を感じやすい状態じゃないと、世界を生きられない人だっているから。
少し休んだ方がいいよ。
眠り続けて、傷ついた心を癒してあげて。
おやすみ。
目が覚めたら、また笑顔で。
寂しいけれど、またどこかで。


旭川の柳の木のしたで。

2022.12.29
藤原季節

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