私にとって、蛍は〜もう…ずっと前にテレビで放送された「ある特攻兵が軍の指定である富屋食堂を切り盛りする鳥濱トメさんへ残した最後の言葉…切なくて心に深く残り涙した記録をビデオに録画して撮っておきました。既にビデオテープは引越しの時全部置いてきてしまったから無いけれど、平成最後の終戦記念日🍀*゜に是非ブログに載せて繋いでいきたい!という強い願いから
ここに書き記したいと思います。
虎太朗さんから前にリブログさせてもらった映像を見るといつも思い出すんです。長文になるのですが読んでもらいたい🍀*゜
🍀*゜始めに…🍀*゜

特攻とは「特別攻撃」の略称として用いられる言葉。
真珠湾攻撃の際に結成された
小型潜水艦部隊「特別攻撃隊」
が由来になっている。
太平洋戦争の開戦間もない頃は
「特攻は死ぬ気で挑むもの」であって「死にに行くもの」ではありませんでした。
しかし、敗戦色が濃くなると、兵力の不足や搭乗員の技術力低下から「大きな成果をあげるには体当りするしかないと考えられるようになりました。
特攻隊員は飛行機に片道分の燃料と重い爆弾を積み、飛び立ちました…
つまり、特攻は「お国のために死ぬ作戦」になったのです。
彼らは戦死すると「神風(カミカゼ)」として神のように扱われ、
遺族には報奨金が与えられた。

   🍀*゜.+*:゚+。.☆🍀*゜
戦況悪化した昭和20年、最も
沖縄に近い知覧飛行場は、
特攻隊の出撃地に選ばれてしまいます。

本土最南端にある鹿児島県の知覧飛行場からは多数の特攻隊員の方が飛び立ちました。
飛行場の近くに富屋食堂
あります。
軍の指定である富屋食堂を切り盛りするのは鳥濱トメさん
多くの少年飛行兵が訪れるようになります。
出撃前の最後の数日を共に過ごし、帰らぬ命を見送り続けました。
誰に対しても分け隔てなく温かく接するトメさんの人柄に若い
兵隊さんたちは、「お母さん」
呼び、慕いました。
そして、散り散りになっていたかつての少年兵たちが、成長した姿で続々と知覧に帰ってきました。
トメさんにとって、嬉しく、そして
悲しい再会でした。
トメさんは終戦まで来る日も来る日も特攻隊を見送り続けました。
トメさんがよく話していたのが
「ホタルになって帰ってくる」
言って飛び立っていった宮川三郎軍曹とのエピソードです。

出撃前夜、宮川さんは、富屋食堂に別れの挨拶にやってきました。
そのとき宮川さんは、「今夜こそどんなことがあっても見事轟沈させて帰ってくる」とトメさんに言います。
「体当りすれば命はないのに、宮川さんはどうして『帰ってくる』というのか」と思った。
トメさんは思わず宮川さんに聞いてしまいました。すると、宮川さんは窓の外を見て、「ホタルになって帰ってくる。だからホタルがきたら俺だと思って、追っ払わないで受け入れてほしい。」と言いました。

翌日宮川さんが話した時間通りに1匹のホタルが富屋食堂に
入ってきました。
「宮川が帰ってきたんだ!」富屋にいた皆が騒然となります。
そして、皆でホタルをとりかこみ、
宮川さんが歌ってほしいと言っていた軍歌『同期の桜』を歌ったのでした。

🍀*゜.+*:゚+。.☆.+*:゚+。.☆🍀*゜
トメさんは特攻隊員さんたちの
死を単なる『犠牲』という言葉で済ましてはいけないと考えていました。

戦後、特攻隊は「戦争の悲劇」
象徴となりました。
多くの人が「犠牲」「犬死に」
「若者が無理やり行かされた」
特攻を語りました。戦後、平和の時代を生きる私たちにとって、
このように思うのは当然かもしれません。
しかし、出撃の直前まで寄り添い、若き特攻隊員の「最後の言葉」を聞いてきたトメさんは、
特攻隊員本人たちが、「自分たちが犠牲になる」と思って特攻に身を捧げたわけではないことを
知っていた。

🍀*゜トメさんの孫の初代さんは、
こう書いている。
「戦争はよくない」という結論は同じだとしても、「犠牲」という言葉だけを使うと、どこか他人事です。―中略―
私は隊員さんたちが命がけで
戦ったからこそ私たちの平和が
あるのだということをきちんと
伝えたいと思うのです。
🍀*「平和のために命を捧げてくれてありがとうございました。
私たちは、二度と同じ過ちを犯しません。
されど、隊員さんたちが望まれた世の中、未来はどんな世の中だったのでしょうか?」と問いかけて、今の世の中や私たちの生き方を深く考えてみることの大切さを伝えていきたいのです。🍀*゜

🍀*゜どうか彼らを忘れないでほしい。🍀*゜

🌷戦後「供養をしないとあの子らが浮かばれない」と思ったトメさんは、雑草の生い茂る飛行場跡の一角に一本の棒杭を立てました。
戦後、貧しい生活を強いられたトメさんにとって、精一杯の墓標でした。
毎日足げくかよい、花と水を供える日々。

🌸トメさんの話は…一本の棒杭は…立派な観音堂になりました。
そして知覧特攻平和会館には、
特攻平和観音が建てられ、今でもたくさんの人が足を運んでいます。


🌷「特攻」はつい73年前、確かに
起きていました。
絵に書いたように晴れやかな
青空の日に。
決して犠牲ではなく「役に立ちたい!」「守りたい!」とそれぞれ守りたいもののために命を落としていった若者たちが居たことを
心のどこかに留めて頂けたらと思います。🌷

長々と最後まで読んで頂き
ありがとうございました🌷.+*:゚+。.☆.+*:゚(´人`).+*:゚+。.☆
ブログをやって今改めて思ったこと🍀*゜こんな形でも未来に繋げて発信していけば風化させないで、子供たちにも伝わっていくのではないでしょうか🍀*゜
少しでも役立てたらいいなと
感じています🌷.+*:゚+。.☆
今日はいろいろな思いを巡らせた一日になりました(🌼❛ ֊ ❛„)/

帰ったらブログに来ますネ🌷
今から帰りまーす!