ある種の人々からは、
批判や異論もあると思うのですが
私は夫が風俗店に行くことを
推奨しています。

とは言っても、うちの夫は
なぜか滅多に行かないのですが…
それはそれで、不思議なことで(・・;)


なぜそんなことを推奨するの?!

と驚いたり呆れたりする方もいます。
それは現在の日本では
ごく普通の反応だと思います。


しかし、現実に私が生きてきて
感じた残念なことは、

圧倒的に性の分野の
実践的勉強や経験が
我が国の男性は(もちろん女性も)
非常に少ないということでした。

外国のことはわかりませんが
WEBの発達により少なからず
どの国も減っているかもしれません。

性の分野をちゃんと学ばず
実践的に勉強し経験していかなかったら
何が起きるか?

パートナーとの肉体的な不幸な問題が
沢山起きるということなのです。

そこからセックスレスや、性嫌悪や、
果ては性犯罪も起きています。


女性も男性も、自分やお互いの体、
心のことを勉強しなくてはなりません。


男とは、女とは…と単一に語れないのも
また性のことです。

個性もあって他人と自分が
全然違っているのです。
違うのが当たり前なのです。

それが「性」です。



でも、違うということは、
実際に色々な方とデートして
経験をさせていただかないことには
知りようがないわけです。


ところが、現代は体験が不足しがちです。

映像で見たり本で読んだりしたものは
あくまでもフィクションであって
全員には当てはまりません。




例えば旅行。
ローマを学ぶにはローマに行くのが
一番なわけで、ローマの本をいくら読んでも
実際のところ理解できていないわけです。

映像で見たあの街、行ってみたら
あれ?!イメージと違う!
なんてことよくありませんか?

人間も同じです。

さらに人間の場合は、個々に全然
違うので、Aさん、Bさん、Cさんでは
全く好き嫌いも違ってきます。

つまり、経験人数が必要になります。
食べ物も色々な味を食べ比べ、
場所も色々行くからわかることがあります。

ちなみに、私は体をさわられるのが
とても苦手です…
マッサージとかは平気ですけど。

ちちとか触られるとゾワーッです(笑)
夫でもダメ。

ほらね、映像と違いますね!



で、長くなりましたが…
色々な方とお付き合いできれば
色々な経験を積むことができますが

そうでないなら、やはりお金を払って
勉強させていただくほかありません。

そこで、ありがたいのが風俗店です。
安全にその時間だけ勉強できて
お客様としてこれほど学べる場所はありません。


ただし、先方も指名を取りたいですから
本音で話してくれるとは限りません。
(むしろ、それはなかなか高度なことです)

さらには、好みの相手とも限りません。
これはもう、お互いさまです。



ですから、お互いに相手から
謙虚に学ばせていただくという
姿勢がとても大切です。

人間力を磨く勉強にもなります。


せっかく風俗店に行っても
お金で解決!簡単にやれる!
というような短絡的な考えでは
人としての成長を止めてしまいます。

また、おもてなしする側も
お客様に喜んでいただきたいと
思って真剣にやらないと
一体なんのためにやってるなか…
ということになります(笑)


また、性産業を下に見がちな風潮がありますね。
まぁ、現代社会では仕方ない面もあります。

でも、ほとんどの男性、また女性も
お店に限らず、映像や書籍などで
その世界に少なからずお世話になっているはず。
(男性で、一度もその世界にお世話になっていない、という方がいたら、お会いしてみたいものです)


性産業が、この世で最も重要な位置を占めている
分野であることは間違いありません。

言い換えれば、
この世界から消してしまうことができない。
もしも無くしてしまったらどうなるか?

ちょっぴりイメージしてみてください。



性の分野を、もっと本質的に学ぶことが
できるような高度な社会になれば
性の問題に苦しむ方々も減るのではないかと
いつも思っています。


そこに蓋をして隠せば隠すほど
不健全な方向に向かってしまいます。
 
 

性欲は誰もがもつ三大欲求です。

だから、健全に性欲を肯定していかないと
そこから生まれた自分を自己否定する
ことにつながってしまうわけです。

現に、かつて多くの世界が
性欲を悪いものとしてみなし
その原因をつくる女性を堕落した存在と
みなしていましたし

今もそうみている方もいます。

いやいや、その欲求ないと
あの聖人も生まれてないし!!

と、そこに反発した方々もいましたね。
(とんちで有名な一休和尚とか)


健全な性欲と、健全なコントロールと
そして誰もが尊重しあって
いたわり合って欲求充足できる社会が
訪れるといいなと思います。

性別にとらわれない人々が増えたのも
世界がもっと高度に発展している
証拠かもしれません。

性とは生殖のためだけではなく
コミュニケーションでもありますね(^^)
とても重要で繊細なコミュニケーション。


久しぶりに性ネタをまじめに語ってみました。

最近、こちら方面のお話をする機会がないですが
もっとちゃんと世界の歴史的なことも勉強して
アカデミックな分野でも語れるように
なりたいと思っています(^^)
 
 

先日、夫の誕生日祝いで、
とある高級ホテルに泊まりました。

(酒もタバコもギャンブルもやらない夫の、楽しみの1つが高級ホテルに泊まることでして)
 

そこで、朝ごはんに参りますと…
ビュッフェ + 1品メインが選べたんです。

私、何気に見つけた「ヌードル」が
食べたくなりました。
ラーメンではなく、ヌードル。 

周りは、パンケーキだとかオムレツなど
オシャレなものを
注文する方が多いようでした。
(高級ホテルだから当然か〜)

しかし、わたしは人目を気にしないので
ヌードルったらヌードルなんじゃい。


はい、お待ちどうさま。
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ズルズル。

いただいてみると、これが薄味で上品。

高そうな中華そばでございました。
(台湾とかの朝ごはんに出てくるようなやつ)

 

うーん、うまいなぁ。
 
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ヌードル、お前やるな!

と思いながら、ズルズルと中華そばを
食しておりました。




すると、となりでお食事を一通り終えたマダムが
チラチラと私のヌードルを気にしている様子。
 
近くにいたスタッフさんに声をかけました。
マダム「あちらのお蕎麦は、どこでいただけますの?」

スタッフ「あちらはメインの一品でして、
本日は恐れ入りますがビュッフェには
出ておりません。
本日はお粥をお出ししております。」


マダム「あら…そうなの。
今日はたべられないのね〜(残念)」


なんと、私が注文したヌードルが
マダムのハートをとらえてしまったようだ。

そうよね、朝ごはんにヌードルなんて
普通頼まないよね。
(周りを見渡しても誰もズルズルやってない)


しかし、この澄んだスープの香りがまた
美味しそうなんだな。
マダムの嗅覚をとらえてしまったんだな。


あと、日本人としては、ズルズル食べる音が
また美味しそうに感じるもので…
この感覚は西洋人には無いであろう!!



わたし、思ったよ。
スタッフさん、ヌードル作ってあげて〜
ほんのちょっとでいいから。

そしたら、このマダムはまた来るよ。



しかし、スタッフさんは
「コーヒーのおかわりいかがでしょうか?」
とマダムのカップにコーヒーを注いで
無情にも立ち去ってしまった…。


あぁ、悲しきかな。
朝ごはん。

そうだよね、ルールだからね。
一品しか選べないんだよね。


マダムよ、次回は必ず朝ごはんに
ヌードルを選ぶんだ!!

まぁ、たぶん、その日はまた…
となりの人が食べてるパンケーキが
美味しそうに見えるかもしれないけど。

 
となりの蕎麦は美味にみえる。
複雑な人間心理だ!!


しかし、あのヌードルは絶品だった。
昔、シンガポールの屋台で食べた
ヌードルを思い出した。

やっぱ、アジアはご飯がうまい。
ヌードル乾杯!

※ 日本の蕎麦も最高だよ。



※ 夫が食べてたパンケーキ。
いらねぇ!パンケーキなんてよぉ。
こちとら江戸っ子だい!(江戸っ子ではない)


…しかし、結局。

「パンケーキ、ちょっとちょうだい」( ̄∇ ̄)














 

自分を強く見せようとすれば、ますます弱く見え

本当に強い人は、弱みをさらけ出すことができる。



なんとも、逆説的ですけど、
私は多くの人にそれを生き方で教わったように思います。

 
強い人は、虚勢を張らないし。
強い人は、まわりを威圧しない。

弱い人は、自分を強く見せることで
自分を守ろうとするのかもしれない。



なんかわからんけど、とにかく威張りちらす。
他人より自分を優位に見せようとする。
人の揚げ足を取って個人攻撃する。
強いものには媚び、弱いもの(弱いと思い込んでいるもの)にはズケズケ言う。

そういうのは、とても弱く見える。


この世で最も強い人は、他人からどう思われるか?なんて気にせず、他人のことにクチバシをはさまず、自分がどうありたいのか?ということに真剣に生きている人だと思う。

自分の弱さもさらけ出して、人に力を借りられる人だと思う。完璧な人はいないから。

他人のアラ探しに忙しい人は、常に他人も自分のアラ探しをしているに違いないと思い込んでいるように見える。

他人の善意も、何か悪意や他意があるのでは?と疑心暗鬼になるのは、自分が他人に対して悪意や他意がある場合が多い。



 
誰かに騙されたり傷つけられた経験があると、それがトラウマになって、他人を信用できなくなることはある。
 
私もそういうことがよくあって、他人は信用してはならないと疑心暗鬼になって生きてきた。

ところが、親や先生や周りの人が、完璧な存在だと過剰に期待していたのは、私自身で。

過剰な期待を背負わされた周りの人は、たまったもんじゃないわけです(笑)


そうか、世の中の人々は、自分と同じく、どこかしら不完全で未完成で、それも人間らしさなんだ。

と思うと、「裏切られたー!」「傷つけられたー!」といちいち騒がないで済むわけです。


強い人は、他人に対して良い意味で期待せず、その結果、いちいち裁くこともない。(犯罪とは別の話)

と、私は思うんです。


期待値が高ければ高いほど、それが得られなかった時の落胆は大きくなります。

期待値を上げてそこに挑戦していくのは、自分のことだけでも大変なのに、コントロールできない他人に対して勝手な期待値を押し付けて生きてれば、そりゃ大変です。

自分だって、自分の望みを実現させていくのは、毎回100点満点というわけにはいきません。

自然災害や予期せぬ病気や怪我や、色々な環境の変化や、そもそもの勘違いや…色んなことが人生にはあって、思い描いた通りには進まないものです。



人間の真の強さは、

そこに柔軟に対応していくこと。
終わったことは水に流して前進していくこと。
被害者意識をなるべく捨てて、ニュートラルに毎日を過ごしていくこと。
笑って生きる、他人に笑われて良しとして、生きていけること。

かなぁ、なんて思います。


他人に笑われる方がいい。
他人を笑うよりは。









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