日本でなく、世界中どこ行っても陰口や告げ口はどこにだってある。日本が多いように見えるだけ。

自分はいくらミュートにされようが、ブロックされようが、友達削除されようが知った事ではない。

自分は人気と評されようが、感情で動くバカと評されようが、正直どうでもいい。自分らしさ重視の人生だから。

どこに行っても人気に飛びつく傾向がある。日本人は一際多い。

情報網が少ない途上国は得られる情報の少なさに大衆として動くしかないと勘違いし、周りと同化しなければいけないと思い込んでいる。

けど日本は違うだろ。あらゆる情報が入ってくる。

そんな中で人気の人が動いたから自分も動くという受動性は恥じるべきである。

常に能動性を意識し、自分にマッチした人生を選択し続ける事を止まない。それが人としての理想ではないか?

自分勝手に生きている自分の周りでは一体どんな陰口があるのだろう。

村八分にされようが何だろうが、おれは本音をぶちまける。言いたい事をアウトプットする。

去年の話だが、久しぶりに小学生の漢字の書き取りテストをやってみた事がある。

そしたら想像以上に書けなかった。自分こんなにアホになったのか!と思うくらい。

その原因のひとつにやはり携帯やスマホにあるだろう。

というように機械的なものに触れるという事は“リスクが伴う”と断定できる。それは何十年も前から言われている事。

だからいくらなんでも「時代の流れに乗る」という理由づけで、機械的なものにすぐ飛びつく人間は僕はどうかしていると思う。

従来ある機械的でない、特に人間味のあるものならもしすぐ飛びついても同じ人間が対処できる可能性は高い。

だが機械的なものにすぐ飛びついて問題が起きたら果たして人間の手で全て対処できるとは到底思えない。それこそターミネーターのように機械が暴走する事だってありえる。

ようはバランスが大事。僕は機械的なものに対しては自分に合ったものを取捨選択しつつ、人間味のある人間でいたいからその均衡を保てている。

でも世の中には機械的なものにばかり触れる事が自分の快楽となり、生きがいにもなっている人がごまんといる。

その人自身には否定的なコメントは残さないが、後になって「人間らしく生きればよかった」という言葉は残さないで欲しい。

機械的な生き方をした人は後には引けない。時代にばかり合わせて逆に消耗してるんだよ、それ。

今やTwitter上では常にVALUの話が持ち上がってるけど、僕は「あぁこういうものがあるんだな」としか思わない。

僕は僕なりにワクワクするものしか手を出さないし、「周りがやってるから」なんていう理由でコンテンツに入らない。

SNSを長時間やっているとどうしても周りからのプレッシャーみたいなものをどうしても感じる。これは僕も然り。同じような情報が入ってくれば誰だって気にはなる。

ただ僕は有名な人がやっている=信頼できると一括りにしてまとめるのは如何なものかなと疑問に思ってしまう。

まあ何にしてもネットを使ったフリーランスという生き方は否定はしないが、僕には一切マッチしないものだ。

稼げるツールはいっぱいあると確信は持てるが、わざわざ調べて研究してまでフリーランスという生き方は今は推奨できない。今はね。

どんなにフリーランスという働き方が効率が良くて時代に合うものだとしても、僕はワクワクしないんだよね。

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