月別アーカイブ / 2019年06月

ちいさな修行。
自身の人間力を試されるかのような日々でした


友人が目の前で葛藤している様子も、
精神的に少し参っている感じも、
目の前にいるのに何もしてあげられない不甲斐なさと、 
どんなに話を聞いてもチカラになるような言葉一つ言ってあげられないし、
そして結局わたしは無力で、
友一人さえ励ますこともできないと、
ただ何もせず、何もできず
どうしたらいいか分からず
その場にいるだけで
ただいることが申し訳なさすぎて

そして、だいすきなその人のいつもの優しい笑顔に出逢えない淋しさと、
鎧甲冑を纏い無言で宙を見つめているかのようなその目つきや、体全体に漂う殺伐とした空気、
わたしは自分勝手ながらにそんな友を見ていることも同じ空間にいることもなんだか辛くて
泣きたくなったりもした、でも

いつもなら辛いからと、一層の事相手を構わず嫌いになってしまえば楽になるとか、好意をもってしまうから苦しくなるのだとか、ならば人というものを好きにならないように友達なんて作らなければいいと、自分からわざと断絶して離れるようなことをよくしていたけど、今回はそこに勝手にストッパーが働いた。漠然とそんな行動から自分を留めておこうと素直に従った。

寂しさに耐えずに予定より早く帰ることもできたのだけど、それにその方がある意味相手にとってもラクかもしれない、とも思ったのだけれど、今回はあえて予定通りにそこにい続けた。

余裕が無い中でも精一杯私にしてくれていることや思い遣りや気遣いを心底に感じているから
とても感謝しているからこそ、普段通りのその人の姿に今回出会えなくても私が文句垂れてる場合ではない。

人には誰にでもバイオリズムがある、だから仕方ないさと思えた。その人の新たな一面をただ何も言わずに見守ることができたなら、それはそれでわたしの進歩でもあると思えた


これって言ってみれば当たり前の事なんだけど、
わたしは今まで人の不機嫌な姿、悲しんでいたり苦しむ姿を見ているのが怖くて、その飛び火がわけもなく飛んでくることに耐えられないような気がしていた。だからそれが起こる前に自ら人を遮断することで今までは回避してきた


今回はそれはしたくなかった
逃げる事は簡単だ...それよりも
大切な友人を失う方がつらい
大好きな人達と私の一人よがりな臆病な行動で今後会えなくなるのは悲しいと思った

私がどんな行動を起こしたとしても
決して相手の葛藤や苦しみが解決するわけでもないのだ


そして無理に刺激しないようにと心掛けた
いつものように色々話すことより
そっとしておいてあげようと思った
わたしには何もしてあげられなかったけれど、
'大好き'という想いと、'しんどいのにも関わらずありがとう'の想いだけ純粋に心の中で大切にした

自分の心に背いて裏腹な行動を取ることの方が悲しいと思った。これも私にとっての一つの修行だと思った。




そして、帰る前の日の午後
とても素敵ないつもの優しい表情に出会えた
素直に心の中に花が咲き誇るかのように嬉しかった
その人の中では何も解決していなくて、それに本人自身も何も変わってないよ?と思っているかもしれないのだけれど、
わたしにはその人のいつもの姿に一目でも出会えたことに素直に嬉しく思った!



そして、自分の心の葛藤に耐えて良かったと改めて思った
自分自身も相手のことも信じて良かったと思った

何があっても自分自身の主観だけでいちいち感情に振り回された行動を取るより、今度は"待ってみよう"と思えた

雨の日が続いても、もしかしたら一瞬だけ晴れ間が出てくる日もあるかもしれない。出てこないかもしれない。
それに時間が必ず解決してくれる。
待つということは相手を本当に思い遣るということなのかもしれない


その友の笑顔が好きだから、
やっぱりその顔を見ると元気になるしがんばろうと思える
楽しもうと思える
前に進みたくなる

普段からそうして人に元気を与えている彼女にとっては、多少の無理をしてエネルギー酷使して人に与え過ぎて疲れて充電しないといけない状態にもなるだろう

人への思い遣りが強い人だからこそ
時々疲れ切ってしまうのだろうな…と思った

こんなに人想いで優しい友人がわたしは大好きだ

好きだからこそ
長い目で見ていこう
一喜一憂しないで見守れる強さが今回のわたしに試されたこと


ちょっとしたことだけど、
ハートがまたすこしだけ強くなった
それに、人を信じる力も、
この一週間でさらに強固なものになったと思う


人は自分で自覚していないものや理解できないものに不安を覚える
それがなんなのか、どうしてそう感じているのか、葛藤しながら模索して答えを見つけていく
理解できた時にはじめて強くなり器も大きくなれるのかもしれない


こうして自分を強くしてくれるような信頼する友人の存在をはじめ、
その人の周りにいる様々な人々の存在と出会えたことは今回改めてとても深い経験になった



そしてこんな事を長々と綴って
他人から見たら青臭く感じると思う
自分で読んでもそう思う
でも、
それでいいと思った


人間同士の付き合いなら格好なんてつけなくていいと思った
正直でいいんだと思った
それに多少青臭いくらいの方が
本心で付き合える
なんでも素直に話せたほうがいい

どう思われようカッコなんてつけてたら
それはそれで自分ではない姿をずっと見せ続けているのも疲れるし限界はすぐにくる



わたしはまだ人間形成の途中にある
いろいろなことを経験、体験しながら
人と触れ合う事を今一つずつ学んでいる
自分にとって学ぶ必要があるから経験をしているのだ







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人を見て思う、わたしは割と真っ直ぐであるということを。
人を見て思う、わたしは割と一途であるということを。
人を見て思う、わたしは割と正直であるということを。

人を見て思う、わたしは都合よく振り回されているということを。
人を見て思う、わたしはひとりバカを見ているということを。
人を見て思う、わたしは人の言うことを聞き過ぎているということを。
人を見て思う、わたしは時々胸が張り裂けるように悲しい気持ちなのだということを。

人を見て思う、わたしは人の話を受け入れ過ぎているということを。
人を見て思う、わたしは何のためにここにいるのかということを。
人を見て思う、わたしは無色透明なのだということを。


人を見て思う、わたしはどこにでも順応できるということを。
人を見て思う、わたしはタフであるということを。
人を見て思う、わたしは人思いなのだということを。

人を見て思う、わたしは私なのだということを。


Danzatakara.
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人というのは何処までもわからない
自分の事さえわからなければ親もなんのこっちゃ何処に痛点あるのかもよくわからない

ただ向こうの人生うまくいかないようなイライラと、たまたまこっちの色んなイライラとが重なった時に言った言わないの言い争いと共に傷つけたとかどうのこうのまで発展し、すぐに私が死ねばいいのでしょう?と相手に言われると、

ええ?そんなこと言ってないし、どうやってそこに結びつけるのかな?と思ってそこの発言をいじってしまうと同じループを3周、5周、8周……くらいしていく。

まじで母とは口論したくない、
意味ないこと言い合って勝手に傷つかれてしまうし、いやこっちもかなり痛いのだけど、そんなこと発言しても完全に違う方に取られるし結論何を言っても無意味な状態になる、口争いの典型だと思う。


わたしは、生まれたことを恥じている、というよりも
生まれてきて、うれしいとは思えない
寧ろ、悲しいことばかりだし傷つくことの方が多い
そう思うと生きるということは試練と思う
人間に生まれるというのは
辛い目に遭うために生まれてきたのだと思う

そうでなければ人間になんて生まれ変わりたくはない
人間の世界になんて生まれるのは
前世やその前の行いが何か問題だったからなのではないか?とさえ、思うよ


人間に生まれるということは
辛さを実感しろという意味なのだろう

今生きている皆んなそれぞれが
痛みを感じる為の使命あって生きているかも知れない

何かを伝えるために……
とかいうのはやはり人間特有の解釈だよな

結局は
痛みを感じるために生きる
痛い痛いと言って喘ぎ、
痛い痛いといって心身傷つき、
痛い痛いといって… 人は生きる
痛みは生きる意味なのかもしれない

そんな痛みを、
どうにもカムフラージュしたら嘘になる気がした

痛みを感じない方法なんて
本当は存在しないのに
わざと自分で作ってしまうのだろう
痛みを取り除いた気になってしまうのだろう
痛むために生きているのに
痛まない方法なんて探すから
余計に傷ついたことに敏感になりすぎるのだろう


生きていれば傷がついていくものでも
傷を自分で作って自分の痛みを痛みで塗り固めて
痛いことを誰かのせいにして

生まれてきて、生きているから、
痛いのに

傷つけられたと
痛いと
誰かのせいにするのは
防衛ではなく、ただの攻撃ではないだろうか



痛いと、
傷ついたと、
言えるだけましなのだ





痛いと言えなくなったら、
亡き骸のように穏やかで

そのときは
本当に闘い抜いた戦士のように
休息と命の充電期間に入る




いま生きている人は
命という電池を使って生きている
痛みを感じながら
日々命を消耗させながら時を過ごしている










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