月別アーカイブ / 2019年05月

最近は、感覚が生まれ変わるかのように何を見ても新鮮だし、感覚的に感じるものや感じ方が変わってきた。

それで、自分が作りたいと思っているものは既にコンセプト的にはできあがっていることを知る。

祖父の容態とは裏腹に、わたしの中には祖父と過ごす時間とその余韻の狭間に、新たに生まれてくるものがあるのが不思議だ。

なぜ……………?

と思うけれど、
わたしの中には既に芽生え始めているものがある。


そして、そのエネルギーを感じることは数日前までは痛みでしかなかったのに、今では、物凄い勢いで自分のエネルギーを注げるものになりつつある。つまり、作品はもう作り始まっているのだ。それも世果報というテーマを一貫して…。


一昨日、
去年初めてやった作品の写真や映像を見ていて心底驚愕した。わたしは既にやっていて、やろうとしていたんだということがわかった。

わたしが表現しようとしている事は、よく分かる、まだ技術が見せ方が変えていけるはずなのだ。

今自分の身に起こっている事、葛藤、祖父のこと、感覚的な変化や、政治的なムーブメント、そして普遍のテーマ、今起こっている事は、まるで読まれているかのように前にやった作品には組み込まれている。人の輪廻転生。そして、今年の4月に大阪でMittoさんと踊ったduoもそこに通じていた。何か、物事は常にシンクロしていくのだろう。それは漠然とわかっていても、自分を信じられなかったわたしにはそう考えるのは以前は酷な事ではあったが、…

今では、はっきりと言える。

わたしは既に見つけている。



『YUGAFU 〜水に揺蕩う命の記憶〜』
これは紛れもなく私の追い求め続ける作品だ。既に上演したものではなく、これからも続けるものだ。

やった時は、とても辛かった。…
事務的な現実的な事にとても振り回されて辛かった。乗り越えきれなかった。
でも、やってよかったのだという事を今になって知る。一年以上経ったのに今更のように…。



作品に込めた想いもエネルギーも、わたしにはどう転ぼうとやらなくてはいけないと思って作った作品だ。
わかっていても、わたしにはやった事が実際無駄だったと………自虐的に考えるしか痛みを乗り越える方法が無かったのが未熟だったと思う。その瞬間は尊かったし、作り上げたものは永遠だった。


そして、今はすべてが終わっている、

だけど、これから必ずパワーを養い、前回よりも良い世果報を創ろうと思う。それはどう転ぼうと私は今後後悔をしないと思う。一瞬一瞬が永遠なのだ。作品は妥協していない、、、命を懸けてやっていないから後悔になる、つまり私はまだまだ力がしっかりと余っているのだろう。



YUGAFUを表現していこうと決心できてすこしうれしい。妥協しない、人生に腐れない、、というより、もう腐れたくないよ…

大事にしたいものを伝える
大切に思う人達を大切にしていく

それに尽きると感じた。



今は次の作品に向けインスタグラムにひたすら前回の写真や動画をアップしている。snsではあるが、snsとしてではなく、自身の制作のポートフォリオとして更新している。同じ写真が何枚もあっぷされたり、sns的にはかなりウザいことだろうけど、知ったこっちゃねえよ フォローなんてさ、外してくれて結構なんだ。
人に傍観されてるほどつまらない事考えてないから。


自分のやろうとしてる事で脳味噌は滾っている



負けない、
ぜったいに私は次に繋げる

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【Rain】というタイトルで4つのシーンから成る〔Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ〕で構成している作品について。自分なりに明記しておきたいこと。

映像は昨年記録用に撮ったものなのだが、流れで可視化させるとより風景のような感じになり、自分のポートフォリオとして映像を保存するにあたりそれぞれのパートにもタイトル付けを試みてみた。

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また、この雨の書は、作品を作るたびに伝えたイメージに対して素晴らしくしっくりと来るインスピレーションで書き上げて下さる書家の正美さんの字。 プロジェクト名のYUGAFUの書も正美さんが書いています。



 Ⅰ のシーン、タイトルは「11月4日」。

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イントロダクションは、導入としてわたしが体験したとある11月4日の寒い雨の日を思い浮かべながら作った。その日は、気温がぐんと落ちた冬さながらの雨模様で気分がとても落ち込んでいた日だった。そんな日にバイトの帰り道自転車を押しながら、手先足先が雨に濡れて冷えて感覚がなくなるかのようだったのにも関わらず、わたしはひたすらその雨の冷たさを感じると心の疼きが鈍くなるような感覚がして、自ら濡れて浸っていくような感じだった。

自転車を押して歩いているとスターバックスが見えて、店内の窓ガラスは曇っていた。きっと中はあたたかいのだろう…… 家には帰りたくなかったのでわたしはその窓ガラスの曇ったスターバックスに入った。案の定店内はあたたかくて、ふと匂ったシナモンの香りが一瞬だけ胸の奥の痛いところをつついた感じがしてくらっとした。


とまぁ、上に書いた情景は本当にあったことで、その日から手っ取り早く言ったら私は洗脳の世界のようなものに誘われたのである。一人の人に依存し、精神的に激しく破壊的な一途を辿る。その一連を描いたのが「Rain Ⅰ〜Ⅳ」だ。

だから正に11月4日は記念日だ。その日を忘れることはなくシーンⅠのイントロダクションを「11月4日」とした。


「Rain」では全体通して笠や仮面、石や布などの小物を使っている。前半で笠を使っているのは、笠というのは顔を目の部分までを陰にして口元の表情しか見えないわけだが、こうして顔を半分隠すことにより表情や感情が読み取りにくいところに妙な人の見えない表情をもたらす。
私がとある人と出会う11月4日、私も相手も互いの素性は知らないけれど、それが徐々に惹かれ合うというところの雰囲気は、正に笠を被った顔に浮ぶ微笑みのようなものに近く、完全に見えないわけではないけれど、なんとなく感じるものをじわじわと匂わす、人と人の感の触れ合いを意識している。

また笠は民も被るが、僧侶達もよく被るものでもある。何かこの世とは違う次元に精神性を営み、肉体精神を修行するようなもののニュアンスも含め、見えない表情の中にはこの世のものではないような感性を含ませることで、誰かとの繋がりが尚更偶然ではなく見えないものの中で意図されていたかのような、哀しくも純粋な、人との情景を表現したいと思った。

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このシーンの最後は向き合って一度座った姿勢から、立ち上がって次のシーンに移る。
そこから、互いをより意識し合い、どんどんシンクロしながら関わっていく様子を表現していく。

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これが、イントロ「11月4日」の大まかな概要である。

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昨日、おじいちゃんの余命があと一週間から十日だろうと言われていることを知った。昨日も会いに行ったけど、もう殆ど話せない。また土曜日も会いに行く。今更私にも家族にもできることはないのだけれど、入院して以来この3ヶ月間で会うたび弱っていく祖父の姿をしっかりとこの目で見ている。見舞いの初期で祖母に言われたことは、
「人の一生が終わる姿を観察してこれからに生かしてほしい」
わたしには、ただただ観察していることしかできない、


祖父の痛がる姿、そこに献身的に答える祖母の姿、
祖父母を毎日心配する母の姿、
私は何もしていない、
ただそのみんなの姿を見ているだけなのだ、

観察している、
感情を堪える、
一番大変なのはおじいちゃんだし、それを支えるおばあちゃんだ、

周りが騒いでどうする…だから私は無感情を貫くように励む。観察する時には、
感情を出してはいけないからだ。



先週からひたすらに感情を抑制していて、今にでも爆発しそうだけどただずっと抑えている。泣くこともできない、適当に感情を癒すこともしない


踊ることくらいしか本当に解放する瞬間もないのだと思う。
他人には相談さえできない。
そこは所詮他人なのだろう。どんなに仲良くしたとしても、最後にどういう風に相手は手を返すかはわからない。信用して傷つくのは自分。
裏切らないような人なんているかな?今まで深い友達がいたことないし、他人とはやはり当たり障りなく付き合うしかないのだろう。



それはそうだ、
家族にしか、感情はぶつけられない…

だから嫌でも痛くても
そこには絆があるのだろう…


どんどんアンバランスになったり情動的になりかける心を自分で制する。


心に穴が空いても叫ばないことだ。




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