人というのは何処までもわからない
自分の事さえわからなければ親もなんのこっちゃ何処に痛点あるのかもよくわからない

ただ向こうの人生うまくいかないようなイライラと、たまたまこっちの色んなイライラとが重なった時に言った言わないの言い争いと共に傷つけたとかどうのこうのまで発展し、すぐに私が死ねばいいのでしょう?と相手に言われると、

ええ?そんなこと言ってないし、どうやってそこに結びつけるのかな?と思ってそこの発言をいじってしまうと同じループを3周、5周、8周……くらいしていく。

まじで母とは口論したくない、
意味ないこと言い合って勝手に傷つかれてしまうし、いやこっちもかなり痛いのだけど、そんなこと発言しても完全に違う方に取られるし結論何を言っても無意味な状態になる、口争いの典型だと思う。


わたしは、生まれたことを恥じている、というよりも
生まれてきて、うれしいとは思えない
寧ろ、悲しいことばかりだし傷つくことの方が多い
そう思うと生きるということは試練と思う
人間に生まれるというのは
辛い目に遭うために生まれてきたのだと思う

そうでなければ人間になんて生まれ変わりたくはない
人間の世界になんて生まれるのは
前世やその前の行いが何か問題だったからなのではないか?とさえ、思うよ


人間に生まれるということは
辛さを実感しろという意味なのだろう

今生きている皆んなそれぞれが
痛みを感じる為の使命あって生きているかも知れない

何かを伝えるために……
とかいうのはやはり人間特有の解釈だよな

結局は
痛みを感じるために生きる
痛い痛いと言って喘ぎ、
痛い痛いといって心身傷つき、
痛い痛いといって… 人は生きる
痛みは生きる意味なのかもしれない

そんな痛みを、
どうにもカムフラージュしたら嘘になる気がした

痛みを感じない方法なんて
本当は存在しないのに
わざと自分で作ってしまうのだろう
痛みを取り除いた気になってしまうのだろう
痛むために生きているのに
痛まない方法なんて探すから
余計に傷ついたことに敏感になりすぎるのだろう


生きていれば傷がついていくものでも
傷を自分で作って自分の痛みを痛みで塗り固めて
痛いことを誰かのせいにして

生まれてきて、生きているから、
痛いのに

傷つけられたと
痛いと
誰かのせいにするのは
防衛ではなく、ただの攻撃ではないだろうか



痛いと、
傷ついたと、
言えるだけましなのだ





痛いと言えなくなったら、
亡き骸のように穏やかで

そのときは
本当に闘い抜いた戦士のように
休息と命の充電期間に入る




いま生きている人は
命という電池を使って生きている
痛みを感じながら
日々命を消耗させながら時を過ごしている