マツコが失踪してから二週間になる

その間にいろいろあった、
失踪した次の日に祖父が亡くなり、その翌日には家族葬で送り出し、行ったり来たりしながらも猫の捜索をひたすらしていて、明け方と世間の人々の出勤前くらいの時間と、夕方も日暮れ時と真夜中と2回ほど探し回った。勿論すぐに動物保護センターや保健所や警察にも連絡し、チラシやポスターなどもマンションはじめ近所の掲示板にも貼ってあるし、迷い猫のサイトも数カ所に掲載してある。


失踪からの日々、悲しむ間もなく時は過ぎていって、この数日間はもう探すのを諦めていた。だから、悲しいだけで何もできなくて、悲しいのを忘れる為に作業したりしている。


お爺ちゃんは、有り難くも皆んなと時間を紡いでこの世からいなくなっていった。残されているものに心の準備期間を与えてくれた。お陰様で、悲しいというよりもただただ素直に"ありがとう"という思いしかない。そんな気持ちでお爺ちゃんの亡き骸をひたすらに眺めた。その横で火葬されるまでの間もずっと三線弾いてたし、歌も歌った。生前と死後も、変わらずわたしの中にはおじいちゃんが同じようにいるのを感じている。

本当にありがとうと思う。いつまでも思う。
これまで命を繋いだ祖先に対してなんの感情も無かったけれど、祖父の死を通して"ありがとう"という想いが芽生えた。それが今回の体験だ。



猫のマツコの場合は、
祖父の亡くなる前日にいなくなってしまったのだが私が外出中で、その時家には母と義父と伯父がいた。いつものようにベランダに出していたらしいが、そこからマツコは柵の下をくぐって何処かへ行ってしまった。



私が帰宅した時にはもういなくて、
皿やキャットタワーのハンモック、おもちゃや、いつも寝ている椅子など、不在の跡が生々しく目に映った。
その日は一時間置きに起きて外を見回った。

その日から寝不足も寝不足だけど、次の日の朝には祖父が亡くなり葬儀だなんだで、失踪した次の日から2日間はマツコを捜索することもできなかった。



皆は、マツコがお爺ちゃんをあの世へ無事に連れて行ってくれたんだと言っているのだけど、もしそうであったとしても、なんとなく私は信じられるようであり信じられない気持ちを抱えてひたすら、現実的に探すしかなかった。
それで数日前から自分の足で1日に何回も外を探すのはやめた。探しても確信も宛もないからだ。ただ闇雲にいくら探しても見つからないし、ただただ、空虚になるだけで、失踪した日から日に日に心が堕ちていくのを感じている。


いなくなって一週間くらいはあまり痛みは強くなく感情にも触れないようにしていたのもあって気丈だったけれど、今となっては時折ふわっと悲しいのが溢れてくる。特に家族と時間を過ごしていると悲しくなる。

だから極力外にいた方がいいのかもしれないけれど。


外にいて解決することでもないし、無駄な外出はしない。スタジオと家の行き来だけで充分だ。



動物にあまり感情移入してはいけないのだと思う。
私の場合、家柄小さい頃から動物に囲まれていたし、動物達が死んでいくのも当たり前のように見ていたが、自然の成り行きに対してそこまで痛くなるほどの哀しみはしなかった。勿論死んでしまうととても寂しかった、、、けれど、動物は生きることだけに力強く徹しているし、いっしょにいてくれてありがとうという感情の方が優って悲しいと打ち拉がれたことは今までなかった。

しかし、こうして大人になって改めて動物を飼い始めると、子供の頃とはまったく違った感情で動物に相対している自分に気がつく。

まるで人のように、親子のように、恋人のように接しているのだ。


だから、悲しくて、いなくなると辛くて、
胸が痛い。喪失感になっている。
思い出してしまう、どうしているかな?と。最初のうちはひたすら、ご飯食べてるかな?お水飲めているかな?他の猫にいじめられていないかな?……
そして、家の中にいた頃の歩いている姿、寝ている姿、目つきや、仕草や行動の全てを思い出し、私は一匹の猫をひたすらに愛し過ぎていたことに気がつく。
だから悲しくてたまらない。
どこに行ったかもわからないし、跡形も無くただ消えてしまうのだから。


わからない。


それで、悲しくて辛い。





こんだけ文明が発達している時代にも関わらず、猫一匹見つけられない…

こんだけ文明が発達している時代にも関わらず、普段現実的な考え方しかしないような人々が、無理矢理、お爺ちゃんをあの世に導いてくれたとかいった空想を語る。

そんな事、、アル?


そんな事、、、誰にもわからないこと、、話したとして、、物語の主人公のように あとは想像でしかない、
"めでたしめでたし"と言うだけで終わるんだよね
それは人だから。



人は動物を所有してしまっているんだね。



でも、動物しか今の殺伐とした人の心を癒すものはないんだよね。


コミュニケーションを取るのも、もはや人同士よりも、それを温度で埋めてくれる猫や犬だったり、そんな存在が何よりも優しく温かく感じるんだよね。



人のように扱ってしまっているんだよね。





だけど、どんなに愛しても、猫だから。。。

動物を愛せるのはうれしいけれど、人間の思うようには、、いかないよなぁ。


マツコを愛し過ぎたかな…

って、ほら、そう言っている私も、既に動物に対する所有のエゴイズムな発言だよね


どうにもならねえな。



あー、悲しい。


生きるって、辛さの連続だね
どんな喜びも裏には悲しみがついてくるから

喜んでる場合じゃないのかも知れない。


喜びの数だけ悲しみがあるとしたら、
楽しいことは避けて生きたらいいのかもしれない


楽しむから悲しいことも増えるのでしょう?


でも逆もあるかな、

悲しいことが多いと無駄に喜びが増えて一気にまた突き落とされる。



結局、生きてる限り、、、
どっちみち、、

同じようなことになっていくのだろう……

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