最近は、感覚が生まれ変わるかのように何を見ても新鮮だし、感覚的に感じるものや感じ方が変わってきた。

それで、自分が作りたいと思っているものは既にコンセプト的にはできあがっていることを知る。

祖父の容態とは裏腹に、わたしの中には祖父と過ごす時間とその余韻の狭間に、新たに生まれてくるものがあるのが不思議だ。

なぜ……………?

と思うけれど、
わたしの中には既に芽生え始めているものがある。


そして、そのエネルギーを感じることは数日前までは痛みでしかなかったのに、今では、物凄い勢いで自分のエネルギーを注げるものになりつつある。つまり、作品はもう作り始まっているのだ。それも世果報というテーマを一貫して…。


一昨日、
去年初めてやった作品の写真や映像を見ていて心底驚愕した。わたしは既にやっていて、やろうとしていたんだということがわかった。

わたしが表現しようとしている事は、よく分かる、まだ技術が見せ方が変えていけるはずなのだ。

今自分の身に起こっている事、葛藤、祖父のこと、感覚的な変化や、政治的なムーブメント、そして普遍のテーマ、今起こっている事は、まるで読まれているかのように前にやった作品には組み込まれている。人の輪廻転生。そして、今年の4月に大阪でMittoさんと踊ったduoもそこに通じていた。何か、物事は常にシンクロしていくのだろう。それは漠然とわかっていても、自分を信じられなかったわたしにはそう考えるのは以前は酷な事ではあったが、…

今では、はっきりと言える。

わたしは既に見つけている。



『YUGAFU 〜水に揺蕩う命の記憶〜』
これは紛れもなく私の追い求め続ける作品だ。既に上演したものではなく、これからも続けるものだ。

やった時は、とても辛かった。…
事務的な現実的な事にとても振り回されて辛かった。乗り越えきれなかった。
でも、やってよかったのだという事を今になって知る。一年以上経ったのに今更のように…。



作品に込めた想いもエネルギーも、わたしにはどう転ぼうとやらなくてはいけないと思って作った作品だ。
わかっていても、わたしにはやった事が実際無駄だったと………自虐的に考えるしか痛みを乗り越える方法が無かったのが未熟だったと思う。その瞬間は尊かったし、作り上げたものは永遠だった。


そして、今はすべてが終わっている、

だけど、これから必ずパワーを養い、前回よりも良い世果報を創ろうと思う。それはどう転ぼうと私は今後後悔をしないと思う。一瞬一瞬が永遠なのだ。作品は妥協していない、、、命を懸けてやっていないから後悔になる、つまり私はまだまだ力がしっかりと余っているのだろう。



YUGAFUを表現していこうと決心できてすこしうれしい。妥協しない、人生に腐れない、、というより、もう腐れたくないよ…

大事にしたいものを伝える
大切に思う人達を大切にしていく

それに尽きると感じた。



今は次の作品に向けインスタグラムにひたすら前回の写真や動画をアップしている。snsではあるが、snsとしてではなく、自身の制作のポートフォリオとして更新している。同じ写真が何枚もあっぷされたり、sns的にはかなりウザいことだろうけど、知ったこっちゃねえよ フォローなんてさ、外してくれて結構なんだ。
人に傍観されてるほどつまらない事考えてないから。


自分のやろうとしてる事で脳味噌は滾っている



負けない、
ぜったいに私は次に繋げる

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