昨日、おじいちゃんの余命があと一週間から十日だろうと言われていることを知った。昨日も会いに行ったけど、もう殆ど話せない。また土曜日も会いに行く。今更私にも家族にもできることはないのだけれど、入院して以来この3ヶ月間で会うたび弱っていく祖父の姿をしっかりとこの目で見ている。見舞いの初期で祖母に言われたことは、
「人の一生が終わる姿を観察してこれからに生かしてほしい」
わたしには、ただただ観察していることしかできない、


祖父の痛がる姿、そこに献身的に答える祖母の姿、
祖父母を毎日心配する母の姿、
私は何もしていない、
ただそのみんなの姿を見ているだけなのだ、

観察している、
感情を堪える、
一番大変なのはおじいちゃんだし、それを支えるおばあちゃんだ、

周りが騒いでどうする…だから私は無感情を貫くように励む。観察する時には、
感情を出してはいけないからだ。



先週からひたすらに感情を抑制していて、今にでも爆発しそうだけどただずっと抑えている。泣くこともできない、適当に感情を癒すこともしない


踊ることくらいしか本当に解放する瞬間もないのだと思う。
他人には相談さえできない。
そこは所詮他人なのだろう。どんなに仲良くしたとしても、最後にどういう風に相手は手を返すかはわからない。信用して傷つくのは自分。
裏切らないような人なんているかな?今まで深い友達がいたことないし、他人とはやはり当たり障りなく付き合うしかないのだろう。



それはそうだ、
家族にしか、感情はぶつけられない…

だから嫌でも痛くても
そこには絆があるのだろう…


どんどんアンバランスになったり情動的になりかける心を自分で制する。


心に穴が空いても叫ばないことだ。