今日は入院中の祖父の病院へ三線を持って弾き語りに行った。正月に会った時には多少の不自由はあっても家で生活していたのが、1月末〜2月あたりに体調を一段と崩し再び入院生活を強いられている。

見る度顔が変わっていたり、弱ってきているという情報を耳にしていたので、私もそろそろ会いに行かなくては…と思い、思い立って直ぐ今日見舞いに行った。

今日もいつもの如く三線を持って病室へ行った。祖母は不意に私が現れたので、
「丁度三線を聴かせに来て欲しいと思い連絡しようと思っていたの!今日はおじいちゃんに歌って弾いて聴かせてやってちょうだい!」
と言って、
たまたま私もいきなり来たのだが、最近は身近な人とのタイミングがよくリンクする。


三線をはじめたのは3年程前。
その頃私は沖縄を1年に7回ほど旅しているような年で、あまり頻繁に旅するため安い宿を転々としていた。ある夜泊まった宿は一泊1,500円程のホステルで真夏だというのに空調設備を使うのに1時間100円取られるのであえてエアコン付けずに、窓から運良く夜風が部屋に入らないかとうずうずしながら試行錯誤していた。窓には網戸が無く、開け放せば蚊が入ってくるのでなかなか大々的に開けられないのだが、窓をうっすらと開けた時に完璧な夜の闇の中のどこかから三線の音色が聴こえてきた。誰かが練習しているようだった。その音色と息づかいが体の中にじんわりと響いてきて、熱帯の夜の暑さも、宿の不便さもすべてが三線の一音一音と調和してとてつもなく心地のよい空間になった。
それまで三線の音は沖縄の町中ならどこからでも観光向けのCDが流れているし、食事屋さんやらでも生演奏しているのをちょくちょく見かけてはいたが、
こうして、安宿の窓を開けた時にふと聞こえた三線の音色は心を鷲掴みにしてそれが聞こえなくなるまで私は聞き入った。またその三線がプロのように完璧でないところに物凄く味があった。
そしてその夜が明けた次の日に私は練習用の一番安い三線を買いに行き、その楽器屋にいたおじぃに10分500円で簡単な弾き方を教わって以来、その日から独学でYouTubeを見ながら三線を練習した。

音の出逢いや感動は凄まじい。一瞬のことなのに、その世界を永遠に奏でるような三線の音色は私の中で最も感動的だったし、とても癒された。

三線との出会いがあってからはじめて祖父母の家に三線を持って現れた時、試しにまだまだ下手くそだけどと言いながらも、祖父に弾いて歌を聞かせたら今まで見たことない表情というか、まるで素っ頓狂な顔をして目の奥が開ききった感じで私が弾くのを見つめ聞き入っていた。 
弾いた後に、

「宝よ、お前、なかなかうまいよ。
三線練習してこれからもっと弾いたらいいよ」

それからというもの、
一昨年始めて祖父が緊急入院した時にもお見舞いに三線を持っていって病室で弾いていた。その時は、祖父の意識が混濁していた状態で生死を彷徨いかけていた。少し意識が回復し出した時、顔を合わせたら祖父が、

「ずっと狐とタヌキが自分の周りを忙しそうに動いていた。そしたらいきなりどこからかお前の三線の音が聞こえてきたんだよ。そしたら目が覚めたんだ」

三線の音色が祖父をこの世に引き戻したのかな…
まさか、
と思ったけれど
正直自分にはわかる。この音色が脳のどこかに響いた時に何かが、蘇る感覚。

忘れていた情景をふと思い出したり…
記憶の中の傷を癒し呼び起こさせたり…
なんだかわからないけれど、三線て凄い。


それからというもの私は祖父を見舞う際には三線を持っていく。
病院という素っ気のない場所にずっといる祖父と、つきっきりで世話をする祖母の気持ちや空気を替えられる手段でもあるからだ。

簡単なものしか弾けないけれど、聴いて懐かしい気持ちになったりして一緒に歌ったり出来たら楽しいし病室という空間に、気が入る。

今日は、祖母と母がいっしょにいて私の三線に合わせて二人が涙を溢れさせながらおじいちゃんの手を握ったりさすったりしながら歌っていた。

三線は良いな、
人の温度と心を繋げる音色。


「また来週も三線持って歌いにくるね」
と祖父の手を握る。

祖父は、
「宝は、やればなんでもできるよ」
と掠れた声を放ちながら、

つよく手を握り返してきた。

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