大阪にいたことが夢だったかのように
楽しかった時間は早く過ぎていった。

言葉では言い尽くせない想い
言う必要もないのかも知れないけれど
言葉にしたいって思う

踊りにするには時間がかかっていく
踊りの先に言葉があるとわかっていても
踊るよりも先にそこに触れたいと思う気持ち
だからやっぱり心を言葉にしてみたい

でもなんといったらいいかもわからない
正直になればなるほど取り繕うような言葉さえ出てこない、
それで自分が如何に
言葉にならない感情を抱いているかに気がつく…………


考え方をシフトして表現したとすれば、
今回は踊ることに対する希望を見出したという表現で間違いはないと思う

それは人があってこそのもので、
こうして繋がったり出逢っていく奇跡を感じられる今だからこそ前に進めると思った

わたしの中には20代で蠢く感情とその起伏とに流されてとても苦しい思いがずっとあったけど、こうして30代に突入し最初に出逢えたテルさんやミットさんのお陰でかなり前向きな気持ちを抱けてここから踊っていかなきゃと思えたことがとても大きな出来事でした


もう、いいや、、踊っていてもつらいのは変わらないとか
体は歳とっていくし、痛いところは増えていく、、それが死ぬまで続くのかと思うと先を思いやられ溜息つくようなことも既にあった、

でもこうして、踊りが大好きな人々と出逢うことが自分を思いっきり元気にしてくれた。
すごく嬉しいことだ

これまで自分の師匠達は自分の人生の中でとても大きい存在だが、それ以降に本気で踊りを愛する人々とはなんだかんだ私が過ごした20代ではあまり出逢ってきていない気がする…… みんな踊りというより、踊り手で踊りにコンプレックス持っていたり、ただ有名になりたいとか、売れたいとか、どうでもよい小さな世界で踊り手はただの業界のカモになり、それを形成するだけの政治的な大人が多い。プライドと金で、踊る人の何がわかるだろうか?身体的に修練も無いような人々が本当の意味で、踊り手を潰すのだと思った。


踊ることは、自分の中にあるものだ。
だれかの天秤に掛けるようなものではないしどこかに属して売れれば一流なわけではない。

自分が誰でどう生きていてこういう感情や感覚を得て、こうしてこの地に立っている、それを踊ることで表現する、それだけのシンプルなこと

小さな世界の狭い偏った常識は危うく、その中にいれば壁がじりじりと近づいてきてそこで潰されていく感覚さえも麻痺して同じ色と形にされてしまう。


わたしは意味も無いところで八方美人になり、他人の目を気にし、それでも正直でいたい自分の中にある蟠りが時折爆発し、敵を作り、そんな時期を過ごしてようやく今がある

過去は変えられないけれど今は変わっていくのをよく感じられる
これからもきっと踊っていくしかなくて
踊っていけると思った

迷いもない

数々の師が自分の中に生きている
わたしはすでに私一人のダンサーではない


私が単に強くなったわけではなくて
ただただ踊りが大好きな人たちの愛に触れただけのことなのだけど、それはやはり踊っていくという運命にあるからこそこうした尊い出逢いが存在するのかもしれない

それにしても有り難いです。
感謝してもしきれないです。
もの凄く心が喜んでいます。


TeruさんとMITTOさん。
いいなぁ………好きだなぁ……素敵だなぁ……
あったかくて
本当にやさしくて
真心って大事なんだと感じた、感じる心って大切なんだと感じた、踊り手以前に人でいなくてはいけないのだと感じた、そこがアートなんだと感じた。そして合わない人と離れることも然り、波長の違う者との距離感はきっちりと保っていかなくてはならない


2018年、はじめて創作活動を繰り広げた年でした。
その中でも色々とあって悲しいなと思うことも12月まであった。もうすぐ終わっていくけれど、この年の終わりにこんなに心が一転し元気になるとは思わなかった

来年の抱負といった仰々しいものもないけれど強いて言うならば、身体の中を更に見つめながら、
ただただ踊り続けたいと思う。

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