かれこれこの3日間、とても不思議な気持ち。

一言で言えば苛々しているのだけど、対象物があるわけでもなく、何か嫌なことがあったわけでもないのに、単に苛々していてそれでも怒りという沸点までにはなかなか達しない。

頭の中がどーんと重くて、スッキリした気分にならない状態。だからただただ何にムカついているわけでもないし、怒ってもいないのに、頭の中が苛々している。

そんな状態で家の中にいればダニエルの言動は苛々という一種の火の粉に油を注いでくる。ただ私の今の苛々はシケているのでなかなか燃え上がらない。いつものようにもう少し感情的になれたら楽なのかもしれないけれど。何故か感情を抑制する力が強く働いているのだ。

ただただ苛々しているのはメンタルというより体調のせいなのかもしれない?2日前なんかは物凄く鼻が詰まっていて呼吸がしにくいし頭もボヤボヤするし何飲んでも食べても味も香らず楽しくない。。。身体中の感覚を感じるところをサランラップで包んで閉じ込めてしまったかのような感じ。
外の空気吸いたいのに潜水艦の中にいるかのような。
そんな感じ。
息をしているけど、息をしているのがなんとなく息苦しい感じ。ダイビングのマスクをして呼吸しているかのような。



昨日は、一昨日よりはマシだけど人の言うことに答える余裕が無いから殆どダニエルが何言ってても無視していた。おまけに体中が痛くて脳みそまで凝り固まってしまったかのような。腰が一歩間違えるとギックリ腰になりそうな痛みがあったので起きてすぐに湿布を貼り、日常動作をゆっくりと腰に負担が来ないように動いていた。頭の中が重い時は首のあたりから何か調子が悪い。おまけに腰が痛いと自分の中には一切の余裕がなくなる。
スタジオに篭り1時間マッサージ機の上に横たわった。温熱のモードがあるので、マッサージ後10分ほどその上で寝て、起きあがりそこからウォームアップを始め4時間後には完璧に体が動けていた。

最近は体がよく動く。

体の不安も段々と無くなり精神以外はコンディションがかなり良く動ける状態になってきている。


今日は、案の定体がまたガチガチになって起きた。
ゴルフのレッスンに加え、来週と再来週行けない振替分を先週と今週で受けている。体の動きの調子悪さはゴルフに顕著に出てくる。コーチも、「今日はかなり調子が悪いね」なんて流石に御見通しだ。

どんなに体のコンディションがうまくいっていない時でもレッスンは無駄ではないと私は感じている。どんな状況の時もやってみる、そして、その感覚を味わう。そうするといつもできることが出来ないなど、感覚を彷徨うことが重要だ。自分がこういった状態の時に、コーチがどうアドバイスするか、それを素直に聞いてゆっくりと焦らず、それまで言われていた細かいことについては一旦頭空っぽにして、ただ今の自分の体と見つめあう。するといつもとは違うアプローチで感覚が蘇る瞬間もあり、また、いつも意識していない部分が強く意識できてその体の部分を使っていることが強く感じられる。そうして新たな面で打開策を見出していけるのだ。不調と好調とを繰り返すことは経験であり、練習であり、人の体も精神も日々変わるものだから踊りも趣味のゴルフにしても成長に繋がるのだと思った。


ゴルフ終わって帰って来て、

お風呂もしっかりと入り湯船でストレッチしたり、最近週に2、3回程度やっている酒粕パックをした。

自分の体の為に何かを出来る時間は尊いと思う。

少し前まで美容なんて面倒くささでしかないと感じていたのに、今では美容という意識もなく単に体に良いことを自らの衝動で行っている。年齢30を過ぎると必需な感覚だ。。。凡ゆる老化の反応には抗うことはできない。ただ、体をケアして大事にする事だけだ。



そういえば最近、毎朝猫を外に出す日課が増えた。
朝起きて猫を外に出す時外がまだ若干寒い🥶❄️それなのでいっしょに出て、新鮮な空気を吸い込んでしばらく猫が遠くに行かないよう監視する為外にいる。そして試しに飛び跳ねたりなんだりして自分のウォームアップもする。

それにしても猫がいると生活が明るい。
こんなにすばらしい生き物は他にいないというくらい、私の人生を輝かして毎日を明るく照らしてくれる。猫は人を幸せにする生き物だ。


猫の糞の掃除も、ゴハン作りも、飲み水機の清掃も、歓びを持って行っている自分がいる。面倒くさいだなんて一切思わない。本当に好きだし、本当に大事だから。


そして、つい最近友達が文鳥を飼ったとLINEして来た。正直なんとも思わなかったけれど、その子は猫好きで猫も飼っているのでどちらかというと猫に食われないだろうか?とそっちが気にかかったのでその旨を伝えた。

私が子供の頃家で飼っていた猫がベランダでツバメを仕留めていた。猫はそれを自慢するかの如く胴体を持ってきたが、首がない。後ほど、胴体と頭それぞれバラバラになって別の部屋の床に落ちているのをみたことがある。その事を友達に伝えた。「やめて?ほんと恐怖でしかない」と言われた。

私は鳥を飼う人はみんな精神的に頭がおかしいと思っていた。だから勝手に鳥を飼っていると聞くと距離を置きたくなる。それを初めて正直に彼女に伝えた。そしたら「まってまって頭おかしいところの下りが気になる」と言われたので、自分でも理由を考えたことなくてただ漠然と鳥と蛇を飼う人間達は飼ってるもの同士が同類であり同罪であると信じていた。

とりあえず理由を見出した。

鳥は、
①手が怪獣みたい
②空を飛んでしまう
③目が何を言っているのか分かりにくい

まず、空を飛ぶような生き物と如何に意思疎通するのだろう… か?

蛇と、どうやってペットとして意思疎通するのだろうかか?…………


でも、その文鳥を飼い始めた友達はまずサイコではないと言い切れる。信用できる人だ。だから鳥を飼ってる人間はそれでも大半は頭おかしいと思っているけれど、セキセイインコとかオカメインコとか、どちらか忘れたけどどちらかを飼っている人はもっと頭おかしいらしい。
少なくとも文鳥の彼女は大丈夫。彼女は唯一頭のおかしくない鳥飼育者であろう。


というところで、今日のiraira日記終わります。


おやすみなさい。🛌

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今日は入院中の祖父の病院へ三線を持って弾き語りに行った。正月に会った時には多少の不自由はあっても家で生活していたのが、1月末〜2月あたりに体調を一段と崩し再び入院生活を強いられている。

見る度顔が変わっていたり、弱ってきているという情報を耳にしていたので、私もそろそろ会いに行かなくては…と思い、思い立って直ぐ今日見舞いに行った。

今日もいつもの如く三線を持って病室へ行った。祖母は不意に私が現れたので、
「丁度三線を聴かせに来て欲しいと思い連絡しようと思っていたの!今日はおじいちゃんに歌って弾いて聴かせてやってちょうだい!」
と言って、
たまたま私もいきなり来たのだが、最近は身近な人とのタイミングがよくリンクする。


三線をはじめたのは3年程前。
その頃私は沖縄を1年に7回ほど旅しているような年で、あまり頻繁に旅するため安い宿を転々としていた。ある夜泊まった宿は一泊1,500円程のホステルで真夏だというのに空調設備を使うのに1時間100円取られるのであえてエアコン付けずに、窓から運良く夜風が部屋に入らないかとうずうずしながら試行錯誤していた。窓には網戸が無く、開け放せば蚊が入ってくるのでなかなか大々的に開けられないのだが、窓をうっすらと開けた時に完璧な夜の闇の中のどこかから三線の音色が聴こえてきた。誰かが練習しているようだった。その音色と息づかいが体の中にじんわりと響いてきて、熱帯の夜の暑さも、宿の不便さもすべてが三線の一音一音と調和してとてつもなく心地のよい空間になった。
それまで三線の音は沖縄の町中ならどこからでも観光向けのCDが流れているし、食事屋さんやらでも生演奏しているのをちょくちょく見かけてはいたが、
こうして、安宿の窓を開けた時にふと聞こえた三線の音色は心を鷲掴みにしてそれが聞こえなくなるまで私は聞き入った。またその三線がプロのように完璧でないところに物凄く味があった。
そしてその夜が明けた次の日に私は練習用の一番安い三線を買いに行き、その楽器屋にいたおじぃに10分500円で簡単な弾き方を教わって以来、その日から独学でYouTubeを見ながら三線を練習した。

音の出逢いや感動は凄まじい。一瞬のことなのに、その世界を永遠に奏でるような三線の音色は私の中で最も感動的だったし、とても癒された。

三線との出会いがあってからはじめて祖父母の家に三線を持って現れた時、試しにまだまだ下手くそだけどと言いながらも、祖父に弾いて歌を聞かせたら今まで見たことない表情というか、まるで素っ頓狂な顔をして目の奥が開ききった感じで私が弾くのを見つめ聞き入っていた。 
弾いた後に、

「宝よ、お前、なかなかうまいよ。
三線練習してこれからもっと弾いたらいいよ」

それからというもの、
一昨年始めて祖父が緊急入院した時にもお見舞いに三線を持っていって病室で弾いていた。その時は、祖父の意識が混濁していた状態で生死を彷徨いかけていた。少し意識が回復し出した時、顔を合わせたら祖父が、

「ずっと狐とタヌキが自分の周りを忙しそうに動いていた。そしたらいきなりどこからかお前の三線の音が聞こえてきたんだよ。そしたら目が覚めたんだ」

三線の音色が祖父をこの世に引き戻したのかな…
まさか、
と思ったけれど
正直自分にはわかる。この音色が脳のどこかに響いた時に何かが、蘇る感覚。

忘れていた情景をふと思い出したり…
記憶の中の傷を癒し呼び起こさせたり…
なんだかわからないけれど、三線て凄い。


それからというもの私は祖父を見舞う際には三線を持っていく。
病院という素っ気のない場所にずっといる祖父と、つきっきりで世話をする祖母の気持ちや空気を替えられる手段でもあるからだ。

簡単なものしか弾けないけれど、聴いて懐かしい気持ちになったりして一緒に歌ったり出来たら楽しいし病室という空間に、気が入る。

今日は、祖母と母がいっしょにいて私の三線に合わせて二人が涙を溢れさせながらおじいちゃんの手を握ったりさすったりしながら歌っていた。

三線は良いな、
人の温度と心を繋げる音色。


「また来週も三線持って歌いにくるね」
と祖父の手を握る。

祖父は、
「宝は、やればなんでもできるよ」
と掠れた声を放ちながら、

つよく手を握り返してきた。

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先週からリハーサルのため大阪に来ていて
一昨日の午後、国立国際美術館にクリスチャン・ボルタンスキーというフランス人のアーティストの展示を見に行った。

この展示は凄く印象的なものだった。


ボルタンスキーは、
歴史や記憶、死や人間の不在と存在の痕跡をテーマとして表現し続け、ナチスの暴力、ホロコースト以降の社会における死について問いを投げかけてきているアーティスト。

彼の一貫した創作のテーマから、
永遠に色褪せることの赦されない過去からの現在進行形である闇の中の光を示しつづけているような展示だった。


空間を祀り、空間に陥れる。
作品の中の一つ一つが、見て見ぬ振りのできない「不在」の集合体。そこにただよう響き、光や影、物の角度は、人間の欲望が取り止めなく生み出していく社会の不条理さや世に生まれる人々の哀しみの抜け殻を象っているかのようだった。


そこに対して、見ている者がシンパシーさえも抱くことができずに佇むことしかできない無力さを感じさせるのだ。

写真撮影を許可している事においてとても不思議に思ったけれどどうしても撮ろうという気は起きなかった。何故ならそこは不在の山だからだ。
それを撮影したところで断片的に写る物体はただのインテリアのオブジェにしか見えない。

ただ、言われた通りどこでも写真を撮りまくっている人々が大半で、試しに彼らが携帯のカメラで撮ろうとしているものを覗いたけどやはり無意味な物体にしか写っていない。しかし、撮影している人間達を俯瞰し全体でその空間の構図を見た時に驚いた。無意味なものを撮影している人々の姿があるこの空間の風景が私にはかなり怖いと思った。

見に来ている人がインスタレーションの作品の一部になっているというところに後に一緒に見に行った人と話して気がついた。
この[Lifetime]という展示の完成形は、現代の機器であるスマホで写真を撮影している人々の姿があって完成するのだろう。

私がその展示を見ていた時に、大人が楽しそうに記念撮影する中、赤ちゃん連れで来ていた夫婦のベビーカーの中で泣き叫ぶ赤ん坊の声が響いていたり、展示作品の一部にある心臓音が聴こえたりしている中、大人が酷く無機質に見えてたまたま泣き叫んでいた赤ちゃんの声がまるで誰にも聞こえていないように感じた。

子供の恐怖や悲痛の訴えは大人には聞こえていない。
何も考えず、考えることや感じることを麻痺させられていて、社会の流れに乗せられ、必死に命が訴え掛ける響きには完全に気が付きもしなければ、それを黙認したとしても感覚が疎くてなんとも思わないのだろう。


それがボルタンスキーが創作する作品を通して表現するメッセージの一部になっていると思った。人間が持つある種の性質は常に現在進行形の過ちなのだ。


いつの時代も人は残酷で弱く、傷つけ合うことで得をする人間に支配され不幸が無くならない時代はない。


この葬り去られた光を尚灯し続けること、
それは単に絶望の闇を見せているのではない。
その痛みや響きを代弁するようにアーティストが作品に命を掛けて表現する。入れ替わり立ち替りする無関心な世の中に必ず存在し続けなくてはいけないトランスミッターの役割があるのだ。


戦争と平和は紙一重。


人は選ぶ道をよく考えなければ一瞬で万物の灯火を消し去ってしまう。

生命を繋ぎ続ける人間の一人一人は単体ではなく 過去も未来も、先祖も子孫も、悪も正義も、毒も闇も光も、すべてが自分である。

私がクリスチャン・ボルタンスキーの[Lifetime]で感じたことでした。



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