【Rain】というタイトルで4つのシーンから成る〔Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ〕で構成している作品について。自分なりに明記しておきたいこと。

映像は昨年記録用に撮ったものなのだが、流れで可視化させるとより風景のような感じになり、自分のポートフォリオとして映像を保存するにあたりそれぞれのパートにもタイトル付けを試みてみた。

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また、この雨の書は、作品を作るたびに伝えたイメージに対して素晴らしくしっくりと来るインスピレーションで書き上げて下さる書家の正美さんの字。 プロジェクト名のYUGAFUの書も正美さんが書いています。



 Ⅰ のシーン、タイトルは「11月4日」。

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イントロダクションは、導入としてわたしが体験したとある11月4日の寒い雨の日を思い浮かべながら作った。その日は、気温がぐんと落ちた冬さながらの雨模様で気分がとても落ち込んでいた日だった。そんな日にバイトの帰り道自転車を押しながら、手先足先が雨に濡れて冷えて感覚がなくなるかのようだったのにも関わらず、わたしはひたすらその雨の冷たさを感じると心の疼きが鈍くなるような感覚がして、自ら濡れて浸っていくような感じだった。

自転車を押して歩いているとスターバックスが見えて、店内の窓ガラスは曇っていた。きっと中はあたたかいのだろう…… 家には帰りたくなかったのでわたしはその窓ガラスの曇ったスターバックスに入った。案の定店内はあたたかくて、ふと匂ったシナモンの香りが一瞬だけ胸の奥の痛いところをつついた感じがしてくらっとした。


とまぁ、上に書いた情景は本当にあったことで、その日から手っ取り早く言ったら私は洗脳の世界のようなものに誘われたのである。一人の人に依存し、精神的に激しく破壊的な一途を辿る。その一連を描いたのが「Rain Ⅰ〜Ⅳ」だ。

だから正に11月4日は記念日だ。その日を忘れることはなくシーンⅠのイントロダクションを「11月4日」とした。


「Rain」では全体通して笠や仮面、石や布などの小物を使っている。前半で笠を使っているのは、笠というのは顔を目の部分までを陰にして口元の表情しか見えないわけだが、こうして顔を半分隠すことにより表情や感情が読み取りにくいところに妙な人の見えない表情をもたらす。
私がとある人と出会う11月4日、私も相手も互いの素性は知らないけれど、それが徐々に惹かれ合うというところの雰囲気は、正に笠を被った顔に浮ぶ微笑みのようなものに近く、完全に見えないわけではないけれど、なんとなく感じるものをじわじわと匂わす、人と人の感の触れ合いを意識している。

また笠は民も被るが、僧侶達もよく被るものでもある。何かこの世とは違う次元に精神性を営み、肉体精神を修行するようなもののニュアンスも含め、見えない表情の中にはこの世のものではないような感性を含ませることで、誰かとの繋がりが尚更偶然ではなく見えないものの中で意図されていたかのような、哀しくも純粋な、人との情景を表現したいと思った。

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このシーンの最後は向き合って一度座った姿勢から、立ち上がって次のシーンに移る。
そこから、互いをより意識し合い、どんどんシンクロしながら関わっていく様子を表現していく。

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これが、イントロ「11月4日」の大まかな概要である。

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昨日、おじいちゃんの余命があと一週間から十日だろうと言われていることを知った。昨日も会いに行ったけど、もう殆ど話せない。また土曜日も会いに行く。今更私にも家族にもできることはないのだけれど、入院して以来この3ヶ月間で会うたび弱っていく祖父の姿をしっかりとこの目で見ている。見舞いの初期で祖母に言われたことは、
「人の一生が終わる姿を観察してこれからに生かしてほしい」
わたしには、ただただ観察していることしかできない、


祖父の痛がる姿、そこに献身的に答える祖母の姿、
祖父母を毎日心配する母の姿、
私は何もしていない、
ただそのみんなの姿を見ているだけなのだ、

観察している、
感情を堪える、
一番大変なのはおじいちゃんだし、それを支えるおばあちゃんだ、

周りが騒いでどうする…だから私は無感情を貫くように励む。観察する時には、
感情を出してはいけないからだ。



先週からひたすらに感情を抑制していて、今にでも爆発しそうだけどただずっと抑えている。泣くこともできない、適当に感情を癒すこともしない


踊ることくらいしか本当に解放する瞬間もないのだと思う。
他人には相談さえできない。
そこは所詮他人なのだろう。どんなに仲良くしたとしても、最後にどういう風に相手は手を返すかはわからない。信用して傷つくのは自分。
裏切らないような人なんているかな?今まで深い友達がいたことないし、他人とはやはり当たり障りなく付き合うしかないのだろう。



それはそうだ、
家族にしか、感情はぶつけられない…

だから嫌でも痛くても
そこには絆があるのだろう…


どんどんアンバランスになったり情動的になりかける心を自分で制する。


心に穴が空いても叫ばないことだ。




先週末、Teruさんが東京に会いに来てくれた。

一泊二日の予定だったけれど、二日泊まって朝帰っていった。半日でも多く一緒にいられて嬉しかった。

昨日は昼に一緒にお寿司食べて午後は上野にクリムト展を見に行った。昨日は一日中頭の中がぼやぼやしていて話したいことがいっぱいあるのに頭が動かなくてやっと会えてとても嬉しいのに大した話もできない感じでいたけれど一泊伸びたら段々いつものように話せた。

わたしの小さい頃からの悲しい癖がある。
"お別れの日ブルー症候群"だ。それこそ幼少期はあからさまに悲しい顔になりガクンと落ち込み、涙が止まらなかったものだが、最近では自身の生まれ持った性質を完全に認知しているせいか、脳内のプログラミングが進化し、未然に予防体制に入るのだ。つまり、お別れの日ブルー症候群の場合、喜びや楽しさ、愛おしさなどの想いを抱けば、すぐに悲しみ感情のスイッチが反応してしまうので、それが勃発しないようにと脳内が自然と不活発化するようになっている。究極のところ何も感じなければ淋しさも起こらない。


人と近くなると、喜びも増える分悲しみも多くなる。


人に感情を抱くことほど面倒だと色々な経験から感じていたため、約2年ほど前から人とつるむことを避けるようにしていた。勿論恋愛なんてこの世で最も嫌いなものだし、友達とも深い仲にはなりたくなかった。裏切られたりして傷つくのは嫌だしマイナスな感情に囚われている時間が痛くて無駄だ。。それに淋しさを感じるくらいならば現実的に何かで体が痛かったりした方が紛れたり、自分を傷つけて淋しさを緩和したい衝動が湧いてくる。実際にはそんな事もできない。。無力すぎて。


でも、人はそんな淋しさという痛みを忘れる。


最近はまた色んな人と出会って仲が深まり始めた。最初はやはり人付き合い程悩ますものはないので、人を信用しないように、また心奪われ依存して深入りしないようにと心掛けて人と接するようにしていた。真摯に、でもあくまで内ではなく外面で接するように。しかし、心を開くような人と出逢うことで、時間と共に自分というものが徐々にふるいにかけられ素直な部分が顕になっていくのを感じて、わたしはまたなんとも言えない淋しさを感じる人間になった。


人間なんて嫌いなのに、とても信頼できる人々に出逢うと私は素直になる分淋しさを再び味わうようになった。そしていざ会えば、会うは別れの始まりそのものでお別れのカウントダウンが始まっていると思うと一緒にいても感情が左右されないように自分を制することで精一杯になる。話したかったことさえも話せず、まるでいっしょに食事しようと言って一人で舌を火傷しヒリヒリして何も味わえなくなってしまったかのような、そんな残念さ。。。


出逢う人々と信頼し好きになったり、気持ち寄せ合っていることを感じると、故に私の心の中は同時に悲しく、淋しく疼く。


人と出逢うということはそういうことなのだろうか。


何も永遠の別れでなくてもバイバイと言って目の前から相手が消えてそこに規則的な物の配置や知らない人々の不特定多数の動作が無関心にその空間を遮っていく時に、わたしと見えなくなった人との一秒一秒をさらに無機質に遠ざけていく感覚はとてつもなく空虚で淋しい。心の疼きにふわっと胸が痛くて、すこし苦しくて、涙しそうになる。そんな時に頭上に開けた広い空や少ない雲が広がっていたなら、淋しさよりも同じ空の下にいるということを感じられるのだろうか。そして、それを感じることで淋しさは拭えるのだろうか。わからない。

とにかく人と出逢うことは喜びと共に淋しさを植え付けられる。その淋しさは喜びの反動でもあるのだろう。


昨夜見た夢は、帰って行く人を想うあまり、案の定色んな人が帰ってしまう夢を見て、わたしのお別れの日ブルー症候群はこうして30歳になっても尚起こり続けている。


別れを惜しみすぎるとあまりよくないと思うから私は別れの場であまり惜しみはしない。でも、そのかわり一人になった心の中で疼き、ひたすら痛い。もう少し心が成熟したならこの痛みはいつか気持ちよくなれるのだろうか。30歳という今のわたしにはまだ、分かり得ない。

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