ひとの本音はいざ試されたときに強く出る
そしてどんな風に付き合うか計算できる
自分のそんな癖のようなものもやめたいとも思うけれど人を試さずにはいられない
若い時にしてやられてきたからには、
そう簡単に人を信じることはない

いざ自分がどうしようもなくなったときのシュミレーションを試みる
所謂、友達という人間がどういう言動を放つか
それによって自分の中で人を分類するように

ただそんなことも割と仲良い人にしかやらない

好きでもない人には関心さえないし
試すも試さないもどうでもいい
所詮は関係ないと思ってる

自分は自分
他人にはわからない思いと経験と環境を背負っている、それは誰にでも言えることだ
それを最初から比較もしない
わたしはわたし
他人は他人
皆それぞれの環境で好きなように生きればいい、
他人の人生をジャッジしようがないし
どんな風に生きようと
死んだら皆んな同じ灰になるのだ

死んだら同じだ
生きていてどんなに儲けようと名声を得ようと権力得ようと、得たものは皆んな無くなるのが死
死んだら皆んな同じ
凶悪犯も善人もビジネスマンもホームレスも貧乏も真面目にコツコツとやっていても
皆んな同じものになる
前世のことや来世のことウンタラカンタラいう人々もいるけどそんなことはただの幻想に過ぎない
未来も過去もわからない
人には今しかない


今を大事にするか
今を生きているか
来世のことなんてどうでもいいんだよ
前世のことなんて知ったこっちゃねえんだよ
今、好きなことできているか
今、何かやりたいことをみつけているか
人でも動物でもなんでもいいんだと思う


誰かのためになんて、思い過ぎれば自分をおろそかにしてしまう
自分のために頑張れば自ずと誰かも元気になる
絶望なんてしてはいけない
勝手に絶望なんてしてはいけない
自分に希望のない奴が誰かを幸せにできるだろうか


わたしは絶望はないし希望は強くはないけど
とりあえず静かに積み重ねているものはある
それは誰にも言わない領域のものだ
きっとどんなに仲良くとも知りようもないだろう 


人なんてあてにしてはならない
言うことが大体皆んな同じだしそれが社会の代弁であり庶民の暮らしであり、つまりは集団心理でもあり常識の狭い思い込み思考の島国人間の思考はかなり頑なだ


どんなに世界を見ようと植えつけられた思考を手放すことはなかなか困難なのだ、どんな国にいようとそれぞれ価値観と常識が違うからそれを手放すなんて容易なことではない


しかし本当に自分の心の目で人を見ているだろうか?
何かの常識に左右されずに自分の想いを抱けるだろうか?
無理なんだよねそんなこと…


ひとりの人間の思考や感覚さえ
みんな影響されて形成されている
つまり完全にオリジナルなオリジナリティなんて無いのかもしれないんだよ

そうしたときこの人はいい人だ、気が合うと言ってもたまたまに過ぎない

たまたまそれぞれの人生のタイミングの波長と価値観とがうまく合っているに過ぎない 


更に言えば
会っていても会っていないに等しい


目の前で温度があるのも物質としているけれど
光の反射やなんかによってそれが視覚化されているとすれば
地球以外の場所であったとしたら、目に映っていない可能性さえある


目に見えているものがすべてなのか???!
それも相当不確かなことだと私は思う。


世界が暗闇だったら見えねえじゃねえか!!
なんで目に見えたものを信じられるわけ???
闇の中だったらわかりようもないものを…

ということになる


つまりこの世で信じられるものなんて無いということです。

わたしは母を信じます


一応、母はわたしを産んでくれた人だからです
記憶には無いけれど
現実にわたしがこの世にいるということは、
つまり母がわたしを産んだからです


直属の血縁関係まで疑いだしたら本当に孤独だろうな
でも少なくともわたしは母のことは世界で一番信頼信用しています



あとのことは、ちょっとわかりません (笑)

信用したいのだけど信じて裏切られると偉く疲れるので最近はそう簡単に人を信用しませんし、信じたくもありません


人を信用できたとしてもやはりいなくなるものですから
いなくなるものを、どう信じたらいいのでしょうか?
連絡なんていつでも来るものではないですし
いるかいないかなんてそもそもわからないのです
光の加減で見えないものになる可能性もあるし
物体ほど柔で不確かなものはありません


結論、人は一過性のものに過ぎず
永遠を誓うような対象ではありません


永遠というものは
奏でや人と人の熱が弾けたいっときの瞬間のことだと私は、思います


一瞬が永遠なのだと思います 



肉体は永遠ではないけれど
肉体を使って何かを表現した瞬間は永遠です




そして尚思う、
わたしは人間が苦手です.

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ちいさな修行。
自身の人間力を試されるかのような日々でした


友人が目の前で葛藤している様子も、
精神的に少し参っている感じも、
目の前にいるのに何もしてあげられない不甲斐なさと、 
どんなに話を聞いてもチカラになるような言葉一つ言ってあげられないし、
そして結局わたしは無力で、
友一人さえ励ますこともできないと、
ただ何もせず、何もできず
どうしたらいいか分からず
その場にいるだけで
ただいることが申し訳なさすぎて

そして、だいすきなその人のいつもの優しい笑顔に出逢えない淋しさと、
鎧甲冑を纏い無言で宙を見つめているかのようなその目つきや、体全体に漂う殺伐とした空気、
わたしは自分勝手ながらにそんな友を見ていることも同じ空間にいることもなんだか辛くて
泣きたくなったりもした、でも

いつもなら辛いからと、一層の事相手を構わず嫌いになってしまえば楽になるとか、好意をもってしまうから苦しくなるのだとか、ならば人というものを好きにならないように友達なんて作らなければいいと、自分からわざと断絶して離れるようなことをよくしていたけど、今回はそこに勝手にストッパーが働いた。漠然とそんな行動から自分を留めておこうと素直に従った。

寂しさに耐えずに予定より早く帰ることもできたのだけど、それにその方がある意味相手にとってもラクかもしれない、とも思ったのだけれど、今回はあえて予定通りにそこにい続けた。

余裕が無い中でも精一杯私にしてくれていることや思い遣りや気遣いを心底に感じているから
とても感謝しているからこそ、普段通りのその人の姿に今回出会えなくても私が文句垂れてる場合ではない。

人には誰にでもバイオリズムがある、だから仕方ないさと思えた。その人の新たな一面をただ何も言わずに見守ることができたなら、それはそれでわたしの進歩でもあると思えた


これって言ってみれば当たり前の事なんだけど、
わたしは今まで人の不機嫌な姿、悲しんでいたり苦しむ姿を見ているのが怖くて、その飛び火がわけもなく飛んでくることに耐えられないような気がしていた。だからそれが起こる前に自ら人を遮断することで今までは回避してきた


今回はそれはしたくなかった
逃げる事は簡単だ...それよりも
大切な友人を失う方がつらい
大好きな人達と私の一人よがりな臆病な行動で今後会えなくなるのは悲しいと思った

私がどんな行動を起こしたとしても
決して相手の葛藤や苦しみが解決するわけでもないのだ


そして無理に刺激しないようにと心掛けた
いつものように色々話すことより
そっとしておいてあげようと思った
わたしには何もしてあげられなかったけれど、
'大好き'という想いと、'しんどいのにも関わらずありがとう'の想いだけ純粋に心の中で大切にした

自分の心に背いて裏腹な行動を取ることの方が悲しいと思った。これも私にとっての一つの修行だと思った。




そして、帰る前の日の午後
とても素敵ないつもの優しい表情に出会えた
素直に心の中に花が咲き誇るかのように嬉しかった
その人の中では何も解決していなくて、それに本人自身も何も変わってないよ?と思っているかもしれないのだけれど、
わたしにはその人のいつもの姿に一目でも出会えたことに素直に嬉しく思った!



そして、自分の心の葛藤に耐えて良かったと改めて思った
自分自身も相手のことも信じて良かったと思った

何があっても自分自身の主観だけでいちいち感情に振り回された行動を取るより、今度は"待ってみよう"と思えた

雨の日が続いても、もしかしたら一瞬だけ晴れ間が出てくる日もあるかもしれない。出てこないかもしれない。
それに時間が必ず解決してくれる。
待つということは相手を本当に思い遣るということなのかもしれない


その友の笑顔が好きだから、
やっぱりその顔を見ると元気になるしがんばろうと思える
楽しもうと思える
前に進みたくなる

普段からそうして人に元気を与えている彼女にとっては、多少の無理をしてエネルギー酷使して人に与え過ぎて疲れて充電しないといけない状態にもなるだろう

人への思い遣りが強い人だからこそ
時々疲れ切ってしまうのだろうな…と思った

こんなに人想いで優しい友人がわたしは大好きだ

好きだからこそ
長い目で見ていこう
一喜一憂しないで見守れる強さが今回のわたしに試されたこと


ちょっとしたことだけど、
ハートがまたすこしだけ強くなった
それに、人を信じる力も、
この一週間でさらに強固なものになったと思う


人は自分で自覚していないものや理解できないものに不安を覚える
それがなんなのか、どうしてそう感じているのか、葛藤しながら模索して答えを見つけていく
理解できた時にはじめて強くなり器も大きくなれるのかもしれない


こうして自分を強くしてくれるような信頼する友人の存在をはじめ、
その人の周りにいる様々な人々の存在と出会えたことは今回改めてとても深い経験になった



そしてこんな事を長々と綴って
他人から見たら青臭く感じると思う
自分で読んでもそう思う
でも、
それでいいと思った


人間同士の付き合いなら格好なんてつけなくていいと思った
正直でいいんだと思った
それに多少青臭いくらいの方が
本心で付き合える
なんでも素直に話せたほうがいい

どう思われようカッコなんてつけてたら
それはそれで自分ではない姿をずっと見せ続けているのも疲れるし限界はすぐにくる



わたしはまだ人間形成の途中にある
いろいろなことを経験、体験しながら
人と触れ合う事を今一つずつ学んでいる
自分にとって学ぶ必要があるから経験をしているのだ







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人を見て思う、わたしは割と真っ直ぐであるということを。
人を見て思う、わたしは割と一途であるということを。
人を見て思う、わたしは割と正直であるということを。

人を見て思う、わたしは都合よく振り回されているということを。
人を見て思う、わたしはひとりバカを見ているということを。
人を見て思う、わたしは人の言うことを聞き過ぎているということを。
人を見て思う、わたしは時々胸が張り裂けるように悲しい気持ちなのだということを。

人を見て思う、わたしは人の話を受け入れ過ぎているということを。
人を見て思う、わたしは何のためにここにいるのかということを。
人を見て思う、わたしは無色透明なのだということを。


人を見て思う、わたしはどこにでも順応できるということを。
人を見て思う、わたしはタフであるということを。
人を見て思う、わたしは人思いなのだということを。

人を見て思う、わたしは私なのだということを。


Danzatakara.
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