「増田誓志のことを書いたのに紳吾は?」とファジアーノサポーターから言われそうなので書きますか。(笑)


紳吾はなんといっても東大卒。

出会いは岡山‥ではなく、私が鹿島の時に紳吾が練習参加に来たときでした。

当時、「東大でサッカー?」と完全に侮っていた私は、彼に抜かれてしまい、驚いたことを覚えています。

そして、私がファジアーノ岡山に加入してからです。本格的な付き合いが始まったのは。

紳吾は、後藤圭太が着けていた3番を希望していました。

私は「鹿島の3番」にこだわっていただけでしたから、快く譲りました。

そして、当初考えていた、鹿島の3とタイで着けていた5を組み合わせて「35」とする案で希望を出しました。

ファジアーノ岡山は”私の選手生活の集大成”と位置づけていましたから。もっと言えば、鹿島入団当初に着けていた15(じゅうご)も「さんじゅうご」の中に含まれている。ピッタリの番号だったと思います。

ファジアーノのスタッフは「3」のイメージが強かったのでしょう。気を使って聞いてきましたが、全然問題なかったのです。

ただ、紳吾が強く「自分」というものを持っている選手だということはよく分かりました。「楽しみなやつ」という印象はより強くなりました。

紳吾はその頃、FWからDFにポジションを変えていました。

持ち前のスピードに頭脳を持ってすれば。その考えは正しかったと思います。
 
怪我も多い選手でしたが、多くの試合を共にしました。特に1年目の2015年は私の横でグングン成長していきました。

勉強熱心で意欲も旺盛。毎日、質問魔と化して、練習後に迫ってきました。

それまでサッカーを、特に守備をまるで教わらずにきていた紳吾に一つ一つ答えるのは本当に骨が折れた。(笑)でも、そのおかげで、私は随分思考の整理がつきました。

例えば、クリアの仕方。彼はゴール前のクリアを苦手にしていました。どのような意識で捉えさせたらうまくクリアできるのか。私も自分の体の感覚と紳吾の体の感覚を照らし合わせて、たくさん考えました。

例えば、思考の柔らかさ。紳吾は頭が良いので、何でも「こうなったらこうなる」を知りたがった。分かった上でプレーしたがった。しかし、それでは思考が固くなってしまいます。頭と心に余白を残して最後の瞬間に臨まなければ、瞬時の変化に対応ができない。これも紳吾と話しながら学んだことです。

願わくば、紳吾にJ1の舞台を経験させてやりたかった。

「私の落ち度」と言うにはいささか傲慢に映るかもしれませんが、今もまだそう思っています。

紳吾だけではありません。あの時の期待を結果で返せなかった悔しさ。この十字架は今も背負ったままです。

その後、私は岡山を離れ、紳吾も布さんに請われて群馬に活躍の場を移しました。

群馬では、昨年こそ主力としてプレーしましたが、昇格を果たした今年は怪我も重なり、思うようなシーズンを過ごせませんでした。

実は1年前。紳吾は引退の寸前まで心がいっていました。

私も止めることはしないタイプですので、辞めた場合、辞めなかった場合、どちらの場合の話もした記憶があります。

「やめるのだろうな」

そう思っていたら、「もう1年」と連絡がきました。

そして続けた1年。

プロサッカー選手としては思うようにいかなかった1年でしょうが、きっと彼にとって大きな意味を持つ1年になったと思います。

東大卒のJリーガー。

これは大変なことです。J3まで枠が広がった今では広くなったJリーガーという枠組みですが、彼の場合はただプロサッカー選手をやったわけではありませんでしたからね。

J2で確かな足跡を残し、J1まであと一歩と迫った。一流のサッカー選手でした。

今後がもっと楽しみな男です。

まずは私同様、単身でサッカー選手を続けてきたことで諦めていたものを、大切にしてほしいと思います。

彼もまた、いつまでも語り継がれるであろう、歴史に名を刻む選手でしたね。