登場人物メモ(敬称略)
橘瑞希役 校條拳太朗
月島尊役 原野正章
望月仁役 武子直輝
甲斐稜平役 河合透真
浅井奈緒也役 山口侑佑
藍原友一役 樋口夢祈


概要としては以下の通り。

 瑞希たちは同じ大学に通う四年生。三年前に流行していたゲームがきっかけで知り合いとなり、それ以来何かと弦むようになった仲のいい友人同士だった。幼い頃から貧乏に苦労を重ねてきた瑞希以外の四人はそれぞれ医者・弁護士・町工場の社長・警視総監の息子と将来が約束された裕福な家庭の子供。瑞希はそれを羨んでいる節があり、また大学を卒業して地元を離れることによってこの関係も終わりを告げるのだと思っていた。
 自由に過ごすことができるからと三年前瑞希が見つけてきた廃ビルでゲームをしていた矢先、五人は爆発事件に巻き込まれる。「偶然」隣の部屋に居合わせた刑事の藍原はこの中に爆弾を仕掛けた犯人がいると告げる。彼は五人の関係をプラトンの洞窟の比喩に例え、犯人が瑞希以外の四人であることが露呈。瑞希を殺したかったのだという四人に、どうしてかと問う瑞希。
「お前が言ったんだろ、俺たちの関係はこれで終わりだって」
 親の敷いたレール通りにしか生きることを許されなかった彼らにとって、瑞希は希望そのものだった。その瑞希がいなくなってしまえば自分たちも終わる。親の意思通りにしか生きることを許されなかった、親に認められたくても認めてもらえなかった将来を約束されていたはずの四人は、愛に飢えていた。


 巧妙に練られた作品だな、と思った。オープニングの時点で瑞希以外の四人の苦悶に満ちた表情や懇願する視線は(親に対する)愛情を求めた姿だったのだと結末を知らなければ分からない。藍原が瑞希に銃を突きつけ、それを四人が慌てたように手を伸ばすという構図も一見すれば(彼らの関係性や藍原の設定を知らないオープニング時点では)命を狙われた友人を助けたいという姿にさえ見られるが、結末を知って今一度見ると「俺たちが殺さなければ意味がないんだ」というこの物語の答え合わせが最初から提示されていたんだなと二回観て感嘆した。
 軒並み携帯が壊れた、携帯の電池が切れて使えないという中一人だけ携帯も取り出さずダメになったとも口にせず、罰を作って首を振る奈緒也に違和感は覚えていたので最初から注視して観ていた。最早それすらもミスリードだったのかな、と改めて整理すればするほど考えてしまう。一人があからさまに浮いていて(藍原が刑事だと知っていたこと、瑞希の羨みに対する激昂など)、それが他三人の狂気性を隠す効果になったのかなって。そこはさすがに考え過ぎかもしれないけど、それほどまでに答え合わせが始まるまで奈緒也以外の三人の破綻性は見抜けなかった。

個人的キーワードは
「囚人」「愛」「ゆるす」「無知」

 プラトンの洞窟の比喩に関してはこちら(http://ikiru-imi.net/?p=185)を参照したほうが早いかと。説明の便宜上引用サイトの言葉を使わせていただきます。

このサイトでいう影=親の敷いたレール、影を見る囚人=自分たち、衝立で人情を操る者=親、背後にある火=彼らが信じざるを得なかった未来であり、囚人の縄をほどき外の世界を知らせたのが瑞希、なのだろうと推測される。

 爆弾犯であることが暴露され、瑞希を殺そうとした彼らは瑞希に懇願する。「俺たちに足りないのは、あとは愛だけなんだ」と。四人は親からの愛情を受けることができなかった子供であり、常に愛に飢えている。


 ある意味一番救いの可能性があったのは奈緒也なのかもしれないなあ。一番狂気性が分かりやすかったし。疑いの目が掛けられていることを勘繰ったのも彼、はたまた言及されたときに一番に自供したのも彼、そして瑞希相手に親に対する感情を真っすぐ吐露したのも奈緒也だけである。
「失望されることでしか親に見放される手段がなかった」「洋服の裾を踏むように」っていうセリフ、きちんと覚えきれていないのが悔やまれるくらい最も彼の後悔や枯渇加減を表していて初めて聞いたとき胸倉をつかまれて揺さぶられているような気分になった。子供って誰しも親から期待されたいし親から褒められたいものなんだけど、その期待が大きければ大きいほど逃れたくなってそれでも認められたい、愛されたいと願ってしまうものなんだよね。そしてこのセリフは終盤彼が親に向かって土下座をしてまで許しを請う姿に繋がっていく。彼は両親の期待通りの人生を歩むことが出来なかったのかもしれないし、出来ていたのかもしれない。少しでも両親が思い描く人生のレールを逸脱しようとすると叱責され、見放され、必死にそれを食い止めようとしていたのかもしれない。彼が一番に認められたかったのは両親であり、両親からの愛に焦がれていた。実際彼の両親が彼に求めていたものは自分たちの体裁がよく見えるいい息子である奈緒也の姿であり、彼自身を一度として顧みたことはなかったに違いない。だからこそ奈緒也は藍原が自分を見張っていたのだと言い切り、その理由にも勘づいている。彼にとって壁に映っている影とは、両親が描いたとおりの人生を歩む自分自身の姿だったのだろうか。

 医者の息子である尊はプラトンの洞窟の比喩を知っているほど教養があり、五人のバランスを保っていた人物であるように捉えている。いわゆる緩和剤的立ち位置にいたのだろう。だからこそ一番底が知れない尊に私は恐怖を感じた。親の期待が重い故、両親への憎悪を吐露した奈緒也に同調するそぶりを見せたあとの二人と違い、自分たちが爆弾犯であると暴露するまで一貫して温和そうな青年を演じ続けた尊こそ最も両親との確執が深い、と私は思う。実際僕を見て、僕を認めてと彼は叫んでいたし、彼の両親は彼に対して無関心だったのだろうと予想される。正直あきくん贔屓で観ちゃってたからこの辺りはこのほかの部分以上に妄想入ってるけど、それでも私は四人がパターンCでいく? と言い出した時の尊の笑顔が四人の中で一番怖かったよ……
 あとこれは完全に私の妄想だけど、医者の息子なのに四年制大学通ってるのその時点で親のレール外れちゃったんじゃないかな……しかもゲームに興じることが出来るくらい暇を持て余してる。親への反抗か受験に失敗して親に完全に見放されてしまったか。どちらにせよ医学部じゃないと仮定すれば(劇中では家を継ぐやつ、院に行くやつっていう表現しかなかったから6年制の子はいなかったという仮定)お家を継ぐこともできない尊は瑞希に「将来が約束されてるやつはいいよな」って言われるたびにどんな気持ちだったんだろう……いい加減しんどい。

 いい子でいるから、ちゃんとするから。絶え間なく聞こえる懇願の声はあまりに悲痛で、思わず胸がつかえる。藍原は彼らの心情に最初から気づいており、犯人捜しをする前に五人から言葉を引き出している。親に恵まれ将来も約束された四人を羨みこれ以上ないくらい恵まれているのに面倒だと文句をいう彼らはわがままだ、という瑞希に、親に失望されなければ敷かれたレールを外れることのできない俺たちの気持ちの何がわかると奈緒也は叫ぶ。
「隣の芝生は青く見えるものですよ」藍原さんの言葉がとても刺さる。「親だって子育てに失敗することもある、彼らもまた人なのだから」
 恐らく藍原さんが言いたかったのは親の庇護下にいるうちは子供なのだから、親の期待を背負わなければならないし窮屈な生活を強いられることになるけれど、大人になってしまえばそのしがらみから脱却することもできる、ということなのだろうが、個人的に思うのは藍原さんの予想よりも彼らの心に巣食った闇は色濃かったのかなと。彼らは親の期待に辟易していたのではなく、何よりも親に必要とされたい、認められたい、ただ愛されたいと思っていただけで、彼らの世界のすべてであった「親の敷いたレール」以外の世界を教えてくれた瑞希は希望そのものだった。彼らが親の望む良い子でいるために、自分たちとは全く異なる人生を歩んできた(貧乏だが彼らが望んだ自由を手にしていた)瑞希が必要だった。瑞希の直面した問題に自分を照らし合わせ「自分だったらどうするか」と考えられることが喜びだった。彼らにとって瑞希は太陽でもあったのだろうか。

 しかし果たして瑞希は本当に彼らにとって真の希望だったのか? という疑問が沸き上がる。囚人であった四人を無理やり太陽のあるところまで連れていく人間もまた、元は洞窟の中の囚人だったんじゃないか。
 影という虚像こそを真実だと思い込んでいた四人は瑞希と出会うことで外の世界を知ったのだと思うのだが、洞窟の比喩の流れと少し違うかなと感じるのは「囚人たちは外の世界を知った元囚人の言葉を信じないばかりか彼を捕らえて殺してしまうだろう」という記述にそぐわない部分だ。ストーリー上では瑞希が素手でゴキブリを殺してしまってクラスメイトから引かれた話や、お金が払えず修学旅行に行けなかった話などが四人にとって未知の世界の例としてあげられており「俺たちがいい子でいるために必要だった」とされている。瑞希が問題に直面するたび自分たちならどうして乗り越えるかとシミュレーションしていたのだと。

 ここまで書いていて思ったけど、まさか四人って瑞希という実体に自分たちを重ねていた虚像なの? 実のところやっぱり洞窟から抜け出してさえいないのか。だから「相変わらず瑞希は馬鹿だなあ。そんなところが可愛かったんだけど」ってセリフに繋がるの?


 そもそも「ずっと一緒にいられればいいのにな」と言い出したのは瑞希だ。彼らはその言葉を受けてこの時間を永遠にするため、自分たちに足りないものを補ってくれた彼を失くすことで元から何もなかった、自らが得たものを白紙に戻すことで平生を保とうとしていた? 
 ていうかもしかして真に彼らを手にかけようとしたのは瑞希自身だったんじゃないの。虚像を真実と思い込み、外の世界へ連れ出そうとした彼らを嘲笑っていっそ殺してしまえと思っていたのは瑞希なんじゃないか。辻褄は合わないけど、どうにもストレートに囚人が爆弾犯四人であり彼らを外の世界に連れ出そうとしていたのは瑞希だとは考えにくい。

 瑞希は劇中二回彼らをゆるす。一度目は彼らの両親からの仕打ちを垣間見、愛してとひたすらに糾弾された直後だ。赦すから、俺どこにもいかないから、ここにいるから。この言葉は一体どこにかかっているのか未だに疑問だ。俺どこにもいかないから、というのは四人が瑞希が離れていくことに関してこのような暴挙に出たと考えているからだと思われるがゆるすから、というのは果たして何を赦しているのか分からない。最初は彼らの暴挙を許しているのかと思ったけど、物語の終わりの「ゆるす」というセリフに帰結する理由に繋がらないし。瑞希に関してすべてが謎すぎていくら考えてもここだけどうしても答えが出ない。し、ここの答えが出ないことによって彼らの関係性がどうして洞窟の比喩に繋がるのかもきっちり当てはめることが出来ない。ほんっっっとに頭使う舞台だよこれ。まじでなんで二回しか観られなかったんだ。あと五回くらい観ても正しく理解できるか分からん。

【追記】
 樋口さんのブログや木村さんのツイートを見て(http://ameblo.jp/higuchi-yuki/entry-12277287122.html?timestamp=1495534594,https://twitter.com/jjunk0815/status/867047078819528704,https://twitter.com/jjunk0815/status/867049144233320449)ゆるすの意味が本当に分からなくなってきた。つまり瑞希がこの事件の真犯人だったりするのかな。瑞希自身が四人に与えていた愛の形さえ、歪んでいたのだとしたら。私、一回観た時から瑞希は彼らの罪を許すという意味で「ゆるすよ」と言ったとは思えなかったんだけど、木村さんの一連のツイートを見てそこは間違ってなかったんだなあと思った。瑞希を責め立てるように両親に伝えたかったはずの心の叫びをぶつけられたとき、何よりも先に「ゆるすから」って言うのが全くもって解せない。
「ゆるすから、全部ゆるすから、俺どこにもいかないから、ずっとここにいるから」
 これ、洞窟の中からもう二度と出ていかないって解釈で考えると、外の世界の眩しさ、幸福さを知りつつも、彼らの生きる影の世界に身を寄せる、って意味にならないだろうか。だって瑞希の望みは「この時間がずっと続けばいいのにな」であり、四人にとって瑞希は「俺たちの希望」なんでしょ?

 タイトルである「THE LAST SONG」直訳すると最後の曲になるけど、絶対そんなことないし繋がらないし、LASTって結構意味あったよなと思って調べてみた。

 the last=飽くまで、締め、最下位の、最上の、最新の、結末
 ついでにSONGも
 song=歌、歌うこと、短歌、さえずり

 飽くまで、っていうの結構引っかかる。瑞希たち五人は「飽きる」まで大抵は「瑞希の探してきたゲーム」を「五人でプレーしてた」わけで、THE LAST SONGというタイトル全体としての意味には繋がらなくとも、少しばかりは関係あるかもなと。それから直球でTHE LASTという部分は最低な、でも最高なという意味にもとれ、そして彼らの結末という意味にもつながる。THE LASTだけでかなり解釈が分かれてくるし、もしかしたらそれら全てをひっくるめたTHE LASTなのかもね。
 SONGはというと、曲や歌ではなくさえずりの方かなって私は思う。小鳥のさえずり、とかいう意味でしか使われないけど、さえずるって「べちゃくちゃやかましく喋るのをさげずんでいう」って意味があって、彼らの叫びである両親への自己承認が両親にとってはさえずりでしかないとすれば、彼らの最低で最高な声は傍から見ればさえずりにしか見えないとすれば、ちょっとはこのタイトルが腑に落ちた。爆発事件を巻き起こすという最初で最後の彼らの暴挙は彼らの最後の叫びであるのかもしれない。

 オープニング前に全員で述べていた、パンフレットにもあったあの台詞たちこそが一番の答えなのかな。エンディングでも「知らないのでしょう、知らないということを」って言ってたけど、洞窟比喩でいけば囚人たちは外の世界を知らないということを知らないということになるのだけども、五人に関しては……これはもう命題だなあ。私には一生わからない気がする。


 考察厨的には映像として観直せる方がずっと楽でいいし、解釈も深められてありがたいんだけど、でもだからこそこの舞台は映像化しない方が良い作品なんだろうな、と思う。これ全部分かったらおもしろくないし何回も何回も観直して理解できたとしても虚脱感に襲われそう。理解しようとして、でも理解しきれないくらいがいいのかも。
 今作においてただ一つ言えることは、あの大学生五人は五人とも救われないまま物語の幕が閉じてしまったことだけだ。

 印象的だったのはあれだけ常に堂々とし、どれだけ噛みつかれても微笑を崩さずマイペースを貫き飄々としていた藍原が、爆弾犯四人を捕縛した後逢見との通話で「自首ということにしておいてくれ」と伝えた時にその表情を崩した場面かなあ。前作までを私は知らないので、彼の背景が一体どういったものであるのか分からないけれど、藍原についてはあの表情に集約している、気がする。すごく絞り出すような声だったのも気になる。そのあたりは私の無知ゆえに理解が及ばない部分なので他の方の考察や感想をみていこうと思います。


 初めてアステリズム作品を観劇したんですが、びっくりするくらい頭使うしあれ本当にたった50分間での話なの……? 500ページにも及ぶハードカバーの哲学的小説読んでる気分になった。しかも物語は(声だけ出演の鷲尾さんを除いて)たった六人で広げられ、たった六人で完結する。濃度120%くらいの圧縮率。ぶっちゃけしんどい。そして同時に、この時間がずっと続けばいいのにと感じてしまう。この世界に浸っていたい、この世界をずっと覗いていたいという気持ちを呼び起こされる。
 無理を押してでも観に行ってよかったなあ。もしかしたら過去のアステリズム作品が再演するかも、ということなので、再演したらぜっっったい観に行きたい。特にアルビノをよろしくお願いしたい。原点を知れば今回の話も色々とまたわかる部分がある気がしている。
 演じ手六人の演技が迫真すぎて常に手に汗を握ってた。かと思えばユーモアも忘れない。メリハリがあるからこそ後半の狂気性が活きてくるんだろうなあ。月下で転がり落ちたにわかだけど、木村ワールドが本当に好きです。