ネタバレ配慮皆無。どころか観劇前提での感想と適当な考察紛い文です。登場人物の名前、相関図など多大なるネタバレを含むので購入検討の方は閲覧をご遠慮ください。

三国志から推測する舞台上の時系列
桃園の誓い(184年)
黄巾の乱(184年)
→劉備官職に就く
→王允、宦官を糾弾し官職を追われる
→王美人の暗殺
霊王の死(189年)
→董卓権力を掌握
王允司徒に任命(190年)
→劉備、王允宅に身を寄せる。この時に貂蝉雪梅を妊娠。十月の暇を申し出る。
陽人の戦い(191年)
王允の処刑(192年)←現在軸

ただし、王允が冒頭で「今から六年前の黄巾の乱」と述べていたような気がするので、必ずしもこの世界での西暦が合っているとは限らない。(もう記憶力が死んでいるので正しく思い出すことができないため、この辺りは流してください。あくまで時系列の指標程度にお願いします)


一回目は特に事前情報も入れず登場人物の名前すら把握せぬまま行ったが二回目は最初から王允視点で物語を追った。


以降王允は伊審判である、という前提で話を進めていく。
これは王允及び伊審判の後悔の物語である。THRee'Sとは伊審判の人生であり、彼が劉備に出会ってから処刑されるまでの半生を振り返った物語だ。全ては彼の後悔に帰結し、彼の後悔により始まった話だ。

王允が処刑人に処刑される際に発した「我が名は王允にあらず、伊審判である」という言葉こそ、物語の真髄だろう。彼は王允として劉備を救いたかったわけではない。恐らく彼に仕えた若き日の自分、伊審判として劉備の力になりたかっただけなのだ。彼が劉備たちに施した予言の数々は先見の明でも天命でもなく、彼の記憶による知恵であり、そして彼が迎えた運命の日「星降る夜」以降の記録は王允の推測によって成り立っている。


THRee'Sというタイトルそのままに、この舞台では様々な「3」に纏わる事柄が登場する。劉備・関羽・張飛の義兄弟、貂蝉を巡る劉備・呂布・董卓の三角関係、物語最大の鍵である三つの剣「七星剣」。「星降る夜」に神の悪戯で過去へタイムスリップしてしまった伊審判・小龍・卓統。他にもことあるごとに大抵のことは3で表され、3で解決する。こればっかりは実際に観てもらわないと理解できないし、私も説明しづらい部分なので詳細は省略する。


そのうち作中では解決しない疑念をいくつか抱いたので、それらを挙げていきたい。


まず同時に存在する三つの「七星剣」についての疑問なのだが、そもそもあの剣の出所はいったいどこだったのか?
「星の降る夜」に消えた(過去へと誘われた)剣は二つ。伊審判が劉備から託されたもの、そして卓統が曹操から預けられたもの。劉備は家に代々受け継がれし剣を手にしており、それを王允に託して命が救われる願掛けをした。伊審判はそれを所持したまま過去へと遡り、王允となって成長したのちそれを曹操に譲っている。剣を譲られた曹操はそれを部下である卓統に渡し、卓統はそれを手にしたまま王允同様過去へと誘われ、戦乱の世に投げ出され剣の技を磨き、名を董卓と変え、劉備たちの前に立ちはだかる。つまり同じ時代に同じ三本の剣(物語開始時には劉備、王允、董卓の三名がそれぞれ所持)があるものの、結局そもそも誰の持ち物だったのかは明かされない。

これは本当に劉備の家で代々受け継がれし七星剣だったと仮定し、劉備の家の成り立ちが小龍の語った通りで正解なのならば納得はいく。小龍は「星降る夜」に過去へトリップした一人であり小龍は劉備の母だ。時代の人と結婚し、成した子供が劉備である。もしも小龍が劉の姓を持つあの商家に七星剣が存在することを知って劉備の父と結婚した、という経緯でもあるのだろうか。


次の疑問は劉備と貂蝉の娘・雪梅の年齢についてである。王允によると劉備と貂蝉の出会いから王允の死までは六年が経過しており(序盤で今から六年前の黄巾の乱と話していることから)、王允の処刑が貂蝉の死からそれほど時間が経っていないと考えて、本来の赤子の年齢は一歳である。しかし雪梅は母である貂蝉の手で小龍に託されており、その小龍は「星降る夜」に過去へトリップしており、小龍は劉備の母である。このことから考えると劉備は雪梅よりも年下であることは明白である。しかしながら恐らく舞台上にいる雪梅は劉備より年下であるように見えるし、雪梅には小龍に育てられた記憶はない。それどころか王允が曹操に七星剣を施した時点で雪梅は王允の侍女である。

時系列的に考えて貂蝉が董卓に娶られるより前、王允が司徒となった後、そして貂蝉が雪梅を妊娠し出産した直後と考えられる。雪梅は劉備が官職を追われ王允の家へ身を寄せた時にできた子である。王允は劉備が身を寄せている間に司徒となった。そして劉備が王允の家を出たのち、貂蝉は王允に十ヶ月の暇を申し出ている。そこで王允は自分以外にも過去へ戻った人間がいるはずだということに気が付き、小龍(=劉備の母)の元へと駆け付け過去より育てられた雪梅を侍女として引き取った。

どうして雪梅が小龍と同じ時期にタイムスリップしたと考えられるかという話をする。「星降る夜」にタイムスリップしてしまった三人は、恐らくそれぞれ全く別の時代に飛ばされた。それ故に作中の劉備の母・王允・董卓の歳の取り方に差異があると推測する。劉備の母・小龍はタイムスリップする直前貂蝉に痺れ薬を飲まされた。タイムスリップした衝撃で泣く雪梅に、身体が動かないと零していたことから、小龍と雪梅は同時に同じ時代へトリップしてしまったと考えるのが妥当だと思う。

劉備は161年生まれなので小龍はそれ以前にトリップしたと考えると少なくとも192年時点で雪梅は31歳以上になってしまう。
最初に述べたように雪梅には小龍に育てられた記憶も、王允が語った過去の記憶もない。そのことに関して王允は「雪梅は最近まで眠ってばかりで起きていても意識は朦朧としていた」と語っている。もし眠っている間成長が止まっていた、とすると劉備より年下の雪梅がいてもおかしくはない。


小さな疑念は他にもまだあるが、大きなものはこれくらいなので小難しい話はこれくらいにして感想を。
誰か頭のいい人解決してくださいとは思いつつ、主演がカーテンコールで幾度となく「余韻を」と言っていたように、受け手が想像できる余白を作っているのだろうと思うと、このままでいいのかもしれない。



物語の終盤で発覚する「王允は考え事をしていると手で右耳を触る」という癖が、実は冒頭につながる癖であることは二度観ないとわからない。「星降る夜」に命尽きようとしていた伊審判が右耳を触りながら劉備に思いを馳せていたシーンを二度目に観た時、言葉では言い表せないぞわりとした感覚に襲われた。わー! もうここから始まってたんだ! という驚きと衝撃が入り混じった、何とも言えない感情である。

あと個人的には劉備が貂蝉への呼び方を六年間で変えていく様子がとても好き。貂蝉を助けた当初は名前を知らないので娘、名を知ってからは貂蝉殿、そして想いを通わせてからは貂蝉と、劉備から貂蝉に対する感情の変化が垣間見られて、本当に些細なことながら一回目の観劇からドキドキした。劉備が小龍に貂蝉のことが好きなのかと問われるシーンでこれが恋というのでしょうと返す劉備がただただかっこいい。結論からすると劉備と貂蝉の恋は悲恋に終わってしまうのだけれど、私はアレが最も美しい恋の終わりだと思う。そして貂蝉も小龍を信頼し自分たちの子を託す。この時点ではまだ小龍は自分が劉備に対して抱く感情を恋情だと勘違いしているのだけれど、きっと貂蝉はそれではないことに気がついていた。気がついていたからこそ雪梅を彼女に託した。宮での母同士の戦い(何后・王美人の争いや何后と太閤の軋轢等)や劉備と劉備の母、そして貂蝉と雪梅を観ると、母は強しという話でもあったなあと今にして思う。

劉備・貂蝉・張飛が黄巾賊に追われている道中出会った王允が昔から変わらない、と零していたシーン。一度目観劇した際は(SFモノに近いとは聞いていたので)ループものなのかな? 程度にしか思っていなかったが二度観ると当時まだ伊審判は彼らに出会っておらず桃園の誓いを知る由もなく、すでに劉備の義兄弟である二人しか知らないと考えると真に迫るものがある。変わらないと似たような台詞を劉備の母も零していたことから、ここでも伏線が張られていたのだと二度目にして見えた。
こういう小さな布石が少しずつ散りばめられていたからこそ、三国志にSFという一見するとトンデモ設定なこの話に説得力が生まれていたのだろう。一度目では処理し切れなかったことが二度目で徐々に合点が行くようになり、そうして話が繋がるのだ。私はたった二度しか観ることが出来なかったけれど、三度目、四度目と回数を重ねるごとに見解は深まるに違いないし、やはり舞台は何回も観ることこそ至高なのだなと改めて感じさせられる。

そして単純に殺陣の迫力がすごい。張飛の殺陣が本当に美しくて見ていて惚れ惚れとしたし、呂布の殺陣は振動まで客席に伝わってくることもあって、彼の化け物じみた強さを力づくでも理解させられる。劉備と曹操はそれぞれ違う殺陣ではあるが、そのどちらもとても魅せられる。強い男であるというのが視覚的にも伝わってくる。小龍の攻めは舞にも近く、前述のどれらとも違う意味で目を奪われた。
特に曹操の殺陣が個人的に物凄く好きで、洗練された動きはこの物語のもう一人の主人公である曹操らしいものだと思えたし、何よりかっこいい。伊審判が黄巾賊に囲まれて危機に瀕した時颯爽と助けに入る曹操が最も気に入っているシーンの一つだなあ。


礼儀正しく、誰にでも丁寧な劉備が貂蝉がらみになると一気にただの男になってしまうのがとても良かった。一人称も私から俺に変わり、感情を剥き出しにしてなりふり構わず動く様に心奪われた。
恋愛に纏わる話なだけあって、劉備と曹操以外にも霊帝を巡る宮での争いだったり、董卓を想う美帆であったりと、恋愛話の好きな私としてはとても面白く感じられた。董卓の最期は美帆が霊帝暗殺に使用した免疫を弱らせる薬を盛られていたことによる死であるが、董卓を愛するあまりヤンデレ化した美帆が可愛くて美しくて身悶えた場面でもある。


何よりも、やはりラストシーンが最も鮮明に残っていて、かつ二度目の観劇では我慢しきれずに涙してしまうほど強烈な場面に思う。
一度目の観劇時はこの話はどのようにして終わるんだろうか? 本当に王允は死んでしまうのだろうか? と思いつつ、結局死を迎えた王允を観て綺麗な最後だったな、で終わったのだが、一度相関を理解し全貌を知った上でもう一度観ると王允の語りや動き全てに感情移入してしまい、「我が名は王允にあらず、伊審判である」
このたった一言に頭を殴られたかのように感情が揺さぶられた。
私たちは処刑人だ。処刑人だけがこの物語の第三者であり、他人であり、何も知らない人間で、我々である。処刑人は最初どうして王允が牢に入れられ死を受け入れようとしているのか理解しようともせず、ただ自らの仕事に従事するのみであった。けれども全貌を彼自身の口から語られ、さあ殺してくれと言われた時に、果たして誰が冒頭と同じ感情で彼を殺せるだろう。

王允と名を偽り、誰も本当の彼を知ることもなく命を終わらせようとしていた伊審判に対しての救いは、第三者の処刑人が全てを知り、彼が王允という偽りの存在ではなく「劉備を慕い劉備に仕えた伊審判である」という事実を理解して彼の命を奪ったことだろう。伊審判はあまりにも報われていない。けれども物語の最後でようやく彼は救いを得るのだ。彼の慕う劉備が(彼が知らぬところといえど)王允が自分の部下と認めた上で死を見届けたのだから。


正直ラスト十分間のシーンだけでも死ぬほど語れるし一週間経った今でもあのシーンは鮮明に思い出すことができる。それほどまでに強烈で最高な最後だった。他にも王允と雪梅のパントマイムが可愛かったとか処刑人が表情を常に変え時には突っ込みを入れこちらが話に入りやすくしてくれていた点が楽しかったとか、王美人と何后が霊帝を巡って女の争いを繰り広げている場面はあまり楽しい話ではないはずなのに笑いを交えて面白く語られていたところが好きだったとか、お固い曹操が袁紹の前だと少し子供っぽくもなるあの幼馴染感が楽しくて好きだったとか、細かい点をあげればどれだけでも出てくる。「この泥棒猫がー!」は本当に本当に好きです。


思い出したり、他の方の見解を拝見して追記・削除したりするかもしれませんが、まとまらないので今回はこの辺りで。
大千穐楽後、出演者さんがあげてらした劉備・貂蝉・雪梅の「あったかも知れない未来の家族」の写真が、暖かくもやっぱりどこか悲しくて、泣きそうになりました。




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