月別アーカイブ / 2017年05月


登場人物メモ(敬称略)
橘瑞希役 校條拳太朗
月島尊役 原野正章
望月仁役 武子直輝
甲斐稜平役 河合透真
浅井奈緒也役 山口侑佑
藍原友一役 樋口夢祈


概要としては以下の通り。

 瑞希たちは同じ大学に通う四年生。三年前に流行していたゲームがきっかけで知り合いとなり、それ以来何かと弦むようになった仲のいい友人同士だった。幼い頃から貧乏に苦労を重ねてきた瑞希以外の四人はそれぞれ医者・弁護士・町工場の社長・警視総監の息子と将来が約束された裕福な家庭の子供。瑞希はそれを羨んでいる節があり、また大学を卒業して地元を離れることによってこの関係も終わりを告げるのだと思っていた。
 自由に過ごすことができるからと三年前瑞希が見つけてきた廃ビルでゲームをしていた矢先、五人は爆発事件に巻き込まれる。「偶然」隣の部屋に居合わせた刑事の藍原はこの中に爆弾を仕掛けた犯人がいると告げる。彼は五人の関係をプラトンの洞窟の比喩に例え、犯人が瑞希以外の四人であることが露呈。瑞希を殺したかったのだという四人に、どうしてかと問う瑞希。
「お前が言ったんだろ、俺たちの関係はこれで終わりだって」
 親の敷いたレール通りにしか生きることを許されなかった彼らにとって、瑞希は希望そのものだった。その瑞希がいなくなってしまえば自分たちも終わる。親の意思通りにしか生きることを許されなかった、親に認められたくても認めてもらえなかった将来を約束されていたはずの四人は、愛に飢えていた。


 巧妙に練られた作品だな、と思った。オープニングの時点で瑞希以外の四人の苦悶に満ちた表情や懇願する視線は(親に対する)愛情を求めた姿だったのだと結末を知らなければ分からない。藍原が瑞希に銃を突きつけ、それを四人が慌てたように手を伸ばすという構図も一見すれば(彼らの関係性や藍原の設定を知らないオープニング時点では)命を狙われた友人を助けたいという姿にさえ見られるが、結末を知って今一度見ると「俺たちが殺さなければ意味がないんだ」というこの物語の答え合わせが最初から提示されていたんだなと二回観て感嘆した。
 軒並み携帯が壊れた、携帯の電池が切れて使えないという中一人だけ携帯も取り出さずダメになったとも口にせず、罰を作って首を振る奈緒也に違和感は覚えていたので最初から注視して観ていた。最早それすらもミスリードだったのかな、と改めて整理すればするほど考えてしまう。一人があからさまに浮いていて(藍原が刑事だと知っていたこと、瑞希の羨みに対する激昂など)、それが他三人の狂気性を隠す効果になったのかなって。そこはさすがに考え過ぎかもしれないけど、それほどまでに答え合わせが始まるまで奈緒也以外の三人の破綻性は見抜けなかった。

個人的キーワードは
「囚人」「愛」「ゆるす」「無知」

 プラトンの洞窟の比喩に関してはこちら(http://ikiru-imi.net/?p=185)を参照したほうが早いかと。説明の便宜上引用サイトの言葉を使わせていただきます。

このサイトでいう影=親の敷いたレール、影を見る囚人=自分たち、衝立で人情を操る者=親、背後にある火=彼らが信じざるを得なかった未来であり、囚人の縄をほどき外の世界を知らせたのが瑞希、なのだろうと推測される。

 爆弾犯であることが暴露され、瑞希を殺そうとした彼らは瑞希に懇願する。「俺たちに足りないのは、あとは愛だけなんだ」と。四人は親からの愛情を受けることができなかった子供であり、常に愛に飢えている。


 ある意味一番救いの可能性があったのは奈緒也なのかもしれないなあ。一番狂気性が分かりやすかったし。疑いの目が掛けられていることを勘繰ったのも彼、はたまた言及されたときに一番に自供したのも彼、そして瑞希相手に親に対する感情を真っすぐ吐露したのも奈緒也だけである。
「失望されることでしか親に見放される手段がなかった」「洋服の裾を踏むように」っていうセリフ、きちんと覚えきれていないのが悔やまれるくらい最も彼の後悔や枯渇加減を表していて初めて聞いたとき胸倉をつかまれて揺さぶられているような気分になった。子供って誰しも親から期待されたいし親から褒められたいものなんだけど、その期待が大きければ大きいほど逃れたくなってそれでも認められたい、愛されたいと願ってしまうものなんだよね。そしてこのセリフは終盤彼が親に向かって土下座をしてまで許しを請う姿に繋がっていく。彼は両親の期待通りの人生を歩むことが出来なかったのかもしれないし、出来ていたのかもしれない。少しでも両親が思い描く人生のレールを逸脱しようとすると叱責され、見放され、必死にそれを食い止めようとしていたのかもしれない。彼が一番に認められたかったのは両親であり、両親からの愛に焦がれていた。実際彼の両親が彼に求めていたものは自分たちの体裁がよく見えるいい息子である奈緒也の姿であり、彼自身を一度として顧みたことはなかったに違いない。だからこそ奈緒也は藍原が自分を見張っていたのだと言い切り、その理由にも勘づいている。彼にとって壁に映っている影とは、両親が描いたとおりの人生を歩む自分自身の姿だったのだろうか。

 医者の息子である尊はプラトンの洞窟の比喩を知っているほど教養があり、五人のバランスを保っていた人物であるように捉えている。いわゆる緩和剤的立ち位置にいたのだろう。だからこそ一番底が知れない尊に私は恐怖を感じた。親の期待が重い故、両親への憎悪を吐露した奈緒也に同調するそぶりを見せたあとの二人と違い、自分たちが爆弾犯であると暴露するまで一貫して温和そうな青年を演じ続けた尊こそ最も両親との確執が深い、と私は思う。実際僕を見て、僕を認めてと彼は叫んでいたし、彼の両親は彼に対して無関心だったのだろうと予想される。正直あきくん贔屓で観ちゃってたからこの辺りはこのほかの部分以上に妄想入ってるけど、それでも私は四人がパターンCでいく? と言い出した時の尊の笑顔が四人の中で一番怖かったよ……
 あとこれは完全に私の妄想だけど、医者の息子なのに四年制大学通ってるのその時点で親のレール外れちゃったんじゃないかな……しかもゲームに興じることが出来るくらい暇を持て余してる。親への反抗か受験に失敗して親に完全に見放されてしまったか。どちらにせよ医学部じゃないと仮定すれば(劇中では家を継ぐやつ、院に行くやつっていう表現しかなかったから6年制の子はいなかったという仮定)お家を継ぐこともできない尊は瑞希に「将来が約束されてるやつはいいよな」って言われるたびにどんな気持ちだったんだろう……いい加減しんどい。

 いい子でいるから、ちゃんとするから。絶え間なく聞こえる懇願の声はあまりに悲痛で、思わず胸がつかえる。藍原は彼らの心情に最初から気づいており、犯人捜しをする前に五人から言葉を引き出している。親に恵まれ将来も約束された四人を羨みこれ以上ないくらい恵まれているのに面倒だと文句をいう彼らはわがままだ、という瑞希に、親に失望されなければ敷かれたレールを外れることのできない俺たちの気持ちの何がわかると奈緒也は叫ぶ。
「隣の芝生は青く見えるものですよ」藍原さんの言葉がとても刺さる。「親だって子育てに失敗することもある、彼らもまた人なのだから」
 恐らく藍原さんが言いたかったのは親の庇護下にいるうちは子供なのだから、親の期待を背負わなければならないし窮屈な生活を強いられることになるけれど、大人になってしまえばそのしがらみから脱却することもできる、ということなのだろうが、個人的に思うのは藍原さんの予想よりも彼らの心に巣食った闇は色濃かったのかなと。彼らは親の期待に辟易していたのではなく、何よりも親に必要とされたい、認められたい、ただ愛されたいと思っていただけで、彼らの世界のすべてであった「親の敷いたレール」以外の世界を教えてくれた瑞希は希望そのものだった。彼らが親の望む良い子でいるために、自分たちとは全く異なる人生を歩んできた(貧乏だが彼らが望んだ自由を手にしていた)瑞希が必要だった。瑞希の直面した問題に自分を照らし合わせ「自分だったらどうするか」と考えられることが喜びだった。彼らにとって瑞希は太陽でもあったのだろうか。

 しかし果たして瑞希は本当に彼らにとって真の希望だったのか? という疑問が沸き上がる。囚人であった四人を無理やり太陽のあるところまで連れていく人間もまた、元は洞窟の中の囚人だったんじゃないか。
 影という虚像こそを真実だと思い込んでいた四人は瑞希と出会うことで外の世界を知ったのだと思うのだが、洞窟の比喩の流れと少し違うかなと感じるのは「囚人たちは外の世界を知った元囚人の言葉を信じないばかりか彼を捕らえて殺してしまうだろう」という記述にそぐわない部分だ。ストーリー上では瑞希が素手でゴキブリを殺してしまってクラスメイトから引かれた話や、お金が払えず修学旅行に行けなかった話などが四人にとって未知の世界の例としてあげられており「俺たちがいい子でいるために必要だった」とされている。瑞希が問題に直面するたび自分たちならどうして乗り越えるかとシミュレーションしていたのだと。

 ここまで書いていて思ったけど、まさか四人って瑞希という実体に自分たちを重ねていた虚像なの? 実のところやっぱり洞窟から抜け出してさえいないのか。だから「相変わらず瑞希は馬鹿だなあ。そんなところが可愛かったんだけど」ってセリフに繋がるの?


 そもそも「ずっと一緒にいられればいいのにな」と言い出したのは瑞希だ。彼らはその言葉を受けてこの時間を永遠にするため、自分たちに足りないものを補ってくれた彼を失くすことで元から何もなかった、自らが得たものを白紙に戻すことで平生を保とうとしていた? 
 ていうかもしかして真に彼らを手にかけようとしたのは瑞希自身だったんじゃないの。虚像を真実と思い込み、外の世界へ連れ出そうとした彼らを嘲笑っていっそ殺してしまえと思っていたのは瑞希なんじゃないか。辻褄は合わないけど、どうにもストレートに囚人が爆弾犯四人であり彼らを外の世界に連れ出そうとしていたのは瑞希だとは考えにくい。

 瑞希は劇中二回彼らをゆるす。一度目は彼らの両親からの仕打ちを垣間見、愛してとひたすらに糾弾された直後だ。赦すから、俺どこにもいかないから、ここにいるから。この言葉は一体どこにかかっているのか未だに疑問だ。俺どこにもいかないから、というのは四人が瑞希が離れていくことに関してこのような暴挙に出たと考えているからだと思われるがゆるすから、というのは果たして何を赦しているのか分からない。最初は彼らの暴挙を許しているのかと思ったけど、物語の終わりの「ゆるす」というセリフに帰結する理由に繋がらないし。瑞希に関してすべてが謎すぎていくら考えてもここだけどうしても答えが出ない。し、ここの答えが出ないことによって彼らの関係性がどうして洞窟の比喩に繋がるのかもきっちり当てはめることが出来ない。ほんっっっとに頭使う舞台だよこれ。まじでなんで二回しか観られなかったんだ。あと五回くらい観ても正しく理解できるか分からん。

【追記】
 樋口さんのブログや木村さんのツイートを見て(http://ameblo.jp/higuchi-yuki/entry-12277287122.html?timestamp=1495534594,https://twitter.com/jjunk0815/status/867047078819528704,https://twitter.com/jjunk0815/status/867049144233320449)ゆるすの意味が本当に分からなくなってきた。つまり瑞希がこの事件の真犯人だったりするのかな。瑞希自身が四人に与えていた愛の形さえ、歪んでいたのだとしたら。私、一回観た時から瑞希は彼らの罪を許すという意味で「ゆるすよ」と言ったとは思えなかったんだけど、木村さんの一連のツイートを見てそこは間違ってなかったんだなあと思った。瑞希を責め立てるように両親に伝えたかったはずの心の叫びをぶつけられたとき、何よりも先に「ゆるすから」って言うのが全くもって解せない。
「ゆるすから、全部ゆるすから、俺どこにもいかないから、ずっとここにいるから」
 これ、洞窟の中からもう二度と出ていかないって解釈で考えると、外の世界の眩しさ、幸福さを知りつつも、彼らの生きる影の世界に身を寄せる、って意味にならないだろうか。だって瑞希の望みは「この時間がずっと続けばいいのにな」であり、四人にとって瑞希は「俺たちの希望」なんでしょ?

 タイトルである「THE LAST SONG」直訳すると最後の曲になるけど、絶対そんなことないし繋がらないし、LASTって結構意味あったよなと思って調べてみた。

 the last=飽くまで、締め、最下位の、最上の、最新の、結末
 ついでにSONGも
 song=歌、歌うこと、短歌、さえずり

 飽くまで、っていうの結構引っかかる。瑞希たち五人は「飽きる」まで大抵は「瑞希の探してきたゲーム」を「五人でプレーしてた」わけで、THE LAST SONGというタイトル全体としての意味には繋がらなくとも、少しばかりは関係あるかもなと。それから直球でTHE LASTという部分は最低な、でも最高なという意味にもとれ、そして彼らの結末という意味にもつながる。THE LASTだけでかなり解釈が分かれてくるし、もしかしたらそれら全てをひっくるめたTHE LASTなのかもね。
 SONGはというと、曲や歌ではなくさえずりの方かなって私は思う。小鳥のさえずり、とかいう意味でしか使われないけど、さえずるって「べちゃくちゃやかましく喋るのをさげずんでいう」って意味があって、彼らの叫びである両親への自己承認が両親にとってはさえずりでしかないとすれば、彼らの最低で最高な声は傍から見ればさえずりにしか見えないとすれば、ちょっとはこのタイトルが腑に落ちた。爆発事件を巻き起こすという最初で最後の彼らの暴挙は彼らの最後の叫びであるのかもしれない。

 オープニング前に全員で述べていた、パンフレットにもあったあの台詞たちこそが一番の答えなのかな。エンディングでも「知らないのでしょう、知らないということを」って言ってたけど、洞窟比喩でいけば囚人たちは外の世界を知らないということを知らないということになるのだけども、五人に関しては……これはもう命題だなあ。私には一生わからない気がする。


 考察厨的には映像として観直せる方がずっと楽でいいし、解釈も深められてありがたいんだけど、でもだからこそこの舞台は映像化しない方が良い作品なんだろうな、と思う。これ全部分かったらおもしろくないし何回も何回も観直して理解できたとしても虚脱感に襲われそう。理解しようとして、でも理解しきれないくらいがいいのかも。
 今作においてただ一つ言えることは、あの大学生五人は五人とも救われないまま物語の幕が閉じてしまったことだけだ。

 印象的だったのはあれだけ常に堂々とし、どれだけ噛みつかれても微笑を崩さずマイペースを貫き飄々としていた藍原が、爆弾犯四人を捕縛した後逢見との通話で「自首ということにしておいてくれ」と伝えた時にその表情を崩した場面かなあ。前作までを私は知らないので、彼の背景が一体どういったものであるのか分からないけれど、藍原についてはあの表情に集約している、気がする。すごく絞り出すような声だったのも気になる。そのあたりは私の無知ゆえに理解が及ばない部分なので他の方の考察や感想をみていこうと思います。


 初めてアステリズム作品を観劇したんですが、びっくりするくらい頭使うしあれ本当にたった50分間での話なの……? 500ページにも及ぶハードカバーの哲学的小説読んでる気分になった。しかも物語は(声だけ出演の鷲尾さんを除いて)たった六人で広げられ、たった六人で完結する。濃度120%くらいの圧縮率。ぶっちゃけしんどい。そして同時に、この時間がずっと続けばいいのにと感じてしまう。この世界に浸っていたい、この世界をずっと覗いていたいという気持ちを呼び起こされる。
 無理を押してでも観に行ってよかったなあ。もしかしたら過去のアステリズム作品が再演するかも、ということなので、再演したらぜっっったい観に行きたい。特にアルビノをよろしくお願いしたい。原点を知れば今回の話も色々とまたわかる部分がある気がしている。
 演じ手六人の演技が迫真すぎて常に手に汗を握ってた。かと思えばユーモアも忘れない。メリハリがあるからこそ後半の狂気性が活きてくるんだろうなあ。月下で転がり落ちたにわかだけど、木村ワールドが本当に好きです。


※以下、オチ含むネタバレしかありません。

谷さんが過去に出ていた作品で映像化しているものをとりあえず観てみようと思い立ったのが購入のきっかけでした。もともと二次オタである私の心をくすぐる世界観だったことも理由の一つです。
最初はキービジュだけしか見てなくて大正時代の話なのかあ、歌劇団が舞台なんだ、でも軍人モノってどういうことなんだろう? くらいの軽い気持ちだったんですね。それがもう観てからずっと月下のことで頭がいっぱい。
以下、公式ホームページからのあらすじコピペ。

時は大正末期。
戦争の煽りを受け世間は好景気に沸いていた。 
関東大震災の傷痕も癒えつつある帝都・東京では、
大劇場が建ち、華やかな少女歌劇団が人気を博していた。
しかし、そんな復興ムードは一瞬の出来事だった。
戦争バブルは泡と消え、戦後の大不況が日本を襲う。
政府は軍縮を決定し、 軍人たちは「税金泥棒」と呼ばれ、行き場をなくしていく。
ある日、都会の片隅に幕を開けた歌劇があった。 
世間の流行とは真逆の、男性だけで構成されたその歌劇は、
「軍の印象を良くする為」
という名目で作られた特別部署、 軍人による歌劇団だった。
軍には立派な軍楽隊があるのに、何故今さら歌劇団なのか?
その裏にある本当の目的とは…。
これは、強く生きる為に戦う男たちの物語。
そして今宵も、幕が上がる―。

HPリンク:https://www.gekiike.com/7

そもそも私、このあらすじすら読んでなかったんです。新規の物に触れるときは先入観なしに観たい派なので、あらすじも評価も割と見ない方なんですが、そのせいで何となく大正パロ的なアレかな~なんて舐めてかかって観てしまった。

結果、見事に足元をすくわれました。

動き出しが遅かったのでDVD購入を決意した時点で舞台版は売り切れ、数日後に映画版の発売が決定していたので先にそちらを購入しました。本編では三浦という人間が中心に物語は動いて行くのですが、映画版では歌劇団を取りまとめている西条という人間を中心にスタートします。


ここから先、ネタバレを含んだ感想となりますのでご注意ください。



簡単にあらすじを言えば、財政難に苦しんだ軍が足切りをしていく最中、足切られる予定だった者たちが特別部署という名目で集められた場所が「歌劇団」であり、その歌劇団の真の名目は「軍上層部への性的接待」、軍上層部の男色家のために用意された接待要員が招集された軍人たちだった。その現状を打破するため、歌劇団をまとめる西条が色々と画策し歌劇団が軍から独立するまでを描いたストーリーです。

私が先に見た映画版は本編の補完シーンが多く、はっきり言って初見には向いていません。頭が悪すぎるせいで根本的な問題――登場人物の名前が覚えられないので、数回は観直した。
ただし本編を正しく理解する上で様々なエピソードが散りばめられています。映画版のネタバレを含みつつ本編の話(主に一条と宮沢の話ですが)をしていきます。


本編では三浦という軍人が退役か特別部署への異動かを迫られ、異動を選択し歌劇団へやってくるところから始まります。異動場所がどう言ったところか説明を受ける中で、三浦は一条と宮沢という役者に出会います。
一条はこの歌劇団の看板役者で、宮沢のことは理一と下の名前で呼ぶほど信頼しているらしい、というのがこの時点で分かります。

場面が展開し、三浦と三浦の教育係兼同期(同い年)の佐伯、宮沢の三人は一条が担当していたソロパートを受け継ぐ命令を受けます。このソロパート自体も接待に重要視される(と推測される)もので、一条は自分がソロパートを担当することで他の子に上層部が目をつけないように画策していたのだと考えられます。どうしてもセンターは目立つからね。
まだ配属されて間も無くダンスの経験もない中才能があり成長の著しい三浦、元よりスペックのある宮沢、どうにも不器用で上手く踊ることのできない佐伯、そして本来は選抜されていなかった、一条のライバルでありソロパートを狙っていた尾崎の四人でこのソロパートの後継を争うことに。

映画版で分かることなのですが、宮沢は西条や一条が分属される前から歌劇団に異動させられている一期生。尾崎と一条は軍人になる前に演劇の経験があり歌もダンスも上手い(しかし一条は他の人間に接待の被害を与えないよう看板役者として活動していたため、ソロパートなどの優遇も多く尾崎の鬱憤がたまっていた)。尾崎は佐伯の教育係で佐伯自身は努力しているが今は空回り中、という感じでした。三浦はこの時点でダンス稽古も受けていないのに才能を開花させています(劇中尾崎談)。



三浦はこの特別部署はいつかクビになる可能性を秘めながら存続していることを知り、たった10日で歌劇団を辞めさせられたものもいるという事実を叩きつけられます。どうしてこんなことになったんだろう、始まった頃はもっと楽しかったはずなのに、と溢した子に対して一条が与えたのは「西条さんに聞けば納得する答えが貰えるよ」という一言。三浦はその言葉を信じて一人西条の元へと向かいます。
西条にこの歌劇団の本当の意図を問い詰める三浦、答えあぐねていた西条の代わりに振付稽古を担当している西園寺が「ここは軍上層部の接待部隊よ」と教えられます。
「この歌劇団は顔で選ばれている。俺も!……お前もだ」と叫ぶ西条さんの心中を考えるとしんどい。映画版では西条さんが接待行こうとしたのを制して「俺が」と一条が向かったので、恐らく西条さんも接待していない。故に部下へ屈辱を強いているという事実が我慢ならない、また上層部の勝手で部下がクビにされ、路頭に迷うという現実が許せない、つまり「上層部のいいように人形として扱われ、振り回されている現状を許してなるものか」ということですね。それらを踏まえた上で俺も同じ船に乗せてください、と宣言する三浦本当にかっこよかった。
ここで歌パート(曲名・ノクターン)に入るのですが、この演劇は♡と♠というふたパターン公演あり、収録分は♡、特典映像に♠ver.の歌パートがありました。

まずは♡から。
こちらは三浦が歌っているのですが、描写が割と明るめで前を向いてます。共に練習をする宮沢と佐伯とか、普段は揉めてばかりの人たちが共に酒を飲んで笑いあってたりとか。サビの部分でみんなが出てきて踊った後また捌ける……って時に宮沢は一条を一瞥してから去って行くんですよね。対して一条は誰も見ず、何も見ず、最後は佐伯と二人になって練習→三浦を認めて声をかけて去る。どこまでも仲間のことばかり気にかけている印象。

続いて♠。
こちらは西条が歌ってます。同じ曲同じ歌詞なのに描写テーマは重め、西条から見た歌劇団ですね。
一条が西条を制し、彼に背を向けて上半身裸になってはけていく描写は接待の暗喩。映画版ではきちんとその描写がありましたが、舞台版ではパントマイムでしか描かれません。接待を強制しているところとはまた別に歌劇団に探りを入れようとしている上層部の手駒にされている近衛が問いただすように電話をかけている描写があったりと、正直♡ver.より重いししんどい。
ラストは三浦が西条に敬礼して曲は終わり。八方塞がりにも見える歌劇団唯一の光が三浦なんだろうなあ。

結果的に一条が担っていたソロパートの後継に選ばれたのは佐伯。一条の推薦によるものでした。順当にいけば宮沢、ストーリー的には三浦と思わせておいての佐伯。佐伯は初めての大役に喜び、練習を重ねるのですが本番前夜に尾崎へとソロパートを変更させられてしまいます。それは未完成だった佐伯を舞台に立たせ、クビになってしまうよりはという判断からだったのですが(その時の一条の表情も、全て分かっていると肩を叩いて出て行く宮沢も堪らなかった)本人は知る由もなく翌日の本番逃げてしまうんですね。その代打が三浦。三浦は一度も合わせたことがないはずなのに見事佐伯の代わりを成し遂げます。
その後もう戻れないという佐伯を説得し連れ帰って、皆に謝る佐伯を中心に次から頑張ればいい、と帰ってきてくれたことに安堵しつつ和やかなムードになる寮内。しかし全てを知ってしまった近衛の手によってこの歌劇団が性的接待部隊だということが暴露されてしまいます。
近衛! と鋭く叫んで制止しようとした一条を無視し、近衛はその事実を知らなかった者へ実情を暴露。
お前らは知っていたのかと問い詰める尾崎に知らなかったが何かあるとは思っていたと答える宮沢たち。「俺は知ってましたよ」と答える一条に、俺もと答えた三浦、薄っすらと三浦からは聞いていたが帰る場所もなく受け入れるしかなかった佐伯。
「お前らそれでいいと思ってんのかよ!?」と怒り狂う尾崎に対し「幕をあげる以外に俺たちにできることはあるのか」「役者しか出来ない人は黙っててください」と一条が一蹴し、退室。三浦はそれを追いかけ暗転。

「接待はどうでしたか」と単刀直入に聞いちゃう三浦くんの実直さにどれだけ救われたか。頼りないかもしれないけど重荷を一緒に持たせてほしいと告げる三浦に、少し救われた顔をする一条だけどそこを通りかかった宮沢の顔を見ると凍りついたように固まって、しかし通りすがりに背を叩かれ咆哮する宮沢に奮起されたらしい一条は「行こうか!」と笑顔になり三浦を連れてどこかへ向かいます。

土地及び劇場の権利書を手に入れた西条は、除隊届けを団員たちに配り「これを俺の元へ持ってくるか本部に持っていくかは自由だ」と宣言します。ある意味賭けですよね、これ。だって一人でも本部へ持ってってたら、この謀反終わりですよ。全部パァになって最悪の場合西条クビが飛ぶどころか命さえあったもんじゃない。
一人一人皆除隊届を見つめながら悩む描写があります。西条が何を目論んでいたか大体知っていた一条でさえ悩んでた。けど宮沢だけは除隊届を見もせず、前を向いて捌けていくんですよ。誰よりも覚悟の決まってる宮沢理一、かっこいいがすぎる。

最終的に全員が除隊届を西条の元へ提出し、全員で謀反を起こし物語は終結します。
この後に出演者が踊るのは(♡ver.では)「星ノヰリコチ」という曲で、佐伯・三浦から始まり一条・宮沢、といった形で二人ないしは三人ずつ出演者が登場し、サビで全員が踊ります。明るい、ハッピーエンドに相応しい華やかな曲です。この後の彼らがどんな人生を歩んだかは、本編・映画共に語られていません。大正末期ということはこの後に訪れる昭和でやれ日中戦争だのやれ太平洋戦争だのが勃発し、きっと元軍人である彼らは再び招集され……というところなのでしょうが、その辺りはまあ、個々の妄想になるので割愛。








さて、ここからは私の主観妄想ですが。
(一条と宮沢に関する考察と妄想です)

一条・宮沢登場シーンで三浦が去った後、容姿の整った三浦を良く見つけてくるなと上層部を失笑した宮沢に、新人くん好み? と訊く一条。宮沢はその揶揄いに乗った後、キレながらお前毎回新人が入るたびその質問するけど何、と言います。

いやいや、一条お前毎回してんのかよ。

仲良い友達とはいえ毎回〜?! しかもこの男所帯で?! ってなったのはきっと私だけじゃない。一条はこの歌劇団で唯一上層部に性的接待を強いられており映画版では初めて接待をさせられた日に自分が同性愛者であることを西条に告白し、中将の元へ身体を開きに行くんですよね。映画版先に見て一条が同性愛者らしいことを知ってた私的には突然の関係性に驚きを禁じ得なかった。


三浦ないし西条が歌っていた曲、ノクターンの始まりは


始まりから気付いてた、君を好きになること
そのしぐさ、視線を交わす時に


なんですが、♠ver.では一条が後輩にダンスを教えているところに宮沢が現れ、どこかに向かう途中で一条が立ち止まり「視線を交わす時に」で宮沢が振り返ってその場を去る、というシーンがありまして、この辺で割と確信してたんですが、一条は宮沢のことが好きです。そして宮沢も恋とまではいかなくともずっと気にかけてる。
私は参加できていないので何とも言いづらいですが他の方の映画版発売記念イベントレポを見る限り西条役の樋口さんが「一条は宮沢のことが好きだった」と発言していたらしいので、多分ここは公式です。少なくとも一条→宮沢は本当なのかなあと。逆は流石に私の妄想だとは思いますが。

思えば他の子は苗字に君付けやさん付け、あるいは呼び捨てであるのに対し、宮沢のことだけ名前で呼んでいたり、毎回新人が入るたびに好みかどうかチェックしてたり、歴で言えば宮沢がやるべきソロパートも宮沢にさせなかったりと、宮沢を気にかけすぎているほど気にかけてる。加えて映画版では初舞台前夜に劇場で二人きりになって、毎朝練習していたのを見てたから知ってる、と言われて驚いたり(恐らく早朝練習自体は性的接待の朝帰り。舞台本編でも早朝練習をする佐伯・三浦の前に現れていた)と、何かと絡みがあります。
宮沢は一条を気にかけていた、そして帰宅時間が遅かったり自主練習時間がズレている一条が何かを隠していることに確実に気がついている。加えて映画版の冒頭で西条が特別部署に配属され歌劇団へ来た時「本部へいたころはあなたが憧れだった」と告げており、出世頭だったはずの(30歳で少佐にまで上り詰める実力者)西条がここへ来たことに何かしらの疑念を抱いていたと考えて良いと思います。
映画版の一条・宮沢の会話シーン
・宮沢は一条が深夜や早朝に練習していたことを知っている
・一条が幼い頃から役者になりたかったことを知っている
・見ていたなら声をかけろと言い繕った一条に対し「みていたかったんだよ」とだけ返している
この三点からでも一条のことをいかに気にかけていたか、どれほど親密な仲だったか伺えます。
他の方の考察や感想で宮沢が一条の教育係だった説をよく見かけますが、あながち間違いではないのかなあと。確か宮沢と一条は同期ではなく多分一条の方が上だときいています(パンフ持ってないので定かではない)。→同期か階級差があったのかは分からないが仲がいいのは公式設定だそうです。二人はタメ口だし、何の気兼ねもない。そして映画版では一条からよく宮沢はダンスの振りを教えてもらったりしている。それこそ暗にというか、語らないけどここにはこういった感情が動いていた、と提示されている気がしてならない。

そして♠ver.でも劇中歌の最後で宮沢は一条を一瞥してから去るんですよね。宮沢は一条が何かを隠していることに勘づいていて、それが歌劇団に関係するものということも推測しつつ、言及できていない、そんなところだと思います。

また、近衛の手によって歌劇団が性的接待部隊だと暴露された時、宮沢はまさかといった感じで笑ってたんですが、一条の表情をみて即座に真顔になる。この後の応酬で、一条と彼の名を呼んだのは宮沢だけです。
男相手に接待を強いられていたことが露呈し、一条はきっと皆から軽蔑されると思い込んでいたと思う。最も恐れていたのは、宮沢に軽蔑されることだったとしたら、彼からの檄はとてつもなく一条の勇気になったのではないかなあ、と考えたり。
ここでも激情する一条を諌めたのが宮沢だけであったり、その後を追いかけていたり、追いかける際に声をかけず背を叩くだけに留めるあたり宮沢自身かなり気にかけている様子が窺え、少なからず宮沢も一条に対して特別な感情を抱いていたのではないか、と邪推。そもそも好きな子に励まされて笑顔になる一条だいぶと可愛いし、一条追いかけて励ましにくる宮沢もかなり一条のこと好きでしょ……

【追記】
このシーンで宮沢は笑い飛ばす→真顔になりますが、当初私は、宮沢は「一条がそういったことをしていたことに勘づいていた(でも信じたくなかった)」という解釈だったのですが、もしかすれば「何かしていることは知っていたが、まさか性的接待だとは思っていなかった」「どうして気が付けなかったのかという後悔の念」に駆られているのではないか? という解釈になってきたりしています。あんなに近くにいたのにね。

あとどうして先述でソロパートの振り分けが「順当にいけば」宮沢だと思ったか。
宮沢は西条や西園寺と同じく歌劇団一期生です。つまり歌劇団自体の在籍歴は長い。加えて佐伯の代打で入った三浦が出たシーンのダンスでは、一条・尾崎・西園寺と並んで宮沢がいる。一条・尾崎はもともと演劇経験がありこの歌劇団においても実力は折り紙付きであるし、振付師である西園寺は言わずもがな。佐伯というガンを抱えながら一曲終えるには、さすがに五人中四人がそれなりの実力で揃えていないとカバーも出来なかっただろう。ソロパートの後任選抜にもいるし、実力は確かにあるんです。でも一条は宮沢を推さなかった。どうしてもセンターにしたくない理由でもあるんじゃないかと勘繰りたくもなります。佐伯が選ばれた理由は「自分(一条)と同じ才能があると思ったから」なんですが、その同じ才能というのは多分看板役者になれる、という意味と捉えるべきでしょうが、裏を返せば佐伯も接待のターゲットになったかとしれない、ってことなんですよね。もし一条が宮沢を守るためなら手段を選ばないところまで行っていたとしたら……なかなかに闇が深い気がする。
まあ、佐伯がセンターだったらどこにも被害が及ばないというのも確か。佐伯は、ぶっちゃけダンスがものすごく下手な役どころで、とてもじゃないけど上層部の目にとまるとは思えない。もしかすればクビかもしれないところまで行くけど、上層部が歌劇団をクビにする最大の理由は「華がない」なので、下手ながらも彼には華があります。それを見越して佐伯を後任に推した気はする。結局は宮沢をセンターにしたくなかった理由にしかならないけどね。

ラストのダンスで使われていた「星ノヰリコチ」で二人が担当しているパート

君を追って未来へと歩き出す
立ち上がるよ何度でも

サビのラスト

気が付けばいつでも隣に君がいた

で視線をかわしてたり、肩を組んでたりするんですよね。相方・相棒・コンビなどなど表せる関係性はもしかすればあるのかもしれませんが、特別な感情が横たわっていてもおかしくはない。

一条が宮沢を好きだったということが公式だったと知ってからもう一度舞台を観直したんですが、一条の宮沢を見る目が本当に優しい。根底にそんな感情を秘めた演技をしたいのだとすると、という前提で見るとまた少し違った物語のようにも思えます。舞台が三浦、映画が西条だったので、いつか一条視点の月下がみたい! 主要三人の中で唯一一条の視点だけがないんですよね。一条を主軸としたこの物語の展開はどのようなものだったか知りたくして仕方ない。唯一男に身体を許さざるを得なかった一条は、一体どんな感情を持ちながら男に抱かれていたか。
映画版だけ見たときは「男の方が好きなので」発言は西条を気に病ませないための言い含めだと思ってたんだけど、舞台版観たら多分本当なんだろうなあと思ってしまう。だからこそ、一条の心情が気になるよ〜;




総括すると一条と宮沢がやばいって話になってしまうんですが(これは私の見る視点の問題)、全体的な作品として深く考えさせられるストーリーでした。あのあらすじでここまで想像できるか、私があらすじを見ていなかった人間とはいえ例え見ていたとしても無理ですよ。本当に重いもん。しかもね、まさか性的な接待要員って発言が公式にされると思わなくて。西条が三浦に教えた時も「藤原中将が男色家であることは知っているか」という問いただし方で、三浦もそういう接待部隊ですか、と言葉を濁していたにもかかわらず!(笑)本当に色々とすごい舞台をみてしまった。
読み込めば読み込むほど生で見たかった〜! と思う作品ですね。本当に良い作品だった。再演希望します……大好きです。

本当におすすめです!
舞台版
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