平成最後に見た夢は
すごく幸せで愚かな夢だった

もしかしたら昨日と一昨日に参加した
レインボープライドがあまりにも非現実的で
幸せに満ちていたから
愛なんて曖昧で不確かなものを信じたい気分になったからかもしれない

私は当事者であるわりにレインボー的な活動をそもそも支持していなかった
社会なんて変わらなくてもなんの不都合もないと思っていたし変態であると割りきって生きればいいじゃないか、だって実際おかしいことだから、と生産性がないと言い放つ議員のように偏見に満ちた目線で自分自身を捉えていた。

しかし、深い諦めを口にする一方で愛し愛されるという人並みの幸せみたいなもの(それすらも実態のないものだからそれがどういうものかもわからずに)を渇望している自分もいた。
信じられないから実態をつかめず憧れだけが膨らみ、愛とは小説や映画の世界のような激情の昂まりであり、時に暴力的な、最終的に心中に至るようなそういうものだと幻想を抱いていたと思う。

しかし愛は一方的な理想の押し付けには成り立たず、育むものであった。
育みはお互いを尊重しなければ成立せず、また、自分を認められなければ他者も認めることに繋がらないというとても複雑なものであった。
相手の言い分をすべて受け入れることでも成り立たず、かといって自分はこうだと主張するだけでも、またそれぞれの問題だと割りきりすぎても理解の放棄となる可能性があり成り立たない。
きっと死ぬまで尊重の元、理解と主張を繰り返しお互いを発見し続けながら育てるものなんだろう。

と、頭では理解しつつもそんな難しいことが実現できる気もしなかったし、私の心はいつも誰かに譲ってきた不満が残っていた。
みんな勝手なことを言いやがる。
愛なんて誰も叫ぶんじゃねえ、嘘くせえって。

そういう渦の中で出口が見つからずにいた自分に光を見せてくれたのはちょうど1年前のレインボープライドウィークに開催されたワークショップだった。
だから期待ももちろんあって。
愛を信じたい自分と
愛なんて幻に期待をするな
という両者が葛藤するなかでなんとか、信じたい自分に気持ちを寄せて参加してみると、



ああ…




理屈じゃないんだ。




という、ため息が漏れた。





そこにあるのは
としか言い様のない光景だった。
私はひとりでいるときに口角があがることはほとんどない。
私に明るいイメージを持ってくれてる人はあなたが私を明るくしてくれてるのです、ありがとう。
ひとりでいれば私はひたすらに暗い人間であるにもかかわらず、その場では口角が自然とあがった。
私は圧倒的にひとりだったが、ひとりではないような気がした。

ただ、目の前の人たちを慈しみ受け入れ続けるような空間。
すごかった。

レインボープライド
という名称。

プライドというと日本では少しマイナスなイメージが走ることがある。
しかし、本来はとても大切な価値観であると思った。
あるアーティストの言葉が胸に響いた。

好きな人を好きって堂々と言える
それがプライドじゃん

認めてもらえなかったら堂々とできない私は臆病だった
認めてもらえないなら自分も認めないという私は卑怯だった

あまりに嘘をつくことに慣れてしまった私は嘘に対して鈍感になっていた。
隠して当たり前。
しかし嘘というのは誰かを共犯者に仕立てる行動でもある。
そんな罪を理解し、進んで被ってくれた人がたくさんいる。
でも罪は少しずつ積み重なって自分を苦しめていくものだ。
気がつくと私は罪悪感でいっぱいの人間になっていた。
だから正直に生きれることが大切なんだ。
社会を変える手助けをしたいと心から思った。
私が何かしたからといって何も変わる保証はないし、また、それが必ずしもいい方向に転ぶわけではない。
私はたくさんの人を傷つけてきたしきっとこれからも傷つけてしまうだろう。
でも少なくとも偽りの人生は自分にとっても誰かにとってもやめようと思う。

正直に生きれない罪悪感は平成に置いていこう。
最後にたくさんのごめんなさいと数えきれぬほどのありがとう。



【GWイベント情報】
『コロさんと喋る場』
●5/1「SHOOTING PAINについて」
●5/2「LGBTについて」レインボーウィークだからね!
●5/3「47都道府県一人芝居作戦会議」
↓各日↓
参加費:1,500円
時間:18時~20時くらい
場所:live space anima
予約:corobuchika@gmail.com(名前・来場日)