ピヨレボにけいちゃんが入りました!
めでたい!革命児がけいちゃんが入れるってことは、自分たちが思ってる何倍もけいちゃんっていい奴なんだろうなって言ってる方がおりましたが、私もそう思います。そして頼もしいです。
今後ともピヨピヨレボリューションを宜しくお願い致します!

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さて、表題の件。
私はよく男性役をやるので、男性役をやるにあたってコツってありますかとかって質問をいただくのですが、実は声を低くするとか立ち居振る舞いを変えるとかみたいなコツはそんなになくて、それよりもその役の人生を生きるってことに尽きるのだよなと思います。
型みたいなことは大事だと思うけど、それだけに捉われてしまってはあまりうまくいかない。だって身体は女性ですから。映像みたいにトランスフォーム出来ませんからね。
どうみても女性だけど、役の人生をきっちり生きた結果、物語の終わりには男とか女とかを超えて見えてくるその人としてのストーリーを大事にしたいと私は思うのです。

にしても舞台において、男性として育てられたとか、本当は女だったとかって設定でなく普通に男性としての男性役を振られるのも随分稀有だよなあと思います。
先日出会ったゲイのカウンセラーの方にはトランスジェンダーと間違われましたが、私はトランスジェンダーではありません。
そう間違われるのは恐らく元々私が持っている性というのが男性でも女性でもないからなんだと思います。

昔は役者として使いづらいよなあ、映像とかでも無難なOLとかそういう役できねえなあ。仕事ねえなあ。オーディション受からねえなあ。
って思ってたけどよく考えたらそもそも私そんなことやりたくないわ。ていうか、逆に個性だよね。そして役としては男も女もできて可能性倍じゃん、ラッキーって思ってます。
そしてそっからやりたい役は自分で作る、引き寄せるって発想になっていきました。

ちなみに私は男性に間違われることも女性に思われることもどちらにも嫌悪感みたいなものはないので感じたように認識していただくで全然大丈夫です。

きっとこれからジェンダーレス俳優ってどんどん増えていって、男役をやる女性も増えていくのかなって思うんだけど、
肩ひじ張らずに楽しんで役の人生を生きましょう。なかなかそんな経験ってできないから役者ってやっぱり楽しい仕事だ。

今年は表現者としての自分というのをもう少し頑張りたいなと思っています。
近々馬鹿な企画を発表しますので、馬鹿だなあと思いながら薄目で見守っていただけたら幸い。
どうぞよろしくお願いいたします。

ところで最近ジェンダーレスヤンキーって肩書気に入ってる。

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いや、なればいいってわけではない。

とある学校教師が授業でLGBTについて話したそうなんです。
で、話し終わった後に生徒が「で、先生はゲイなんですかー?」って茶化したみたいなんですわ。まあ、予想の範疇ですよね。だいたい子供なんて保健体育したら下ネタで攻めてくるしそういうのが好きなお年頃です。で、先生はなんて返したかっていうと…


「んなわけねーだろ(笑)!」


だったそうです。
いや、先生。ちょっと、先生よ。
取り扱ってくれたその心意気はありがとうですよ。きっと良かれと思ってのことでしょう。
でもデリケートな問題ですこれは。
学校という子供にとって影響力の高い場所で、影響力の強い立場の先生なのだから本当に気を使わなくっちゃですよ。
これはLGBTに関わらずね。私は今LGBTにほんの少し詳しいからそう思うけど例えば人種について、例えば格差について、例えば病気について。パーソナルでデリケートなことって気が付かないところにたくさんあって、私も無意識に人を傷つけてるかもしれない。
当事者が大人であったら、理解が及んでないのも仕方ないって諦められる人もたくさんいるんだけど、まだまだ多感な時期。もし当事者がそこにいたとしたら、LGBTの話をして生徒が茶化した言葉に対して先生が「んなわけねーだろ」ってどんだけ傷つくだろう。
想像力を持って人と関わっていきたいものです。

でもね、「んなわけねーだろ」って価値観がだめってわけじゃないんですよ。それも現状。でも現状って割り切れるのはある程度精神が成熟してからじゃないかな。
人間の思考は自由。価値観も偏見も自由。綺麗なもんばっかの世の中になんてなり得ないしそれは気持ち悪い。
だけど、時と場合、そして自分の立場なんかは特に意識しなきゃなって思うんです。
潔癖的に生きることが善しではないですから、酸いも甘いも痛みも辛さも、そんなのを伴いながら人は生きているということ、そして自分が発信するというのはどういうことなのか考え、責任をもつこと。そういう当たり前のことをネット社会の今みんなが問い直していけたらな。いいな。




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あるのは、人間誰しもが抱える悩みである。


いただくメッセージにはあの時も悩んでいたのかなあと思うと…とかって言われたりするのですが、実際は悩んでたかもしれませんが、悩んでいなかったかもしれません。
やはり悩みすらもその人の一部であり、全体ではない。それに四六時中悩んでいては社会生活は営めませんからね。
今回の発表に至ったのは「私はこんなに辛かったんだ!」
と自分の辛さを分かってもらいたいとかそういった類のものではなくて、まずは広く自分のことを伝えることで自分で自分を肯定するため。それと細かく心情を語ることで偶然にも引っかかることがあって、どっかの誰かの痛みがちょっとでも和らいだらな、という思いです。この長かった25年で考えたことを文章にしてるので、凝縮されてるから、もしかしたらずっと悩んでいたという印象になるかもしれないのだけど、そこまででもないっす。ご心配かけちゃった皆さんごめんね。実際悩んだことはあったけど、そんな自分も含めてみんなが見ていた私とそんなに大きく変わらないと思います。

さて、LGBTと聞くとその当事者には周りには分かりえない特別な悩みがあると考える人もいるかもしれません。そして逆に当事者が自分はマイノリティだから特別で異端で、自分の悩みは誰にも分かってもらえない。と考える人もいるかもしれません。
私もそう思っている時がありました。でも、実際は紐解けばアイデンティティの悩みだったり、信頼の問題だったり愛の問題だったり、人間だれしもが抱えうることだと気が付きました。私の信頼するカウンセラーの方が言っていたのですが、現代人は多数の人が多かれ少なかれ悩んでいて、その中でLGBTの方はむしろ問題が明確だから悩みを見つけやすく、かつ前を向きやすいと言っていました。マジョリティに属する人にだって人それぞれ色んな悩みがあって、でも「普通」という実体のないものに支配されて「普通のはずなのになぜか苦しい」とそもそもの悩みや問題を見つけられず原因が分からなくて苦しい。みたいな状況が多くあるようです。比較することではありませんが、私は明確に悩めたこと。模索したこと向き合ったこと、前を向こうと一歩踏み出そうと勇気を持てたこと。そのすべてがありがたいことだなと今は思っています。
LGBT関連でなくても、もし自分だけにしか分からない悩みだ、共有できないものだと思っている方がいたら、信頼できる人に話してみてはどうでしょう?実は紐解いたら誰もが持ちうる悩みだった、なんてことがあるかもしれません。
私はかたくなに言わなかった時間が長かったからか、口にしたら驚くほどあっという間に溶けたもの、拍子抜けしたこと、たくさんありました。
幸か不幸か、ものすごく特別、なんてことってないんだなあ。

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