750ccの紅茶を淹れるには、5個のリプトンのティーバッグが必要になるようです笑


さて、半年前くらいから見えてきたんだけど、とうとう明確に見えてきた気がする謎の壁。

でも体の中に何かあるんです、それを出したいんだけど形が定まらない。

でも多分、「言葉」だったり人の心に関するものなんだろうなって思う。

何年か前、とんでもないクレームを電話で言ってくるお客様の話を1時間半かけて聴いて、
最終的に「あなたがいればこの会社は大丈夫だ、あなたがいる限りこの会社のファンだ」
と言って頂けた時から、自分の中に何かが芽生えたんです多分。

そして塾で子供に英語を教えて点数が上がるのを見て、英文が読めるようになるのを見て
また何か心のどこかが気がついたんです。

でも具体的に分からなくて
とりあえず人の心ってなんだろうって思って少し本を読んで

同じ意味でも言い方や言葉が違うだけでなんでこんなに人を傷つけも癒しもするんだろうと、とても心が惹かれたんだよね

で、最近になり人の悩みとか聞けば良いのかなって思ったんだけど
しょうもないメンタルの人達が依存してくるようになり

正直これで良いのかわからない。←今ここ。

多分その人の心の起爆装置があって、おこがましいけどそのスイッチを入れられたら良いのか

スイッチ入れずに聴いてあげれば良いのか

ただ少なくともスイッチを入れようと色々な人の書いた本の受け売りや私の考えを押し付けるようではいけない。

でも聴いてあげるだけでも多分、本人にとって何にもならない。

考えよう。
—————
同日9:46分追記

いや誰かの心のスイッチの話ではなく
そもそも私が何を体から出したいのか

頭の中にあるものがなんなのか

考えよう。



昨日は大雨の後快晴過ぎて笑ってしまいました

今回は判断力のお話です。

さて、冷静な時はいけないことだと分かっていても

熱狂や興奮に包まれると流されてしまうっていうのはよくあることなんです。

自分とは無縁だ、そんなことはないというのは最もな意見なんだけど、有能な頭の良い人でも、決してそんなことはないんだ。

 どんな人間でも、興奮した時に自分の判断力がどれだけ鈍るか、冷静な状態では正確に想像できないということ。

だからね、以前あったイベント、めちゃめちゃ叩かれていたじゃない?
あの人達の多くも、まぁ程度の差はあれど普段は普通の人達なんだろうなと思うよ。
 でも好きなアーティストに煽られたり隣の人がマスク外してたら「あ、いいかな」と思ってしまうことも大いにあるっていうのが人間なんだよね。

まぁだからといって肯定できることではないんだけど。

※「起こる可能性が高いことを認める」ことと「肯定する」を同じと考える人が時々いるけど違うよ。

で、今回のお話はマスクに限らず今後の人生についても言えることなんだけど

 一つは自分もそうなる可能性がゼロではないということを頭の片隅に置いて、そうなった時にはどうするか絶対的な軸を自分の心に持って生きることなんだ。

たとえば身近な話だと、飲めないお酒を勧められた時とか、何かを貸してとお願いされた時とか
断りづらいってあるんだけど、そこで断らないと一生後悔するから
断るコストの方が安いんだよ。

僕も昔は断りきれない人間で後悔が多かったんだけど
それ以降はこうしているよ
①過去の自分を困らせた状況を脳内で再現
②その時の気持ちを思い出してなぜ断れなかったのか、(断る気にならなかったのか)考える
③実際断る言葉を一人で言ってみる(恥ずかしいだろうしアホみたいだけど、これは結構効果がある)

特に③は、ドラマに出てくるような娘の結婚式のスピーチの練習するお父さんみたいに一人で話してます。
例えば料理しながら「お酒を勧めていただきありがとうございます。ただ、私は飲みません。 どのような言葉をかけられても飲みませんので。」と言いながらフライパン振ってます。

そうすると模擬的ではあれど実際にその時のシチュエーションが脳に焼き付くので、セリフも口から出やすくなります。現場でも自分の意思を表示しやすくなります。

この人生、自分の大切なものがいつどんな風に傷つけらるかは分からないので、
どんな状況でもブレないよう、自分の意思だけでも固めておくのって大切だなと思います。

皆さんが明日からも良い一日を過ごせますように

当たり前かもしれないんだけど

人間は目に入った物(見えたもの)について考えてしまう

もし目に入るものがなくなればどうだろう

自分自身について考える回数が増えるのではないだろうか。

•自分が何をしたいのか、だとか
•例えばなぜ仕事が嫌なんだろう とか。
•どうやれば解決するだろう
•そのために何をしよう
•なぜそれができないんだろう
こう言ったことを考えるようになるかな。

というわけで壁に貼っていた落書きを剥がしました。

我々の周りにある物、
多分スマートフォンの特定のアプリだったりテレビとかが特に
自分自身について考えたり、向き合うべきものから目を背けるためのもの
そうなんだろうなと思う。

大企業は我々のそう言う性質を知っているから、
人間が自分自身に向きあうことが辛いし苦手だって知っているから、
目を逸らすためのものにお金を払うことを知っているから

色々な物を優しい顔して売ってくれるんだよね。

ありがたいね。

でもお金を払わないと、こちらは捨てられてしまう。

そして残されたのは、そう言ったサービスにお金を払って歳をとった自分と、寂しくなった口座残高。

いちばん助かる方法は、自分自身がすべきこと、したいことをいち早く探すことだと思う。

でもそんな簡単に見つかる物じゃない、多分。

探し続けないと。

辛いけどね。
でも辛いからと言って、目を逸らすサービスに時間や金をかけても、後でより一層辛くなるだけ。

だから自分自身に負けちゃいけない。

ディズニーアニメ映画のピノキオを見ると

悪い大人はピノキオや子供達に笑いかけているんだよね。
全ての大人が悪いわけではないし、内容や時間の都合上そう言った人達しか出演させられないと言うのもあるけど
 大まかに言えることは笑顔で接してくれるのは相手に利益があるからってこと。 
 だから我々が手に入れる以上に相手はもっと得をしている。 その得とは何かを考えるとそれもまた面白いよね。

ではまた。

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