1年前の今朝、
起きた瞬間から なんだか気分がもやっとしていた。

「あれ。。お父さん元気だろうか?」

なぜかそう思い
母にLINEで 様子を聞いてみた。
「昨晩も(病院に)行ったけど 元気だったよ」


「そうだよね。。。」
と 安心したその5分後。



「お父さん だめかもって! 病院から連絡あった、今から行ってくる」
母からの電話。
朝 9時30分。


私は平日、遅くとも9時45分には家を出る。

どうか、どうか早く電話きて!




9時45分。
「お父さん 亡くなった。間に合わなかったよ。  でも  全然苦しまなかったって。
すごーく優しい顔してるよ」




よかった。
それなら よかった。
私は泣く暇もないまま その後仕事に行き、 いつも通りに過ごした。





父は 胃がんと脳梗塞を併発し、
最後の1ヶ月は 療養病院に入院していた。
最後に会ったのは、2018年12月24日。
筋肉質ではあるが、細身だった父。
食べる事が大好きだったのに、脳梗塞の後遺症で口から食べる事が出来なくなってからはさらに痩せてしまい、別人だった。
そんな自分を見られるのが嫌だったんだと思う。
その日は私を見てくれず、ずっと顔を横に向けたままだった。手を握るとその手はびっくりするほど温かくて、しばらくそうしたまま顔を眺めていたら、父の目から涙が細く流れてきた。
点滴につながれ、食べられず、もう力なく話す事も出来ず、、、それを見ていたら私も泣いてしまいそうで、
「また 来月すぐに来るからね」
それだけ 声をかけて東京に戻った。

どうか 年を越せます様に。



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とても不思議なのだが
父が亡くなった日の前日の1月9日。
1月11日のご予約のお客様から続々と日時変更キャンセルのご連絡が入り、とうとうお一人もご来店の予定がなくなった。
そんな事は今まで一度もなく
なんだろう??と思っていたその翌日に
父は亡くなった。 
でも 私はそのおかげで、翌日に、父の姿を見に帰る事が出来た。
定年でトラックの運転手を辞めてからは
近所の方にみかん畑の管理の仕事を頼まれたと言って また楽しそうに働いていた。頼まれ頼られるのが好きで なんでも引き受けてしまう。でも 真面目で そして人に迷惑をかける事を嫌う父が
「仕事はきちんとやって 
              そしてなるべく早く帰って来い」
って、
きっと 父がそうしたのだと思っている。


小さい頃。
よく父の仕事についていき、
父のトラックの助手席に乗せてもらうのが大好きだった。
まだ小さい私には 、すごく高い所からの景色にとてもワクワクして 、よく前かがみになって道路を覗き込んで、 あぶないぞ!って叱られた。
毎回 海老名のインターで休憩して、
たこ焼きと、焼きそばを買ってもらって、
それを食べながら 景色を眺めては、父の口にたこ焼きを入れていたっけ。
父の吸っていたハイライト、
よく飲んでいたダイドーの缶コーヒー。
家の近くのタバコ屋さんに おつかいに行っていた頃が懐かしい。



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一昨年11月。抗がん剤投与で通院の日。
父は少し前から手足が痺れていたらしく
その事を担当医に伝え、調べたら『脳梗塞』が起きているとの事で そのまま即入院。
母から "お父さん意識が薄いって。あと数日持つかって"。
それを聞いて慌てて帰った時、
病室で 父が昔よく歌っていた『スーダラ節』を耳元で流したら

「スー。。。 スー。。」
と 口を動かした。

それから 少し声が出て喋れるようになって嬉しかったんだろう、
翌日、力を振り絞ったら大声が出ちゃって
「スイスイー スイダララッタ スラスラスイスイスイー‼️」
一緒に歌っていたら、看護師さんに叱られた。
あれは大笑いだった。



もっと生前に色々な話をしておけばよかったと本当に思う。
親子、兄弟、夫婦。。。
わかってるだろうと思って 口にしない事。
照れ臭くて言いにくい事。
なんとなく言い出しにくい事も。



父は幸せだったのかな?
最後に何か言いたい事はなかったんだろうか。
もう一年が経った。早い。
色々思い出すと、 胸がきゅっとなります。