私が、ずっと一番尊敬しているけれど、一度もそのことを伝えることができなかった方が、もう少しで芸能界を引退されます
表の方ではなくなってしまうことについて考えたとき、いつか伝えたかったことを伝えられないままその日が来てしまうなんて、、、!って自分でも、こんなにも何も伝えられないまま時が経っていたことにものすごく驚いたし、自分自身にショックでした。
いつか、いつかって思っていると本当に何も変わらないものなのだと実感しています。
私が、思いをどうしても伝えたい方は、
夢眠ねむさん です。
読んでいただけるかはもちろん分からないし、最後まで私の勝手でしかないけど、
どう思われたって、全部自分のせいなので、それも仕方ないと思えるので、
どうしても伝えたい気持ちを書きます。
19才で上京して、現代アートの集団に入って、
そこで知ったねむきゅんさんのこと、最初から本当に本当に悔しくて、羨ましくて、
沢山の嫉妬をしてしまい、本当にごめんなさい。
私のリスペクトするDJやアート界隈の方達が、みんなねむきゅんさんをとても大好きで、そして仲間として大切に思っているのだと教わりました。2010年くらいだったと思います。
その話を聞いたときは、どんな子なんだろう?と思いながら過ごすなかで、
私が渋谷のギャラリーで展示をしていたときに、同じギャラリーのお隣の会場で演劇のヒロインを演じているねむきゅんさんを確かニコ生かUST配信で見てました。
私がどんなに派手なことをやっても、そこにあるねむきゅんさんの圧倒的な存在感はどう考えても私が反射的に目をそらしたくなるくらいの特別な女の子なのだと感じました
そして、当時、わたしがよく本を買いに行っていたヴィレッジヴァンガード下北沢店に行けば、"僕たちは断然 夢眠ねむ推し です!"という大きな愛情たっぷりのポップが展開されていました。
心臓が震えてしまいました、鮮明に記憶に残っているくらい、「わたしのなりたいものになっている女の子なんだ。」と分かったからです
その頃、私はまだテラスハウスにも出る前で、
誰も私を知らないし、何ができるわけでもないけど、アートを通してとにかく有名になって、好きなことで、なりたい自分になりたかった。
当時の私から見たねむきゅんさんは、
私の大好きだったサブカル界のお姫様のように見えました
それも、ただ担がれているだけのお姫様ではなくて、
シーンにとって大きなものを背負った存在として、
ねむさんが上に行くことで、そのシーンごと突き抜けさせる、ヒロインだけど、民衆を導く女神感もあって、
そのねむさんのイメージやひとつひとつのお仕事そのものが、私の「なりたかったもの」でした。
ねむきゅんさんを知れば知るほど、私のやりたかったこと、なりたかったもの、すべてをもうやっている子がいることに、上京と同時にものすごく絶望してしまいました。
今の自分なら、真っ先に大ファンになっちゃうところなのですが、
当時の自分は本当に信じられないくらい性格が悪くて、僻み妬みたっぷりで
ねむさんに対して悔しい、と思ってしまったんです。
そこまでならまだしも、悔しいと感じている自分すら認められず、羨ましい、悔しいという感情に任せて沢山の嫉妬をしていて全てを悪く受け取ろうとしてしまいました。
ねむさんの足元にも及んでない私が勝手に喧嘩を売ってるみたいな状態です。
ただ指をくわえるように、
リスペクトではなく、ねむさんにはねむさんの生きてきた歴史があるからこそ輝いていたり人気者であるにも関わらず、まだ何もできていない、何者でもない自分にコンプレックスを抱くようになりました。
その後にでんぱ組さんもどんどん有名になっていかれました
電波ソングだったり、それぞれのバックボーンや人間味のある部分を魅力として更に輝やいている部分を、「これはアイドルじゃない!」として認めないことに自分のなかで決めたりしてしまいました。
特に、当時好きだったアイドルのことで、ものすごく傷付いたニュースがあって、過激派保守ヲタクみたいな時期だったことも相まって、○○だけがアイドルである!みたいな謎の正義を掲げたりして、、
でも、やっぱり気付けば何回も何回もでんぱれーどJAPANのMVを見ちゃう自分が居て、でんでんぱっしょんが発売されてすぐの頃には、もう可愛いし楽しいし曲最高だしめっちゃ元気くれるし大好きって感じで、でんぱ組さんの表現している全てが素晴らしくて以降ほとんどの曲を普通に聞くほど好きになってしまったし、メンバーさん全員のファンになっている自分がいました。
ちなみに同じように今では全員大好きな当時のBiSさんにも、グループのスタンスやメンバーさんに昔はものすごく抵抗があって(アイドルの概念を壊す存在)という認識だったけど、結局知ったらすぐ好きになってしまったし、
でんぱ組さんにもBiSさんにも、何も知らない頃は、アイドルの概念を壊したのだと思ったことも、知ったらすぐに、アイドルの可能性を広げてくれた重要な存在なのだと分かりました。
色んなものを背負ってステージに立ってくれているぶん、ありえないくらい感情移入できて、ものすごくキラキラしていて、心を揺れ動かしてくれるような、ものすごくパワーのある感動をくれる圧倒的なアイドルとしての魅力が衝撃でした。
それまで、「アイドルに人間味とか、マイナスの過去も辛さの表現も必要かなあ」とか思ってたの。というか、どうしても思いたかったの。
本当に情けない。(しかもめちゃ的外れ)
この数年後には自分なんてさらに人間味一点特化型の特殊アイドルになってると言ってやりたい。まじで過去の自分を殴りたい。
そんなこんなで話は戻って2013〜14年に差し掛かるくらい
でんぱさんが大好きだし、ねむきゅんさんにはまだ憧れという名のコンプレックスをもろにいだきつつ、関わり合いはないので愛憎に塗れていたころ。
自分もテラスハウスに出てちょっと調子ずいてきたりして、そのときにはまた改めてねむきゅんさんの存在をチラチラ意識してる自分がいました。
それほどに「ちゃんもも◎」という存在は本気でねむきゅんさんが相変わらず羨ましくてたまらなかった。
ねむさんのツイッターをフォローしたり、コンプレックス肥大でまたフォローを外したり
思い返しても他にも色々本当に意味の分からない行動をしてしまいました。
それからまた時が経ち、まさかの展開で自分がアイドルになる日がきました。
自分の人生において完全に想定外の"ありえないこと"が起きたのです。
これはバンもん!の話になるので、ここでは省きますが、
アイドル を何よりも愛し、最上級のエンターテイメントとして崇拝してきたものに自分がなるなんて、神が許しても自分が許さねえ、、と思ったのですが、バンもん!は私のままの私を必要としてくれて、長年諦めていたことでしたが、
このチャンスに全力で向き合おうと、素直になれたことでした。
そして実際にアイドルになってみて、時間が経てば経つほどにねむきゅんさんへのリスペクトははっきりしたものになりました。
ねむきゅんさんの姿勢や、凄さがどんどん分かるようになっていきました。
なおかつ、でんぱ組さんが地上に飛び抜けて大活躍してシーンに大きな影響を与えた直撃の世代でアイドルをやらせてもらってるので、
完全にでんぱさんの恩恵を受けて、そのときの自分の立場が成り立ち、今の大桃子サンライズもあります。
気が付けば、ちゃんもも◎としても、アイドルの大桃子サンライズとしても、夢眠ねむさんの背中をずーっと見つめながら何年何年もそのまま時間が過ぎました。
愛憎にまみれ過ぎて迷惑なほど素直になれなかった時期のことを勝手に謝りたい気持ちも、いつかいつかと思っていたら、ついにはずっと伝えられないまま、届かないまま、憧れのまま、理想のアイドル、アーティストそのものであった夢眠ねむさんが、アイドルとしてのステージから、芸能界から引退してしまうという時がきたのです。
この8年、ずっとずっと見上げる存在であり、全てにおいて理想であるというリスペクトも直接お伝えできないまま、
こうしてブログに書くことすら迷惑かもしれないとか、沢山考えたけど、
やっぱりこのことは私の人生にもの凄く大きな出来事で、自分のために残させてください。
そして伝えさせてください。
本気で始めたからには本気で続けているアイドルという職業も5年目
色んな覚悟をして、この思いをしっかりと表明したいと思いました。
今は本当に過去の嫉妬していた自分を悔います、もちろん消せないことだとも思います、
本当にごめんなさい。
読んでいただけるかはもちろん分からないし、最後まで私の勝手でしかないけど、
どう思われたって、全部自分のせいなので、それも仕方ないと思えるので、
どうしても伝えたい気持ちを書きます。
19才で上京して、現代アートの集団に入って、
そこで知ったねむきゅんさんのこと、最初から本当に本当に悔しくて、羨ましくて、
沢山の嫉妬をしてしまい、本当にごめんなさい。
私のリスペクトするDJやアート界隈の方達が、みんなねむきゅんさんをとても大好きで、そして仲間として大切に思っているのだと教わりました。2010年くらいだったと思います。
その話を聞いたときは、どんな子なんだろう?と思いながら過ごすなかで、
私が渋谷のギャラリーで展示をしていたときに、同じギャラリーのお隣の会場で演劇のヒロインを演じているねむきゅんさんを確かニコ生かUST配信で見てました。
私がどんなに派手なことをやっても、そこにあるねむきゅんさんの圧倒的な存在感はどう考えても私が反射的に目をそらしたくなるくらいの特別な女の子なのだと感じました
そして、当時、わたしがよく本を買いに行っていたヴィレッジヴァンガード下北沢店に行けば、"僕たちは断然 夢眠ねむ推し です!"という大きな愛情たっぷりのポップが展開されていました。
心臓が震えてしまいました、鮮明に記憶に残っているくらい、「わたしのなりたいものになっている女の子なんだ。」と分かったからです
その頃、私はまだテラスハウスにも出る前で、
誰も私を知らないし、何ができるわけでもないけど、アートを通してとにかく有名になって、好きなことで、なりたい自分になりたかった。
当時の私から見たねむきゅんさんは、
私の大好きだったサブカル界のお姫様のように見えました
それも、ただ担がれているだけのお姫様ではなくて、
シーンにとって大きなものを背負った存在として、
ねむさんが上に行くことで、そのシーンごと突き抜けさせる、ヒロインだけど、民衆を導く女神感もあって、
そのねむさんのイメージやひとつひとつのお仕事そのものが、私の「なりたかったもの」でした。
ねむきゅんさんを知れば知るほど、私のやりたかったこと、なりたかったもの、すべてをもうやっている子がいることに、上京と同時にものすごく絶望してしまいました。
今の自分なら、真っ先に大ファンになっちゃうところなのですが、
当時の自分は本当に信じられないくらい性格が悪くて、僻み妬みたっぷりで
ねむさんに対して悔しい、と思ってしまったんです。
そこまでならまだしも、悔しいと感じている自分すら認められず、羨ましい、悔しいという感情に任せて沢山の嫉妬をしていて全てを悪く受け取ろうとしてしまいました。
ねむさんの足元にも及んでない私が勝手に喧嘩を売ってるみたいな状態です。
ただ指をくわえるように、
リスペクトではなく、ねむさんにはねむさんの生きてきた歴史があるからこそ輝いていたり人気者であるにも関わらず、まだ何もできていない、何者でもない自分にコンプレックスを抱くようになりました。
その後にでんぱ組さんもどんどん有名になっていかれました
電波ソングだったり、それぞれのバックボーンや人間味のある部分を魅力として更に輝やいている部分を、「これはアイドルじゃない!」として認めないことに自分のなかで決めたりしてしまいました。
特に、当時好きだったアイドルのことで、ものすごく傷付いたニュースがあって、過激派保守ヲタクみたいな時期だったことも相まって、○○だけがアイドルである!みたいな謎の正義を掲げたりして、、
でも、やっぱり気付けば何回も何回もでんぱれーどJAPANのMVを見ちゃう自分が居て、でんでんぱっしょんが発売されてすぐの頃には、もう可愛いし楽しいし曲最高だしめっちゃ元気くれるし大好きって感じで、でんぱ組さんの表現している全てが素晴らしくて以降ほとんどの曲を普通に聞くほど好きになってしまったし、メンバーさん全員のファンになっている自分がいました。
ちなみに同じように今では全員大好きな当時のBiSさんにも、グループのスタンスやメンバーさんに昔はものすごく抵抗があって(アイドルの概念を壊す存在)という認識だったけど、結局知ったらすぐ好きになってしまったし、
でんぱ組さんにもBiSさんにも、何も知らない頃は、アイドルの概念を壊したのだと思ったことも、知ったらすぐに、アイドルの可能性を広げてくれた重要な存在なのだと分かりました。
色んなものを背負ってステージに立ってくれているぶん、ありえないくらい感情移入できて、ものすごくキラキラしていて、心を揺れ動かしてくれるような、ものすごくパワーのある感動をくれる圧倒的なアイドルとしての魅力が衝撃でした。
それまで、「アイドルに人間味とか、マイナスの過去も辛さの表現も必要かなあ」とか思ってたの。というか、どうしても思いたかったの。
本当に情けない。(しかもめちゃ的外れ)
この数年後には自分なんてさらに人間味一点特化型の特殊アイドルになってると言ってやりたい。まじで過去の自分を殴りたい。
そんなこんなで話は戻って2013〜14年に差し掛かるくらい
でんぱさんが大好きだし、ねむきゅんさんにはまだ憧れという名のコンプレックスをもろにいだきつつ、関わり合いはないので愛憎に塗れていたころ。
自分もテラスハウスに出てちょっと調子ずいてきたりして、そのときにはまた改めてねむきゅんさんの存在をチラチラ意識してる自分がいました。
それほどに「ちゃんもも◎」という存在は本気でねむきゅんさんが相変わらず羨ましくてたまらなかった。
ねむさんのツイッターをフォローしたり、コンプレックス肥大でまたフォローを外したり
思い返しても他にも色々本当に意味の分からない行動をしてしまいました。
それからまた時が経ち、まさかの展開で自分がアイドルになる日がきました。
自分の人生において完全に想定外の"ありえないこと"が起きたのです。
これはバンもん!の話になるので、ここでは省きますが、
アイドル を何よりも愛し、最上級のエンターテイメントとして崇拝してきたものに自分がなるなんて、神が許しても自分が許さねえ、、と思ったのですが、バンもん!は私のままの私を必要としてくれて、長年諦めていたことでしたが、
このチャンスに全力で向き合おうと、素直になれたことでした。
そして実際にアイドルになってみて、時間が経てば経つほどにねむきゅんさんへのリスペクトははっきりしたものになりました。
ねむきゅんさんの姿勢や、凄さがどんどん分かるようになっていきました。
なおかつ、でんぱ組さんが地上に飛び抜けて大活躍してシーンに大きな影響を与えた直撃の世代でアイドルをやらせてもらってるので、
完全にでんぱさんの恩恵を受けて、そのときの自分の立場が成り立ち、今の大桃子サンライズもあります。
気が付けば、ちゃんもも◎としても、アイドルの大桃子サンライズとしても、夢眠ねむさんの背中をずーっと見つめながら何年何年もそのまま時間が過ぎました。
愛憎にまみれ過ぎて迷惑なほど素直になれなかった時期のことを勝手に謝りたい気持ちも、いつかいつかと思っていたら、ついにはずっと伝えられないまま、届かないまま、憧れのまま、理想のアイドル、アーティストそのものであった夢眠ねむさんが、アイドルとしてのステージから、芸能界から引退してしまうという時がきたのです。
この8年、ずっとずっと見上げる存在であり、全てにおいて理想であるというリスペクトも直接お伝えできないまま、
こうしてブログに書くことすら迷惑かもしれないとか、沢山考えたけど、
やっぱりこのことは私の人生にもの凄く大きな出来事で、自分のために残させてください。
そして伝えさせてください。
本気で始めたからには本気で続けているアイドルという職業も5年目
色んな覚悟をして、この思いをしっかりと表明したいと思いました。
今は本当に過去の嫉妬していた自分を悔います、もちろん消せないことだとも思います、
本当にごめんなさい。
本当はずっと真っ直ぐに、「私は、夢眠ねむさんに憧れてます」と言いたかったです。
ずっと昔の上京したての自分で、「いつかねむさんみたいな女の子になりたいです」って言える人間になりたかったです
ほかのアイドルさんたちのように、大好きですって言って、目を見て何かお話ししてもらったり、お写真をお願いしたり、
誰にも相談したことはないけど、アイドルとしてのことで、誰かに相談しても良いのだとしたら、絶対にねむさんしかいないし、
書きながら、涙が出るほどに、自分の中にずっとあった思いは沢山あるんですけど全然文才がないので書けないんですが
ねむきゅんさんは、
私がなりたかった、夢のような女の子 です。
本当に凄いと思います。
憧れの存在で、長い時間ずっとずっと居続けてくださいました。
私の伝説の女の子です。レジェンドです。
自分の物事の捉え方で、全てが変わってしまうことは沢山あります。
誰かを羨んだり嫉妬するより、素直な愛で、誰かの素晴らしいところを素晴らしいと、そして人をいつでも尊敬できる人間になろうと私が変われたのは、ねむさんへ嫉妬していた時間へ後悔が大きいからです。
アイドルになってから、「ちゃんもも◎は昔のねむきゅんみたいだね」って、インタビュアーさんやファンの方から言っていただいたりするたびに、滅相も無いですし恐縮ですけどやっぱり何回もあって、それがすごく嬉しくて、だけど、自分の過去のせいでねむさんへのリスペクトを何も話せないことがずっと心残りでした。
インターネット上でしか伝えられなくて、文章も下手だし、一方的で、最後まで本当にごめんなさい。
夢眠ねむさんはこれからもずっと私の理想の女の子です。
でんぱ組さんや、ねむきゅんさんが裾野を広げてくださった時代のアイドルとして、バンもん!として、大切な仲間と叶えたい夢も沢山できました。
いつかもしもまた、お会いすることがあるときまでに、もっと素敵な女の子になっていられるように頑張りたいです。
スーパードラマーのみさこから、スーパーヒロインの汐りんまで、本当にバラバラの全員が1番に輝ける場所をバンもん!として作りたくて、私はここでまだ頑張ります。
長年のアイドル活動で、沢山のことを伝えていただき本当にありがとうございました、
新たなる旅立ちも、心から楽しみにしております。
これからもずっと大好きで、尊敬しています。
ちゃんもも◎ 大桃子サンライズ
スーパードラマーのみさこから、スーパーヒロインの汐りんまで、本当にバラバラの全員が1番に輝ける場所をバンもん!として作りたくて、私はここでまだ頑張ります。
長年のアイドル活動で、沢山のことを伝えていただき本当にありがとうございました、
新たなる旅立ちも、心から楽しみにしております。
これからもずっと大好きで、尊敬しています。
ちゃんもも◎ 大桃子サンライズ
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私のヲタクの元祖は辻ちゃん加護ちゃんだったけど会いに行きたいなって初めて思ったのはでんぱ組.incさんでした。ねむさんのキャラというか人間性というか本当にアイドルなの?って思うくらいに私たちに近くて、ステージ上で笑うだけじゃなくてこっちに怒ったきたり、自分の思ってることをハッキリと言う人だな、すごいなって常々思ってました、私がももちゃんに会えたのはでヲタの方にバンドじゃないもんって知ってる?聞いてみてって言われたのがきっかけでした。ねむさんに出会えなければももちゃんにも出会えなかったのかなと思うと感慨深いです、心の中でたくさんたくさんおめでとうって叫んでおくことにします。ももちゃんもねむさんのことブログに書いてくれてありがとう、大好きです♡
それでもなお、文章にしきれないほどの思いがあるのでしょう。外野が色々というのは野暮ですね。
『愛』があるゆえに憧れ『愛』があるゆえに妬み苦しむ。
かつてのももちゃん◎のような女の子が今後目の前に現れるかもしれませんね。その時はその娘のことも愛してあげられるとよいですね。