皆さん、こんにちは。
今日は、現在の日本に於けるカジノディーラーの「3つの道」について言及します。
まずは、前回記事のブリーフィングです。
日本のカジノディーラーはどのようにしてディーラーになっていくのでしょう?
(現在、その方法は2通り)
① 既存のカジノレストランや遊技場でディーラー研修を受け、そのままそのお店で働くケース。
② カジノスクールに通い、一通りのディーリング技術を身に着けた後、船上ディーラー、カジノイベント、提携カジノ施設にあっせんされるケース。
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現在の日本では、安定した収入を得られているイベントディーラーは数十人しかいません。
「安定」と言っても、多くの企業で保障されているような雇用制度を受けていないことが多いので、扱いは「アルバイト レベル」です。
例えば、どこかのイベントでディーラー業務を行ったとしても、日当として貰える金額は8,000円~14,000円程度。(金額のバラつきは技術・レベル・拘束時間によります)
仮に、ディーラー経験を何年も積んで技術が向上し、日当を14,000円程貰えるようになったとしても、カジノイベントは毎日行われていないので、ディーラー業から得られる月の収入は10万円前後の人が圧倒的に多いでしょう。
既存の常設カジノ施設(遊戯施設)やカジノレストランでディーリングを行っている人たちも、ラスベガスなどでディーラーが最低保証されいているような給与は当然貰っていません。
こんな生活を何年も続けていると、たとえどんなに「ディーラー業が好きだから!」と言っても、現実的には金銭的にしんどくなって来ます。
これは、数年経つとボディーブローのように、少しずつジワジワと実生活に跳ね返ってきます。その結果、下記の「3つの道」を選ばざるを得なくなるのです。
3つの道とは
① 「定職なしディーラー道」
-2,3種類のアルバイトを並行しながら生活をする人たち -
② 「待ちぼうけディーラー道」
-海外の本場カジノで就職を希望する人たち-
③「アングラ道」
-アングラカジノに身を寄せる人たち -
これらの人生がどのようなものなのか、簡単に説明します。
①「定職なしディーラー道」
これは想像しやすいと思います。自分の夢に対して人生を捧げているミュージシャン、アーティスト、作家のタマゴさんなどと同様、イベントディーラーは定職に就かず(或いは定職を辞め)いくつものアルバイトを掛け持ちした人生を送っています。一旦定職に就くと、当然ながら、「カジノイベントがあるから」と言って簡単に仕事を休むわけにはいきません。なのでディーラー業を続けたい人は、定職に就けず、アルバイトを転々とした生活を余儀なくされるのです。
若いうちはこの生活で全く問題はありません。ですが、結婚を真剣に考える年齢になったり子供が生まれたりすると、アルバイトのかけ持ち生活では社会的にも金銭的にも不安定なので、このタイミングで定職を希望する人が増えます。年齢的には30歳くらいで、ディーラー業務を続けられる期間は平均して10年前後です。
ちなみに海外では「ディーラー歴30年」以上の人も沢山います。
30歳前半でディーラーを諦め、いわゆる「オフィスワーク」の仕事に初めて就く人は結構大変です。パソコンスキルがあったり、その他の「強み」がある場合以外は、現実的には雇用先はかなり絞られてしまうでしょう。
② 「海外待ちぼうけディーラー道」
日本では安定したポジション・給料を得られないと悟ったディーラーたちは海外へ脱出することを計画します。しかし、これを考えられる人たちは語学力のある人たちだけ。英語を話すことを臆するディーラーは決して海外を目指しません。
さて、自己改革意識の強いディーラーは海外を目指すわけですが、ここでも大きな壁が待ち受けています。それは、就労ビザの問題。たとえどんなに流暢に英語が話せても・・ディーリング技術が素晴らしくても・・グリーンカードや就労ビザを持っていないと海外では働けません。
そこで、まず最初にエリア内の日本職レストランなどでグリーンカードを申請します。ラッキーな場合は数年後に許可が下りますが、そこから「ディーラー」としてカジノ施設にアプライできる人たちはまた別。ほんの一握りなんです。実際に、ラスベガスでディーラーをやっている日本人たちはパートナーがアメリカ人だったり、2つの国籍を持っていたりする人たちです。
技術が高いからと言って・・また英語がしゃべれるからと言う理由だけで、日本人が海外でディーラーとして雇われることはほとんどないのです。
最後の
③アングラカジノに身を寄せる 「アングラ道」
は次回にさせて下さい。
今日は、現在の日本に於けるカジノディーラーの「3つの道」について言及します。
まずは、前回記事のブリーフィングです。
日本のカジノディーラーはどのようにしてディーラーになっていくのでしょう?
(現在、その方法は2通り)
① 既存のカジノレストランや遊技場でディーラー研修を受け、そのままそのお店で働くケース。
② カジノスクールに通い、一通りのディーリング技術を身に着けた後、船上ディーラー、カジノイベント、提携カジノ施設にあっせんされるケース。
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現在の日本では、安定した収入を得られているイベントディーラーは数十人しかいません。
「安定」と言っても、多くの企業で保障されているような雇用制度を受けていないことが多いので、扱いは「アルバイト レベル」です。
例えば、どこかのイベントでディーラー業務を行ったとしても、日当として貰える金額は8,000円~14,000円程度。(金額のバラつきは技術・レベル・拘束時間によります)
仮に、ディーラー経験を何年も積んで技術が向上し、日当を14,000円程貰えるようになったとしても、カジノイベントは毎日行われていないので、ディーラー業から得られる月の収入は10万円前後の人が圧倒的に多いでしょう。
既存の常設カジノ施設(遊戯施設)やカジノレストランでディーリングを行っている人たちも、ラスベガスなどでディーラーが最低保証されいているような給与は当然貰っていません。
こんな生活を何年も続けていると、たとえどんなに「ディーラー業が好きだから!」と言っても、現実的には金銭的にしんどくなって来ます。
これは、数年経つとボディーブローのように、少しずつジワジワと実生活に跳ね返ってきます。その結果、下記の「3つの道」を選ばざるを得なくなるのです。
3つの道とは
① 「定職なしディーラー道」
-2,3種類のアルバイトを並行しながら生活をする人たち -
② 「待ちぼうけディーラー道」
-海外の本場カジノで就職を希望する人たち-
③「アングラ道」
-アングラカジノに身を寄せる人たち -
これらの人生がどのようなものなのか、簡単に説明します。
①「定職なしディーラー道」
これは想像しやすいと思います。自分の夢に対して人生を捧げているミュージシャン、アーティスト、作家のタマゴさんなどと同様、イベントディーラーは定職に就かず(或いは定職を辞め)いくつものアルバイトを掛け持ちした人生を送っています。一旦定職に就くと、当然ながら、「カジノイベントがあるから」と言って簡単に仕事を休むわけにはいきません。なのでディーラー業を続けたい人は、定職に就けず、アルバイトを転々とした生活を余儀なくされるのです。
若いうちはこの生活で全く問題はありません。ですが、結婚を真剣に考える年齢になったり子供が生まれたりすると、アルバイトのかけ持ち生活では社会的にも金銭的にも不安定なので、このタイミングで定職を希望する人が増えます。年齢的には30歳くらいで、ディーラー業務を続けられる期間は平均して10年前後です。
ちなみに海外では「ディーラー歴30年」以上の人も沢山います。
30歳前半でディーラーを諦め、いわゆる「オフィスワーク」の仕事に初めて就く人は結構大変です。パソコンスキルがあったり、その他の「強み」がある場合以外は、現実的には雇用先はかなり絞られてしまうでしょう。
② 「海外待ちぼうけディーラー道」
日本では安定したポジション・給料を得られないと悟ったディーラーたちは海外へ脱出することを計画します。しかし、これを考えられる人たちは語学力のある人たちだけ。英語を話すことを臆するディーラーは決して海外を目指しません。
さて、自己改革意識の強いディーラーは海外を目指すわけですが、ここでも大きな壁が待ち受けています。それは、就労ビザの問題。たとえどんなに流暢に英語が話せても・・ディーリング技術が素晴らしくても・・グリーンカードや就労ビザを持っていないと海外では働けません。
そこで、まず最初にエリア内の日本職レストランなどでグリーンカードを申請します。ラッキーな場合は数年後に許可が下りますが、そこから「ディーラー」としてカジノ施設にアプライできる人たちはまた別。ほんの一握りなんです。実際に、ラスベガスでディーラーをやっている日本人たちはパートナーがアメリカ人だったり、2つの国籍を持っていたりする人たちです。
技術が高いからと言って・・また英語がしゃべれるからと言う理由だけで、日本人が海外でディーラーとして雇われることはほとんどないのです。
最後の
③アングラカジノに身を寄せる 「アングラ道」
は次回にさせて下さい。
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