3年前の年末に64歳で亡くなってしまった
TAKKYOの杉村清隆社長。
年末になるといつも思い出す。
男前でカッコいい人だった。
やしきたかじんにちょっと似ていた。
社長に一生ついていこうと思っていた。
でも、ぼくはTAKKYOを離脱して社長の古
巣のLECに行った。
TAKKYOで培った自分を試してみたかった。
そしてあの冬、訃報をきいた。

ぼくはこの3年で、LECの登録実務講習の
3軍から1軍に上がることができた。
正確には一昨年くらいからなのだけど、
1日コースの半分以外は、補助講師に入ら
なくなった。講習も27→45→45と回数
が増えた。(年間の実務の受託件数)
先輩講師の方々が講義の数を減らしたり、
引退されたり、独立されたりした世代交代
が要員としてはあるかもしれないが、
TAKKYOでの経験のおかげもあるんじゃ
ないかなと思っている。
今更だけどTAKKYOには感謝しかない。

宅建試験の発表日に府中から八千代にある
TAKKYOの事務所に行って一月の実務講習
の受付電話対応をしたのも今頃だった。
昼メシを一緒に食べに行ったり、マルエツの
お弁当を買ってきてくれて、みんなで食べた
りして、18時頃までやった。
2時間くらいかけてうちに帰った。

このブログの2018年あたりを見ていると、
淡路町の連合会館で160人の受講生さん
に実務講習を実施した話しが出ている。
(もっと前だったような気がするのだが)
このリングにはぼくがメイン講師であがらせ
ていただいている。連合会館160人は、ぼく
の誇りになっている。
LEC中野本校の一番広い101教室で受講
生さんが60人こられようと、80人来られよ
うと、ビビらないのはこの時の経験が大きい。

社長はこの160人の講習後の飲み会で、
業務縮小を講師メンバーに告げた。
その時は一緒にお酒を飲んでいたのだけど、
ご自身の体調が思わしくないことを感じてお
られたのかもしれない。
この年の夏に、ぼくはTAKKYOを離脱したよ
うだ。縮小した業務を先輩が独占してはいけ
ない、後輩に舞台を譲ろうという思いと、
既にLECでもやっていたのもあった。

社長、ぼくもトシを取ったせいか、
登録実務講習エンターテイメント化計画な
んて考えなくなりました。
無難に受講生さん全員に修了してもらえれ
ばいいかな、くらいしか思ってません。
あの時、社長が言われていたことが最近に
なってからわかったような気がします。
無理に笑ってもらうこともやめました。
面白い、というのは笑うことばかりではない
のだと悟ることがあったからです。
1月はLECで11開催受託しました。
去年より⒉つ少ないです。
TAKKYOではお請けしなかった1日修了の
コースをLECで4開催も受けています。
すいません。やればできましたね。
今年の45回目が終わったときは、やめる
タイミングばかり考えていましたが今は、
社長から縁をもらった登録実務講習、どこ
までやれるか、終点まで行ってみようと思
うようになりました。TAKKYO魂はいつま
でもぼくの中にあります。

いつか社長のいる世界に行ったときには、
また飲みに誘ってください。何次会までで
も一緒に行きます。石坂久

(9月頃。宅建ダイナマイトの大澤先生と)

会社員時代、セミナー開催の責任者をし
ていたことがあった。
社長からの命令は、会社をお客さんに知
ってもらうことと、会社のファンを増やす
ことだけだった。
会社はマンション管理会社だったので、
当然、マンション管理系のセミナーとな
るけれど、不動産投資から何からいろい
ろ試してみた。楽しい仕事だったが、
3年でセミナー運営に行き詰まった。
それを見ていたのか、会社の上席(常務)
に、知人にすごい人がいるからアドバイス
をもらいに行こう!と連れていってもらっ
た。南新宿だった記憶がある。
その方はぼくのセミナーの企画をペラっと
見て、これは売れないでしょう。
とあっさりバッサリ言われた。

今更ではあるけれど、非常に的確なアドバ
イスをもらったと思う。
当時はアドバイスの意味がわからなかった
というのは秘密である。

あのときにぼくが感じた行き詰まりは、
次の段階に入らなければならないときにあ
らわれた変化の壁だったと思う。
それは、セミナーそのものを売れるモノにし
ていくか、セミナーをつかって何か他のモノ
を売るのか、くらいまでしか思いつかないけ
れど、変わらなければならない時期に壁が
現れたのだ。

壁を乗り越えるどころか、当時のぼくには壁
が見えなかった。壁の周辺にはまわり道があ
ったから歩いてみた。
そこは研修講師の道につながっていた。 

まあ、それが悪い訳でもないのだろうが、
ぼくには売れる、売れないという視点が
今でもまるでないんだな、なんて思った。
そういえば、売れる講師になろうと考えた
ことがなかった。出番が増えると素直にう
れしい。今みたいに出番がないとヒマ。
別に売れなくても楽しければいい、みたい
な思考回路がある。

うまくいえないのだけれど、ぼくが講師を
しているのは、売れる講師になりたいので
はなくて、単に面白いことがしたい、と
いうだけだった。もちろん今でもそう。
面白い仕事だから、ひとコマの講義に集
中することができる。
毎回、きちんと準備をして挑んでいる。
朝、体調不良にもならない、
お腹も痛くならない、
熱も出ないし風邪もひかない。
いつも元気でバリバリ飯を食べる。 
会社員時代の若かった自分の100倍以上
元気ハツラツしている。
たぶん、ぼくはフリー講師に向いているの
だろうと思う。

でも、フリーの悪いところは単なる風見鶏
であるというところで、講座運営の穴埋め
要員以外の何モノでもないということだ。
1月は月に20日以上も6時間の講習が
入っているのに、5月なんか2日しかない
なんていうのもある。
今年の12月は冬眠しているし。
だから別のことをしないとイケナイ。
何か売れそうな講習を作って、大澤先生
に持ち込んでみようなんて思うけど、
売れそうな講習って何だろう?
思いもつかないよね。
結局、ここにたどりつくのだ。
挑戦なき人生の成れの果てである。




(富士そばのわかめそば)

連結は1級や全経上級でも学んだような
気がするのだけど、多分気がするだけだ。
全てが忘却の彼方にある。
30年なんていうのはそんな時間だ。 

でも、いつまでに受かろうなんていう時間
的リミットはないので、焦りも何もない。
あの頃は焦りやら恋やらが勉強する自分
をずいぶんと邪魔してくれた。
おそらく、あの自分で自分のクビをしめて
いた行為は、トシ取ってから簿記を人生
の暇つぶし、いや、楽しみにする為の神様
の仕業なのだろうと思う。
本当に楽しく簿記の勉強をしている。

のれんという勘定科目が出てきた。
資産科目だ。
もしかして、これはかつて連結調整勘
定といわれていたアレだろうか?
のれん償却は費用だから、連結調整勘
定償却かな?もしかして。
非支配株主持分、、少数株主持分とい
う名前で出ていなかったか?もしかし
て。もしかしなくてもそうだよね。

連結は貸借対照表の純資産を理解し
ていないと出来ない。 
今年、3級を勉強してやっと純資産の
ことが少しだけわかった。 
道理であの時代、連結がスッカラカン
と何も入ってこなかったわけだ。

純資産には投資家などから出資を受
けている資本と商売の利益を積み重
ねた利益剰余金があるとか知った。
新鮮な気分だった。(今更かよ)
配当を出したらその10分の1以上の
利益準備金を積み立てることは覚え
ていたが、他はみんな忘れた。
いや、正直に言う。知らなかった。
かつて1級や上級を学んだときにも、
会社で上場担当のひとりだったときも
そんなことは知らなかった。
よく合格したり仕事したりしたよなと
思うけれど、それは運がよかっただけ
で、打ち合わせで会計士の先生が言う
ことが殆どわかっていなかったのはな
んともアレな話しで秘密。

連結の問題で与えられた資料の中に
利益剰余金が前の年度より増えてい
たら、「あっ、そうですか?」じゃない。
それは商売やって利益が増えたこと
だから、その中から非支配株主持分
に利益を振替をしてあげる。
連結子会社の利益は全て親会社の
ものではないのだ。当たり前だけど。
連結会社間の利益も消していく。
これも段取りを覚えていかないと解
けるようにはならない。

かつてネットスクールさんの過去問
解説書は「出題パターンと解き方」
という名前だった。名著「パタ解き」
ぼくが全経上級に合格できたとき
(運良く連結は出なかった)にも使
わせていただいた。
著者の桑原先生(社長)は今でも神
様みたいな方なのだけど、⒉級の勉
強をしようと思って書店に行ったら、
もう「パタ解き」はなかった。正確に
は書名を変更していた。
躊躇せずに購入させてもらった。
テキストも買えばよかった。
連結はゼロベースでやり直す。
とりあえず、ネットスクールさんの市
販の教材を駆使して2級取るぞ。
テキストで基礎を固めて、過去問を
やって、出題パターンと解き方を身
体に覚えさせる。
簿記はパタ解きなのだ。
2級がすんなりと合格できたら、
次の暇つぶしに入るけれど、
まずは2級をビッシビシやる。

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