亀城公園にある歴史博物館に行きます。
何と無料です!!
刈谷市の歴史が古代から現代まで展示されいますが、やはり水野家にまつわるものが大きくスペースを取ってます。
これは明治の廃城になる前の姿ですが、築城された頃から海を背にし大きく水堀をめぐらせた水城だったのは変わらないでしょう。
この海の対岸、緒川の有力武将だった水野忠政が制圧、城を築きます。
この頃の三河はあの天才武将、松平清康が活躍していた時代。
松平家と敵対するのは得策ではありません。
忠政は清康の弟の松平信孝の協力を得て、松平家の嫡男であった松平広忠と娘の於大との政略結婚を結び衝突を避けます。
この於大が産んだ男子が、後の徳川家康となり天下統一を成し遂げる訳ですが…。
しかし時は戦国時代。
そう穏やかに事は進みませんでした。
松平清康が遠征先の守山城で凶刃に倒れます。
いわゆる守山崩れと呼ばれる大事件が起こり清康が他界すると、この地域のパワーバランスが一変します。
嫡男・松平広忠の後見人であった信孝だが、十八松平と呼ばれる庶流との宗家争いで失脚。
於大も離縁させられてしまいます。
松平家とのパイプを失った水野家は、織田との同盟に傾きます。
そして水野忠政亡き後、跡を継いだ信元の時代には松平家と完全に敵対関係となっていました。
そして、三度に及んだ安祥合戦に突入して行くのです。
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