月別アーカイブ / 2023年01月

緒川城から半田街道を北上すると、JR武豊線尾張森岡駅の近くに村木砦があります。

水野家最大の激戦、村木砦の戦いはこの一角で起こりました。

第三次安祥合戦で敗れた織田領と水野領は、その後もじわじわと今川義元の侵略を許します。
尾張の虎、織田信秀が病で亡くなるとその跡を息子の信長が継ぎました。
しかし家臣の中から、普段から素行の悪かった信長から離反し、今川側に寝返る者も出始めます。

尾張前線の要であった鳴海城の山口教継もその一人でした。
教継は鳴海城内に今川家の重臣、岡部元信を招き入れ、自身は息子とそれぞれ笠寺と桜中村に城を築き徹底抗戦の構えを見せます。
更に隣接する沓掛城と大高城も手に入れ、尾張と緒川、刈谷を結ぶ道が遮断されます。
これが桶狭間の戦いの舞台となるのはもう少し先の事。

今川義元の手は水野信元の元へも押し寄せます。
三河と尾張の国境近くの重原城が今川軍に落とされ、水野家の刈谷城が孤立。
更に知多では寺本城の花井氏が寝返り、西海岸への道が塞がれました。
そして水野信元への仕上げとして、緒川城の目と鼻の先、ここ村木の岬に砦を築いたのです。

LINEブログ終わっちゃうの?

引越ししてって事??

上手にできるかなぁ…。

緒川城入ります。

この目印看板もずいぶん朽ちて来ましたね。


水野家の知多側の拠点緒川城ですが、今は土塁の一部が残るのみでそのほとんどは住宅になっています。

於大の方の碑があります。
水野家より於大の方の方が前に出るのは、イメージがいいからですかねw

安祥合戦の最中、水野家が9年間そっちにかかりっきりだった訳は無いですね。
その間に、着々と地盤を固めて行きます。
隣の城の阿久居、久松長家に松平から離縁させられた妹の於大を嫁がせ、同盟を結びます。
これで終わるはずもなく、宮津城の新海氏を攻め滅ぼし、成岩城、長尾城も攻略。
常滑は水野の分家がすでにあり、大野の佐治氏と睨み合っていました。
半島南部は渥美田原から勢力を伸ばしていた戸田氏がいましたが、冨貴城を落とすと布土に城を築いて師崎まで水野家が制した。


この戸田氏、田原の戸田宗光の同族。
この同時期に、松平広忠は今川義元へ恭順を示す為、竹千代を人質に出しますが、駿河まで送り届ける役目を義父の戸田宗光に与えます。
しかし宗光は、その竹千代を駿河へ渡す途中に掠め取り、尾張へ渡してしまう。
金で売ったとも言われているが、そんな事をしたら今川の怒りを買うのは理解していたはずで。
田原戸田は攻められ滅亡。
やはり水野信元が知多の戸田領を攻略した事で、何かしら弱味を握られた故の戸田の裏切りだったのではと勘繰ってしまう。

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