お知らせ

大高城を出て、次は織田側の砦を周ります。

丸根砦と鷲津砦は、織田信長の生涯を記した信長公記にも書かれているので有名ですよね。
でも不思議だと思いませんか?
鳴海城との間の山に砦を2つ築いただけで、大高城は身動きが取れず兵糧難になるものでしょうか。
信長公記には記されなかった砦も行ってみます。

その一つが向山砦です。
春江院というお寺の山にあったと言われています。

では、お邪魔します。

ここは桶狭間の戦いの少し前に、当時の城主であった水野氏によって創建されました。


立派な本堂や鐘楼があります。


この境内に砦があったというか、横の山にあったのかな?

ただね…。
城にめっちゃ近いんです。
はっきり言って、不自然なくらい近い。

道路一本挟んで堀。
その向こうに城。
本当言うと、ここは無かったんじゃないかとも言われてます。

町中に川向八幡社がありましたが、あちらは平民が参拝する神社。
こちらには、御武家様の城山八幡社があります。


関ヶ原から60年後に奉納された石塔がある!?
それがコレ!


崩れると危ないので、笠は下に並べられてます。

そして手水鉢がこちら。

これも江戸時代のものです。
それがしれっと置かれてます…。
すっげぇ…。

その脇に石碑が建てられてます。

本丸の屋敷があった所でしょうかね。
明治時代に徳川家が寄贈した?
かつて火高の里と呼ばれていたこと、日本武尊の事、桶狭間の戦いの事、その後の城主の事などが彫られてますね。
廃城になった折に、この地の歴史を後世に伝える為に記し立てた様です。
大変貴重な物ですよ。
ありがたく触らせていただきました。

虎口も綺麗に残っていて、その脇に深い堀も残っています。



ここを抜けると二ノ丸、三ノ丸があります。


南口を抜けて、幻の砦を周ります。

入口に説明看板があります。
こういうのは見つけると必ず読みます。
知らない事とか、地元の言い伝えとか書いてあったり、新発見があったりします。


では、本丸に登ります。

見晴らしがいい高台です。
平山城っていうんですかね。

奥の斜面に鷲津砦が見えます。


こちらは丸根砦。
これらの砦は攻撃を伺う拠点ではなかったと思います。
大高城と鳴海城を遮断し更に周囲の街道も封鎖して干上がらせる策だったのではないでしょうか。

しかしよく見える。
当時は櫓や屋敷もあったでしょうから、織田側の動きは丸見えだったでしょうね。
いや、織田側からも丸見えでしたから、炊き出しの煙を見ながら、兵糧の残りを推測していたのかも知れませんね。

この下に今は海岸寺というお寺がありますが、ここがかつての大手門でした。

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