お知らせ

演出なのでしょうが、かなりフィクション過多ですなw

松平広忠って享年23歳だったんですが、かなり御年配でしたなw

大樹寺にある墓前で自害しようとした話、ありましたね。
伝承では、本多忠勝じゃなくて住職だったはず。
まあ、そんな細かい事はいいです。
それより、里見浩太朗!
後の水戸光圀が登場して、1人で勝手に興奮してしまった(笑)

ここは現在の大高中学校の正門辺りにあった様です。
この丘陵地にあったと言われてます。
曲輪の様に見えますが、宅地造成によるものですw

道路が通って斜面がカットされてるのがわかりますかね。
昔は画像の左から右に向かって峰が続いていたのではないでしょうか。
この道路の右は名古屋市に合併された50年ほど前まで、中学校からその横の団地までの一角はニチボウの巨大な工場の敷地でした。
その名残りでしょうね。

砦上がります。
ここから、兵糧入れの核心に近付きます。
この砦に就いていたのは家康の母の兄にあたる、あの水野信元だったと言われています。
何か匂いますね…。
自分の推測では、ここに家康の兵糧入れの謎を解く鍵があったはずです。

砦の上から大高城が見えます。

知多半田方面の封鎖をしていた砦なのでしょうね。

こちらは城の西にあった海と、名和から伸びる街道の南口を封鎖していた織田側の砦だったと思われます。
場所は、この鉄塔のある辺りでしょうかね。

ここに「取手」という地名が残っています。

氷上と言えば、氷上姉子神社が有名ですね。

古事記や日本書紀にある、日本武尊の伝説が残る神社です。

東征の途中。
日本武尊は、尾張に船で辿り着きます。
そこの時、この辺りを治めていた、オトヨノミコトの娘の宮簀媛と婚約。
見事東征を果たした帰りに再びこの地を訪れて、2人は結ばれここで暮らし始めます。

しかし、大和からの出撃命令が日本武尊の元に届きます。
日本武尊が、愛刀・草薙の剣を手に取ろうとすると眩しく輝き近づく事ができません。
仕方なく刀を置いたまま、伊吹山へ旅立ちそこで命を落とします。

宮簀媛は草薙の剣を生涯護り続け、やがて館があった場所に氷上姉子神社が建てられ、持統天皇の代に現在の場所に移されたと伝わってます。
草薙の剣はその後、熱田に移されて熱田神宮が建てられます。


ここの縁結びのお守り、大変御利益があります。
自分が今の嫁さんと結婚した時に持ってたのが証拠です(笑)

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