もうすぐ、お遊戯会。
モモのクラスでも役決めが始まって
毎日みんな、自分がどの役をやりたいか
話し合っているみたい。
このあいだ洗い物をしていたら
モモがそばにきて、
なんとなくモジモジしながら
話しかけてきた。
「まま、あのね
ぴのきおしってる、、?☺️」
「知っとるよ〜☺️」
「ももかね、
ほしのめがみさまが
いいなっておもって、、☺️💦」
「おっ♡いいねぇ〜☺️!」
「あの、でもね
レペットじいさんがね、、
だぁれもいなくて、、」
「ん?」
「レペットじいさんがね、
だれもやりたくなくてね、、
だからももかがやるよっていって、
きょうはね、ももかがレペットじいさんやったんだ😚」
「ん?モモが、レペットじいさんやることにしたの??」
「だってね、だぁれもやりたくないってゆうからさ、、」
そこで私は洗い物の手を止めて
モモの目をまっすぐ見つめた。
「"ももか"は、
何がやりたいの?☺️」
「、、、ほしの、、
めがみさま、、(*´ο`*)」
しゃがんで、モモの頭を撫でながら話した。
「モモはとっても優しいね。
みんながやりたくない役をやってあげようなんて、本当にすごいことだよ。
でもねモモ、
モモがやりたい役があるなら、
それは我慢しなくていいんだよ。
あんたが
1番やりたいと思ったことをやんな☺️」
モモは戸惑いながらも、
少しホッとしたような顔をした。
私はそれ以上なにも言わず
様子を見守ることにした。
次の日
園から帰り、
一緒に洗濯物を畳んでいると
「まま、ももかね、、」
「うん〜?☺️」
照れたような笑顔で
「ほしのめがみさまにしたよ!☺️」
と、報告してくれた。
結局"レペットじいさん"(ゼペットじいさん)は、
まだ決まってないらしい。
私が想う、"親の役目"というのは
なんでもしてあげることじゃなくて
例え親がいなくなったとしても
自分で、自分の人生をしっかりと生き抜いていける子に育てることだと思っている。
愛しているからこそ
転んだ時、すぐに助けてあげたくても
ぐっと我慢する。
1人で頑張って立ち上がるのを見守り
そのあと、思いっきり抱きしめる。
私は、最終的にはこの子に
"まず自分を満たしなさい
自分が満たされたなら
その溢れる愛を持って、周りを助けてあげなさい。それが幸せということだよ。"
という感覚を教えたい。
教えたいというか、
産まれた時から備わっているものを
捻じ曲げずに導いていくだけのことだ。
うまくやれているだろうか。
これからも臨機応変に
その都度話し合っていけばいいかな(⸝⸝ᵕᴗᵕ⸝⸝)
すこやかな寝顔を見るとホッとする。
いま私の目の前に
幸せそうに眠るこの子がいる。
つまり、これが正解だってことさ。
子育ては神秘的だな。
奇跡みたいな幸せと、
毎日一緒に生きている。